1月の短編小説

1月の小説アイキャッチ 冬物語
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1月1日  初日の出

 こんなことになるとは思ってもみなかった。

「初日の出、一緒に見に行ってくれるって言ったじゃない」

「そうだったかな」

「もう、ひっどーい。一生うらんでやるからね」

鈴子すずこの頬が七輪で焼いた餅のように、丸々と膨らんでいくのが目に見えるようだ。

卓郎たくろうは電話の受話器を首に挟んで、新聞の『日の出時刻欄』をめくった。

「ええと・・・・・・わかったよ、明日は大阪で人と会う予定があるのだけど、君との初日の出を優先してからすっ飛んで行くことにするよ」

「え、本当?やっぱり卓ちゃん大好き」

「じゃあ明日6時50分にいつもの海岸で待っていてくれるかい」

「了解。絶対来てね、教授。すっぽかしたら殺すからね」

「おっと悪いけど、日の出をみたらダッシュで移動するからその場で別れるよ」

「いいよ、あたしだってそのあと綾と初詣に行くことになってるから」

電話は切れたが、会話の途中で着信があった。履歴を見ると大阪の沙織さおりからである。留守電を聴いてみる。

(沙織やけど、明日の初日の出は着物でいいかしら・・・・・・)

うかつだった。

研究に没頭するあまり、鈴子とのダブルブッキングに気がつかなかったのだ。

この忙しいのに、二人の女性とつき合うからこういうことになる。

こうなったら仕方がない、あの実験機を使って移動するしかないだろう。

卓郎は科学者で、光速で飛ぶロケットの実験中だったのである。しかもおあつらえ向きに、発着場は鈴子と待ち合わせをした湘南の松林の一画にあるのだった。

湘南の日の出が6時50分、大阪の日の出は7時4分だから、開発中の光速ロケットで移動すればじゅうぶん間に合うはずだ。

卓郎はその朝、海岸線を染める赤いマグマのような太陽の切れ端を見つめる鈴子の頬に、軽くキスをして耳元にささやいた。

「あけましておめでとう。今年もよろしくな」

「こちらこそよろしく」

鈴子のうっとりとした眼差しをみて、思わず抱きしめたい衝動にかられる。しかし卓郎はとんびのように鈴子の唇をサッと奪うと、身をひるがえして手を振った。

「それじゃあまた」

急がねばならない。

卓郎は大阪城公園近辺の発着場を目指して、ロケットを発射させた。

その頃、ちまたではある異変が起きていた。

隣国から弾道ミサイルが発射されたというのである。

しかも途中で機影が消え、とうとう排他的経済水域を越え、日本国内に向かっているというニュースが流れたのであった。

「沙織、待っていてくれよ。すぐに着くからね」

・・・・・・沙織は心待ちにしていた。

隣人がなにやらラジオに聴き入っているようであったが、そんなことは耳に入らなかった。

“・・・・・・を申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。
さきほど他国の弾道ミサイルと思われる正体不明の飛行体を、自衛隊の迎撃ミサイルが撃墜したとの一報が入りました”

1月2日  初夢

「きみはなにやら“夢芝居ステーション”というものを開発したそうじゃないか」

そう尋ねたのは、古くからの悪友で、斎藤さいとうという男である。

「小椋なにがしが作った、新曲のことかい」

わたしはあえて“梅沢なにがし”とは言わずに返してやった。

「それは流行歌じゃないか。おれが言っているのは、おまえが開発中の“夢芝居ステーション”のことだ」

斎藤はいいやつなのだが、実業家で大金持ち。時々鼻もちならないところがある。

親友のわたしにも金に物をいわせて、何かと押し切ろうとするところがあるのだ。

「実は一生に一度でいいから、初夢で縁起がいい“1富士2鷹3茄子なすび”を見てみたいと思っていたのだ。なんでも、希望の夢を見させてくれる装置だっていうじゃないか」

「だめだめ。あれはまだ試作中だよ」

「開発費が必要なんだろ。これでどうだ」

斎藤は相撲取りの平手のように、分厚い手の平をめいっぱい突き出した。

「5百万か、まあまあだな」

「アホか。50万だ。足もとを見るな!」

「仕方ない。じゃ、開発モニターということで手を打つか」

・・・・・・それが悲劇の始まりだった。

その夜、斎藤はわたしの研究室にいた。頭にすっぽりとヘッドギア型装置“夢芝居ステーション”の試作機を装着して眠りに就こうとしていた。

プログラムには『1富士2鷹3茄子と入力する。

夢の内容はモニター室でも観ることができるようになっている。

しばらくして画面に、斎藤が病院のベッドに横たわっている姿が映った。

斎藤は青白い顔をして、枯れ枝のように痩せ細っていた。

口には透明の酸素マスクを装着されており、手足には点滴や色とりどりのチューブが機械に繋がれている状態である。

モニターはしばらく霧がかかったような状態であったが、次第に靄が晴れてくるのが見て取れた。機械が作動し始めたのだ。

靄の奥から骸骨のような、気味の悪い顔の看護婦が、風にたなびくカーテンのようにゆらゆらと揺れながら現れた。

看護婦の手には、銀色に光るフォークのような物が握られていた。

彼女はそれをやをら振りあげるや、斎藤の顔面に向かって、力まかせに振り降ろしたのだった。

斎藤は「ぎゃ!」と悲鳴をあげて飛び退いた。点滴がはずれ、床で割れた。

フォークの切っ先が、枕をまるでくす玉でも突き刺したかのように、盛大に綿を巻き上げていた。

斎藤は手足のチューブを引きちぎり、パジャマのまま転がるように廊下に逃れた。

それを陰鬱で無表情な看護婦が、フォークを振りかざして追ってくる。

「待ちなよ!あなたはもう不治の病に侵されているの。このフォークであの世に送ってあげるからさ!」

地獄から湧き出てくるようなしわがれた声であった。看護婦が山姥やまんばのごとく追いすがってくるのがわかる。

病気で体力のない斎藤は、糸のからみついたマリオネットのようにバランスを崩しながらも必死に走った。

それでも最後には看護婦に首根っこをつかまれる。

「待てというのに」

冷たく光るヤリのような切っ先が、斎藤の眼前にせまる。・・・・・・と、そこで夢が覚めた。

血相を変えた斎藤が隣の部屋から飛び出して来た。

「なんだよこれは!」

「だから言ったじゃないか。まだ試作機だって。でも、ちゃんと不治(富士)の病と、フォーク(鷹)と、ナース(茄子)が出てきたじゃないか」

「なんだとう」

斎藤はハアハア息をついている。

「それにさあ、演技は良かっただろう」

1月3日  瞳の日

「いいですか、このホルモン注射はですね・・・・・・」

出生率が低下し続ける昨今、政府は養子縁組を推進する法案を成立させた。

その薬を養子になる子の瞳に注射することにより、親子の絆がより強く結ばれるのである。

「初めて見たものを親と判断する、動物の習性を利用した新薬なのですよ。

その代わり、その効果は一度きり。やり直しは効かないですからね、注意が必要ですよ」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

今、富士山登頂2,230回という前人未踏の大記録を打ち立てた、ある老登山家にマイクが向けられていた。

「あなたはなぜそんなに富士山にこだわるのですか」

老人はしばらくうつむいて考えていた。

「・・・・・・わからないんです。でも、なぜか惹かれてしまうのですよ。それだけです・・・」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「おい、早くしないか!」

亭主が家内をたしなめる。

ようやく母になる女が、化粧室からそそくさと現れる。

「何をやっていたのだ。先生がお待ちかねだよ」

「だって、初めて赤ちゃんと対面するんだもの、綺麗にして見せたいわ」

女は医者に促されるまま、微笑みながらも、こわごわとベビーベッドに近づいていった。

・・・・・・赤ちゃんはうっすらと瞳を開いた。

そこには大きく開いた、富士額ふじびたいがしっかりと映っていた。

1月4日  石の日

 その日、拳法家はそれまでになく燃えていた。

炎がうごめいているような、壮大な力が全身にみなぎるのを感じた。

彼は異種格闘技では、当時負けなしの達人なのであった。

だが、テレビ企画『自然石割り世界選手権』でまさかの敗北。

その後、忽然こつぜんとメディアからその姿を消してしまっていたのだ。

山ごもりをして13年、拳法家は手刀でどのような石でも割れるようになっていた。

「お待たせしました。とうとう世紀の一瞬の時がやってまいりました!」

テレビ・アナウンサーも、今日は妙に興奮していた。

それもそのはずである。

なにしろ今日は『石の日』。

この拳法家のリベンジ放送は全世界に生中継されているのである。

「忽然と姿を消した天才拳法家が、いま戻って参りました。どうですか解説の関根さん」

「いやあ、どうでしょう。なにしろブランクがありますからね。

しかし、この岩石を一撃で割ろうというのでしょう。

普通の人間ではまず不可能でしょうが、なにしろあの気迫ですからね。なにかやってくれるんじゃないですか」

「しかし関根さん、岩石は直径3メートルを優に越えていますよ。だいじょうぶなんでしょうか」

「まあ、見てみましょう」

男の燃える瞳がカッと見開き、宙高く跳んだ。

加速された手刀は3メートルの岩石を、まるで大根でも切るかのようにスタンと切り開いてしまった。

その直後である。

ものすごい地響きと共に、民衆は今世紀最大の衝撃に襲われたのだった。

・・・・・・拳法家は、勢いあまって違うものまで“真2つ”にしてしまったのだ。

そう、地球だって、ある意味では“石のかたまり”だったのである。

1月5日  囲碁の日

 かつて囲碁の名人であった、藤邑州吾朗ふじむらしゅうごろう死刑執行が執り行われたのは昨年末のことであった。

この事件は、“無差別連続殺人”の犯人が、当時の現役の囲碁名人であったことで世間を驚かせたのである。

遺体は本人の希望により、遺族には帰らず、医科大学の献体に回されることになった。

名人の脳の献体を得ることは、今後の医学の研究にも有意義だと、大学側も大いに喜んで受け入れたといわれている。

その日、薄暗い刑務所の受付に、州吾朗の娘である巳奈子みなこが訪ねてきていた。

州吾朗の遺品を受け取りに来ていたのである。

「お嬢さん」

振り向くとそこに老刑事の瀬崎せざきが、枯れ木のようにたたずんでいた。

“お嬢さん”というには、巳奈子の方も歳月を重ね過ぎていた。

当時の美少女はひとりの女性に変貌をとげていた。

見ると巳奈子は、胸になにやら大切そうな物をかかえている。

碁笥ごけ・・・・・・ですか」

碁笥とは碁石を入れる木製の器のことである。

「ええ。父の遺品はこれだけでした。骨壺じゃありませんのよ」

巳奈子は場を和らげようと、ちょっと冗談をいれてみる。

「わかっています。しかも、ひとつ・・・・・・ですか」

「はい、そうなんです。変でしょ」

「拝見していいですか」

「あの、構いませんけど、なぜですか」

「いや、ありがとう。わたしはね、今でもあなたのお父さんが犯人だとは信じられんのですよ」

「それはどうも・・・・・・」

瀬崎は巳奈子から碁笥を、まるで赤子を抱きかかえるようにそっと受け取るのだった。

碁笥の中身は黒石だった。

「ご本人が自供されたのですから、仕方がないのですがね」

待合室の椅子に座って、空いている机の上に碁石を並べ始めた。

「名人の自供通り、凶器のナイフもみつかりましたし、指紋もベタベタと必要以上についていた」

碁石は整然と左端から一列に並べられていった。

「死刑が確定してからも、ちょくちょく調べていましてね」

碁石が端から端まで並べられてしまうと、今度はその上を往復していく。

「まあ、刑事の趣味だと思ってください。悪趣味ですがね」

「・・・・・・」

「被害者はサラリーマンだったり、大学生だったり、タクシーの運転手だったり。
捜査の段階では共通点はみつからなかったのですがね。
どうやらある宗教団体に席を置いていたらしいことを、やっと突きとめたのですよ」

「はあ」

碁石はさらに往復して、すでに4列目に達していた。

「それでですね、巳奈子さん。当時あなたもその宗教団体に入っていた。違いますか」

「なにをおっしゃりたいのですか」

突然の発言に巳奈子は鼻白んで、今にも怒りだしそうである。

「この黒い碁石の中に・・・・・・」

瀬崎は最後の碁石を碁笥からつまみ出して、羅列された碁石の中心に置いた。

それだけが白い碁石だった。

「黒の中に白の碁石がひとつ。巳奈子さんは、イニシエーション(儀式)と称されてこいつらに凌辱されたのじゃありませんか。ひとつ・・・・・・ひとつ・・・・・・と」

老刑事は椅子の上からひとつずつ、白石をすべらせて黒石を机の上から弾き落としていった。

「州吾朗名人はね、あなたの身代わりになって自白したのと違いますか」

巳奈子の顔から表情が消えた。

そして肩を震わせ、声を殺して泣き崩れるのだった。

瀬崎は思った。

限りなく、黒にちかい白

黒の中に白(娘)がひとり

これは藤邑州吾朗の残した、最期のメッセージではなかったのだろうかと。

1月6日  ケーキの日

「いっそ、“わたしを食べて”ってのはどうだい」

高梨たかなしくん」

祐美子ゆみこが同僚の研究員を喰い入るようにまじまじと見る。

「ごめん、ごめん、ジョークだよ。ジョークだってば」

「それいいね」

「・・・・・・なに?」

ここは“物質融合研究所”である。

いちおう公的機関ではあるが、なにしろ人手不足で所長は大学教授を兼任していてふだんは不在である。

研究員も大学院生が三人のみで、あとは裏庭の犬小屋に、教授の愛犬“ポポ”が一匹いるのみである。

最年長で背の高い高梨。

研究と本にしか興味を示さない真一郎。

そして紅一点で美貌を持て余している如月祐美子きさらぎゆみこがそのメンバーである。

祐美子は真一郎に惚れており、なにかにつけモーションをかけるのだが、一向に相手にしてもらえないのが不満だった。

というより、気が付かないと言った方が正しい。

「お前ら見ていると、歯がゆいというか、なんというか・・・・・・」

「だってしょうがないでしょ。真一郎、根っから鈍いんだから。でも、そこがまたいいんだよね」

「はいはい。あ、ところで明日、真一郎の誕生日だって知ってた?」

「うん、なにかあげたいんだけど、まだ決まってないんだ」

「それじゃ、いっそ“わたしを食べて”ってのはどうだい」

高梨のアイデアはこうである。

開発中の機械を使って、ケーキと祐美子が合体する。

真一郎のデスクの上に、リボンをつけた化粧箱にケーキと共にメッセージを添えて置いておく。

わたしを食べて

真一郎が甘~いケーキを食べていると、中からさらに甘~いサイズダウンされた祐美子が出てくるという仕掛けだ。

もちろん、クリームがなくなれば、祐美子はもとの大きさに戻るようになっている。

翌日高梨は研究所にわざと遅れて出所した。これでも気を効かせたつもりなのだ。

「よう。おはよう真一郎。あれ、ケーキは?」

「ああ、あのリボンのついた箱。おれ、甘いの得意じゃないからさ」

「え」

「さっきポポにあげてきたよ」

そのとき裏庭から、この世のものとは思えない女の悲鳴が轟いた。

1月7日  爪切りの日

「みてくれよ。これが究極のつめ切りだぜ」

今を輝くIT企業のCEOをやっているキザで潔癖症の伊達男が言った。

「ふうん。何が違うんだい」

学生時代からの友達で主治医でもあるわたしは、診察しながら訊くともなしに訊いてやった。

それだけで彼が満足すると知っていたからだ。

「これはな、新潟の燕三条の職人が、一本一本手作りで作ったものなんだぜ。

見ろよ刃と刃がくっつくと、境目が見えなくなるだろ。切れ味がまったく違うんだよ」

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それからしばらくすると、また彼がやってきた。

さらに突きつめた自分専用のつめ切りを、海外のメーカーに開発してもらったのだという。

「みてくれよ。これがおれ専用のつめ切りだぜ」

「ふうん。金持ちのやることは違うな。こんどは何がちがうんだね」

友人が取り出したつめ切りは、小さな木琴のような形をしていた。

それが扇状になっている。

「“TIME IS MONEY”って言葉を知ってるだろ。これはな、10本のおれのつめを正確にシミュレーションしてあって、1秒でつめ切りが完了するっていう世界でひとつしかない究極の電動つめ切り機なんだよ。どうだ、すごいだろう」

「なるほどね。時間のないキミにはうってつけってわけだ」

「そう、そのとおり」

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ある日の朝、友が血相をかいて電話をかけてきた。

「たのむ!いますぐ往診にきてくれないか」

「なにがあった」

「来ればわかる」

仕方がないので彼の家に往診に行くと、両手両足に例の電動つめ切り機が喰いついたようにぶら下がっている。

どうやら手と足のつめをイッパツで切るつもりだったのだろう。

まるで半魚人がバタバタしているかのようだ。

「昨夜のカミナリと停電のせいでこの有りさまさ。まったく動けん」

いまにも泣き出しそうな顔で男は言った。

申し訳ないが、わたしは笑いをこらえ切れなかった。

「はは、つめ切りだけに・・・・・・“詰めきり”になってしまったわけだ」

1月8日  イヤホンの日

 あれは5年前の秋だった。

ぼくはママさんテニスのインストラクターだ。

自分で言うのもなんだけど、あるていどの美男子である。

よくある話で、気がついたらぼくはある生徒の女性に恋をしてしまっていた。

彼女も亭主持ちだったが、お互い惹かれるものがあったのだろう。

自然な成り行きで意気投合してしまったのだ。

ぼくの教室には常に20人ぐらいの生徒がいて、ぼく目当ての奥さんたちも多かった。

だから、ぼくと彼女は秘密のサインを作って、お互いの意思疎通を図っていたのである。

左手の親指と人差し指の先をつけて丸をつくり、アゴに手をやり、手首をひねって丸から左目をのぞかせれば“今日はOK”のサイン。

左手の親指を左耳に差し込んでほかの指を握ったり開いたりしたら“今日はNG”のサイン。

左手の小指を左耳に差し込んで左の親指を噛んだら“一昨日おととい来やがれ”である。

ぼくらの逢瀬はそう長くは続かなかった。

彼女の亭主がぼくらの関係を怪しむようになってしまったからである。

彼女はしばらくして、ぼくに何も言わないで、秋風が木の葉を散らすようにテニスクラブを去っていってしまった。

その後しばらくは、心の空洞に寒風が通り抜けるような日々を過ごすしかなかった。

今日も底冷えがするほど寒い日だった。

新緑のような色の電車の中で誰かがささやいている。

「ねえ、聞いた。庶務課のA子ったら、経理部のK部長と不倫してたんだってさ」

「うそう」

「ほんとよ。それでA子の旦那が怒っちゃって。会社に電話してきたんだって」

「大胆。それ、誰が対応したの」

「こともあろうに、その電話、K部長本人が取っちゃったんだってさ」

「ゲ~」

・・・・・・周りの喧噪が煩わしくなったぼくは、Bluetoothのイヤホンを取り出して耳に差し込んだ。

するとどうだろう“コネクティッド”という音声ガイダンスが流れ、音楽が流れはじめたのだ。

混線か。

いや、Bluetoothは混線などしないはずだ。

なんと、流れてきた音楽は、5年前に彼女とよく聴いていた想い出の曲だったのだ。

ぼくは周囲を見渡した。隣の車輛にぼくを見つめる彼女の姿があった。

そうか、これは彼女の携帯電話からなのか。

彼女は表情をまったく変えず、むしろ平然としてみえた。

そして彼女の腰のあたりから娘とおぼしき女の子が、しきりにこちらを盗み見ている。

顔が彼女にそっくりだった。

そして少女はぼくを見て、左手の小指を左耳に差し込んで、左の親指をしっかり噛んでいるのであった。

ぼくは苦笑するしかなかった。

1月9日  風邪の日

 幼馴染おさななじみというのは、ある意味困ったものである。

家が近所というだけで、冬美子ふみこはまるで自分の部屋のように我が家に上がり込んでくる癖がついてしまったようだ。

同い年とはいっても、彼女は1月、ぼくは3月生まれ。ちょっと彼女の方がお姉さんなのである。

「風邪ひいたんだって」

まだ昼下がりである。

スーパーの袋をかかえ、ダッフルコートを着込んだ冬美子がアパートを訪ねてきた。

椅子にコートを掛ける。

白い厚手のセーターにピッタリしたジーンズ姿がまぶしい。

せっかく東京の大学に入って、一人暮らしをはじめたばかりなのに、親が監視役として冬美子に合鍵を渡してしまったのだ。

よりにもよって、同じ大学を受けていたとは露知らず・・・・・・。

「お母さん心配してたよ」

「余計なお世話だ」

たしかに冬美子は頭が良くて、よく宿題を写させてもらったことは間違いない。

生徒会で広報をやっていた時にもそうだった。

インスタントカメラの『写ルンです』を構えて、運動会で走っている者をそっちのけで、

冬美子ばかりをファインダーに収めていたのも事実だ。

そう、そしてもう二度とそんなことはしないと心に誓ったのだ。

そうだ、大学生にもなって恋人の選択肢が冬美子しかいないなんてことはないはずだ。

ぼくには、まだ多くの女性と知り合い、恋に落ち、愛を育み、幸せな家庭を築く、夢と希望に満ちあふれていていいはずなのだ・・・・・・。

ドアチャイムが鳴る。

冬美子がドアを開けると、中年女性が二人そとに立っていた。

「神はあなたの罪をお許しになります。よろしければこちらの本を・・・・・・」

「けっこうです」

するとまたチャイムが鳴る。

今度は女性がひとりである。

「〇×生命からやってきました」

「病人がいるので結構です」

「なら、なおさら生命保険を」

「彼は死にません」

ドアを閉めるとまたチャイムが鳴る。

「幸運の水を買いませんか。今なら5リットルサービス・・・・・・」

「病人がいますけど、まったく必要ありません。・・・・・・どうなってんのこの部屋は」

冬美子があきれた顔で振り向くと、ドアが乱暴に開けられた。

男がひとり、なだれ込んできた。

手には出刃包丁を持っている。

「きゃ」冬美子が悲鳴をあげる。

「静かにしろ。悪いな。ちょっと人を殺っちまってよ。警察に追われてるのよ」

「あの、病人がいるんです」

なんてことだ。

『犯人に告ぐ。おまえは完全に包囲されている。無駄な抵抗はやめて出てきなさい』

警察隊らしい。窓の外から拡声器を通した声が聞こえる。

「黙れ!」

窓に向かって男が叫ぶ。

「あの、ちょっとお静かに。病人が・・・・・・」

男は冬美子の首に左腕を回し、右手の包丁を彼女の喉元に当てた。

「さもないとこの女の命はないぞ!」

「あの、ですから病人」

「うるさい!」

「うるさいとはなんだ!」

冬美子の腕が犯人の腕を掴むと、そのまま男の腕を捻じりあげ、右足で男のひざを蹴りあげる。

あわれ男は、一本背負いで窓の外に投げ飛ばされてしまった。

男の叫び声が小さくなっていく。

「冬美子ちゃんかっこいい」

そう、言い忘れたが彼女は柔道四段の腕前なのである。

その夜・・・なんてことはない。

“心の誓い”なんて簡単に破られてしまうものだ。

ぼくは、すっかり冬美子に風邪をうつしてしまった

しかも濃密な寝技で。

1月10日 110番の日

 田口たぐち巡査がN交番に配属になったのは、まだ年が明けたばかりの早朝であった。

配属先の三田みた巡査部長(上司)と佐野さの巡査に挨拶を済ませた後、デスクに座り管轄地域図を頭にいれているときである。

交番の電話がうずくような音で鳴り出した。ディスプレイには『水縞みずしま』の表示。

巡査部長と佐野巡査は一瞬顔を見合わせ、その視線を戦車の主砲のように田口に向けた。

“電話に出ろ”ということらしい。新米であるから仕方がない。

「はいN交番」

「あたしよ」

若い女性の声である。

「ええと・・・・・・水縞さんですか」

「そうよ」

交番に“あたしよ”で掛けてくる人も珍しい。

「どうなさいました」

「家に侵入者がいるみたいなんだけど。すぐ来てくれないかしら」

「了解しました。ご住所は」

「知ってるでしょ。大至急ね」

そこで電話は一方的に切れた。

三田部長と佐野はやれやれといった顔をしている。

「田口巡査、それじゃ一緒に行こうか」

佐野が重い腰を上げる。

「誰なんです。水縞さんて」

「常連のお得意さんだよ」

佐野はにっこりと笑った。

どうやら彼女は交番通報の常習者らしい。

彼女は閑静な住宅街のアパートの2階に住んでいた。

ぼくらは警邏自転車を停めて階段を上がっていった。

おばさんなのかと思っていたが、水縞さんは結構若かった。目を見開いたところなどは、なかなかの美人だ。

それにしても、アパートの一室に侵入者とは確かに一大事である。

「侵入者はどちらですか」

「奥の部屋よ。すばしっこいから気を付けて」

「すばしっこい?」

私たちが部屋に入ると、壁に一匹のゴキブリを発見したのである。

その後田口は、2日と空けずに招集のかかる水縞美音子の担当にさせられてしまった。

新米だから仕方がないか。

狂言とわかってはいても、警察としては通報があれば駆けつけないわけにはいかないのだ。

暇な時ならまだいいが、事件が立った日などは大迷惑もいいところである。

しかし、そこは若さゆえであろうか。

何度も顔を合わせるうちに、いつしか彼女からの電話を心待ちにしている自分に田口は気がつかなかったのだ。

そんなある日のこと、水縞美音子みねこからの通報がパタリと途絶えて来なくなった。

通報が来たらそれはそれで煩わしいのだが、来なくなるとこれはこれで心配になる。

とうとう田口は非番の日に彼女のアパートを訪ねてみることにした。

すると彼女の部屋はドアが開いており、家財道具もなく、完全な空き部屋になっていた。

「かわいそうにねぇ」

後ろから初老の女性が話しかけてきた。

「あの・・・・・・水縞さんは引っ越されたのですか」

「はあ?何言ってんのさ。あの娘は半年前に亭主のDVで亡くなったんだよ。必死に警察に電話かけようとはしていたみたいなんだけどね」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「あんた、これでよかったのかね。警察からかってさ。ほんとたちの悪い女だね」

「いいのよ、あの田口って巡査、最初にここに来たときはビックリしたわ。学生時代にこともあろうに、このわたしのこと振ったのよ。ちょっとはらしめてやらなくっちゃ」

その後、町をうろついていた水縞美音子は、田口巡査に公務執行妨害の現行犯で確保された。

名前も“田口美音子”となり、永久禁固刑に処されることになったというのは後日の話である。

1月11日 樽酒の日

「あんな、こんどの新年会で鏡開きやろうと思ってんのやけど」

夜もふけた頃、自治会館にはまだ明かりが煌々こうこうと灯っていた。

町内会の幹事の助六すけろくと、会計をやっている定吉さだきちが、新年会の下打ち合わせをしているのである。

「鏡開きって、あの樽酒を木槌きづちで割るやつか」

「そう、それそれ。そんでな、ただの鏡開きじゃつまらん思うてな」

「ほう、どないすんの」

定吉は腕を組んで助六を見返した。

「酒入れるの、やめよう思うてんねん」

「はあ?樽に酒が入ってなくてどないすんねん。鏡開きやぞ」

助六は牡丹ぼたんの花みたいな口をひん曲げてニンマリとする。

「そこや。樽だけに、タルタルソース入れようと思うねん」

「アホかお前。どこの世界にタルタルソースで新年の乾杯するやつがおんねん」

「いやいや、酒は人生を狂わす。ここはタルタルソースで行く」

「そいでなんや、タルタルソースでカンパ~イてやるんかい。アホくさ」

「タルタルソースなんて飲むかいな」

「お前だって今、タルタルソースで鏡開きやるって言うたやないか」

「エビフライよ」

「エビフライをどうすんねん」

「ええか、みんなでフォークにエビフライを突き刺して持つんよ」

「ほんで」

「鏡を割った樽のタルタルソースを一斉につけてやな、エビフライを食べつくす!」

「どういうこと?」

「エビフライだけに、今年も“笑み(エビ)”が絶えません。どうや!」

「やってられんわ」

新年会の打ち合わせはその後も続いた。

鏡開きのために用意してあった樽酒は、その夜のうちにほぼ空になってしまったそうな。

1月12日 スキー記念日

 結婚生活が終結を迎えた。

7年連れ添った妻と別れたのだ。

いや、たしかに他人から見たらわたしは、チャラチャラしていたのかもしれない。

冬になるとほとんど家にいない。白銀の世界にひたるからだ。

スキーの苦手な妻はいつも家に置いてけぼり。

しかもシーズン中には何人もの愛人ができてしまうのが常だった。

そのくせ、スキーを脱いだぼくにはほとんどの女が魅力を感じないらしい。

シーズンオフにもなるとその全ての愛人から見放され、結局妻のもとへ戻るのが年中行事のようになっていた。

この山は、ぼくの戦場である。

一秒でも早く山を滑り降りてくるのが日課だ。

今年はもう、帰る場所(妻)がないのかと思うと、ときどき心にポッカリ空いた穴を、雪礫ゆきつぶてが通り抜けるような寂しさを感じた。

ふもとに到着すると、すぐまた燕のように旋回してリフトに乗り込む。

二人乗りのリフトであるから、知らないスキーヤーと隣り合わせになることもある。

今回は髪の長い女性であった。

ウェアはピンクの“サロモン”で、“スミス”のゴーグルをつけている。

ストックリ”のストックに、板に目を移すとこちらは“アトミック”製らしい。

結構できる女なのかもしれない。


「お一人ですか?」

「ええ・・・・・・」

「ここへはよく来られるんですか?」

「はじめてです。ここのコースは難しいですわね」

「あ、その板、新しく出たアトミックですよね」

ごく自然にわたしの口から言葉がこぼれていた。

「そうですけど」

“鈴を転がすような”とは、こういう声を言うのであろう。

「地元の方ですか」

「いいえ、東京です」

「あ、奇遇ですね。ぼくは豊洲からなんですよ」

「あら、それなら近いですわ京橋の方からですの」

「あ、そうですか。実家があります」

えんをたたえた女の唇がニコっと笑ったような気がした。これは行けそうだ。

「よかったら、下でビールでも飲みませんか」

リフトが頂上に着く。

彼女をエスコートするように先に降りてターンした。

エッジを効かせて止まると、ぼくはニッコリと白い歯をみせて彼女をかえり見た。

「さあ、ご一緒しましょう」

「どうでもいいけどあなた、自分の母親を口説いてどうするつもり?」

「!」

「傷心のまま山に入ったって訊いたから心配したわよ。ナンパするだけ元気があるなら大丈夫ね」

そう、ぼくはまたもや滑ってしまったらしい。

しかも完璧に・・・・・・。

1月13日 たばこの日

 月曜日、組織の本部に郵便物が届いた。

「隊長、園田そのだ隊員から郵便物が届いております」

「うむ。中身は何だ」

「それが、タバコひと箱であります」

「タバコがか。何の意味だ」

「わかりません」

「なにか意味があるはずだ。しっかり考えろ!」

ここは国家の諜報活動組織である。

一週間前から、隊員の園田勝雄かつおには敵国の潜入任務に当たらせていた。

敵に動きがあったら、なんらかの形で連絡をする手筈てはずになっていたのである。

しかし、これはなんだろう。

「タバコ、タバコ・・・・・・シガレット・・・・・・もしかすると」

「なんだ」

隊長が色めき立つ。

「滋賀列島に爆弾を落とされる危険があるとか・・・・・・」

「そんな列島はない」

「・・・・・・ですよね。しかし、敵国は“人工地震兵器”を開発したはずです。必ず近いうちに使ってくると思われます」

「うむ、それがいつなのか。園田め!タバコだけじゃわからんぞ!」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

そうこうしているうちに、木曜日に大地震が発生した。

市街地は完全に崩壊、交通機関も通信機能も麻痺状態となった。

そこへ園田がほこりにまみれながらふらりと帰還してきた。

いやに涼しい顔をして笑っている。

「隊長、お役にたてましたかね。ぼくのメッセージ」

「なんだと、さっぱりわからなかったぞ。あれは何だ」

隊長は渋い顔をしている。

「え、せっかく事前にメッセージを送っておいたのに」

園田はあきれ顔である。

「あのタバコのことですか」と伍長が訊く。

「そう、ちゃんと“水(曜日)過ぎに注意しましょう”て書いてあったろうに」

隊長のカミナリが落ちた。

「わかるか!」

1月14日 愛と希望と勇気の日

「あれは何だ!」

「鳥だ」

「ヒコーキだ」

「いやあれは、愛と希望と勇気の戦士“アイダー・マン”だ!」

・・・・・・と言われていたのは、ひと昔も前の話である。

最近は中々そうもいかないのだ。

先日も白昼堂々、銀座の宝石店で強盗があった。

しかしアイダー・マンが現れたのはすでに犯人が逃走したあとだった。

残念!」

観光用の潜水艦が行方知れずになった。

アイダー・マンが現れたのは、捜索した沿岸警備隊が筐体きょうたいを引き上げているときだった。

おしかった!」

そしてキングコングが東京スカイツリーで大暴れしたときも、コングが地面に落下して、道路に大穴をあけたあとだった。

こんなはずじゃなかったのに・・・・・・」

アイダー・マンがコングの左手に握られていた金髪の美女から、たらふくビンタを喰らったのもそのあとだ。

「あんた、なにやってたのよ。あたし死ぬかと思ったんだからね」

「だって、しょうがないじゃないか」

「え※りかずきかお前は。なんでだよ!」

「携帯電話の普及で、着替える公衆電話がなかなかみつからないんだよ」

1月15日 イチゴの日

「パパのウソつき。これでおまえの心臓を撃ちぬいてやるからな!」

そう叫ぶと、息子のわたるがオモチャのライフル銃を構える。

「よしなさい。パパは急なお仕事なんだからしょうがないでしょ」

妻の良枝よしえが救援に入ってくれた。

「うっ、撃たれた!」

わたしはその場に倒れそうになりながらも、玄関で靴を手早く履くのであった。

「渉、ごめんな。明日行こう。明日は絶対だいじょうぶだからさ、な」

「あなたいってらっしゃい」

良枝が小さく手を振ってくれる。

「この裏切り者!」

息子が口をへの字に曲げる。

背広を引っかけて、転がるように玄関を出た。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

今日は土曜日である。天気もいい。家族三人で遊園地に行く約束をしていたのだ。

医療機器メーカーの営業などをしていると、得意先の医院長から突然ゴルフのお誘いを受けることは日常茶飯事のことなのである。

しかし今日はゴルフではなかった。

医院長家族の“いちご狩り”のお供にご指名を受けたのである。

話をきくと、おかかえ運転手が風邪で熱を出してしまったとのこと。

白髪で髭をたくわえた初老の医院長に似合わず、婦人は意外なほど若々しく、見ようによっては美人であった。

息子は渉とほぼ同じぐらいの年のようだ。

ワンパクである。接待ゴルフ以上に気をつかう。

イチゴ農園で申し訳ていどの練乳が入ったプラスチック容器を受け取り、1月なのに南国のような熱気のハウスでいちご狩りをはじめた。

生温かいいちごが口の中で潰れ、いちごの甘さが洪水のように広がった。

「ああ、渉たちにも食べさせてあげたかったな・・・・・・」

わたしは残り少ない練乳に目を落としながらつぶやいた。

(そうだ、少しぐらいポケットに入れて持って帰ってもわからないんじゃないか)

わたしは背広の内ポケットに赤い実を入るだけ入れて微笑んだ。

いちご狩りは時間制限があるのがいい。ものの1時間もするとタイムアップとなった。

帰り道も慎重に運転した。一家団欒だんらんの医院長家族を無事に帰宅させることに集中していた。

医院長の高級車を車庫に入れ、医院長一家にご挨拶をして帰るのだ。

「戸田君、今日は急に呼び出したりして済まなかったな」

「いえ、とんでもございません。わたくしまでいちご狩りをさせていただき楽しかったです」

「そうかね。君がこのあいだ紹介してくれた医療機器だがね、導入することにしたよ」

「え、ほんとうですか」(やった!)

「ところで、明日ゴルフでひとり欠員がでたんだが、来れるかね」

「もちろんですとも!」と、わたしはドーンと胸を叩いた。

それと同時に甘い匂いが立ち上り、左胸に赤々と染みが広がって行くのがわかった。

頭の中で渉の声が聞こえたような気がした。

『パパのウソつき。これでおまえの心臓を撃ちぬいてやるからな!』

1月16日 禁酒の日

 酒に目のない金蔵きんぞうの夢は、伝説の養老の滝を見つけることであった。

全国の山奥を訪ね歩き、探し続けること二十余年、とうとう山路で倒れてしまった。

倒れた場所が茶屋の近くであったのが幸いした。

老人とその娘が切り盛りしていたその茶屋は、繁盛こそしていなかったが人情に厚かった。倒れた金蔵を甲斐甲斐かいがいしく看病し、いつしか娘と金蔵は結ばれることになった。

「当分酒はお慎みなられたほうがよかろう。このままでは命がなくなるぞ」

桶で手を洗いながら、町医者が噛んで含めるように言う。

夫婦めおとになったころには、茶屋の主人も他界していて金蔵たち夫婦二人きりで生活をしていた。

長年の酒浸りの生活に馴れ親しんだ金蔵が二度目に倒れたとき、町医者が往診に来てくれたのである。さりとて酒をやめられるような金蔵ではなかった。嫁の米子よねこに隠れてでも酒を飲む毎日なのである。

困り果てた米子は町医者に泣きついた。

「先生、なにか手立てはございませんか・・・・・・」

「ないこともないのじゃが・・・・・・どうだろうな」

数年後である。

茶屋に金蔵の古くからの友人が訪ねてきた。

「お、留吉とめきちじゃねえか」

「金ちゃん。久しぶり。なんかすげえ儲かってるようじゃねえか。村じゃ評判だぜ」

「おう。なんだか急に人が集まってくるようになってな」

「あら、いらっしゃいませ」

米子が奥から花のような笑顔をみせる。

「故郷の吉だよ」

金蔵が留吉を紹介する。

「はじめまして」

「こちらこそ」

「ちょっくら、用足しに行ってくるからよ。待っててくんろ。今日は泊まっていけるんだろ」

金蔵がおちょこをかかげて“ぐい”と呑む仕草をして出ていく。

「留吉さん。ごめんなさいね」

「なにがです」

「じつはお願いがあるんですよ。うちの人、お医者の先生に暗示をかけてもらってましてね」

「暗示・・・・・・ですかい。はて何の」

「そう、“催眠術”の一種らしんですけどね。毎晩うちのひとが酒屋さんから買ってくる徳利の中身をかめの水とすり替えていまして」

「はあ、酒を水に」

「そう、その水が酒の味がするように暗示をかけてもらっているんです。ですから、申し訳ないのですが、今晩は水でつき合っていただけますか」

「へえ、するってえとあれですかい。あの呑兵衛の金ちゃんが、最近は一滴も酒を飲んでいねえと」

「はい」

「金ちゃんの買ってきた酒はどうしてるんです」

「裏に川がありますでしょ。夜な夜なそちらに流してるんですの」

「ああ、なるほど。・・・・・・それでかぁ!裏の川って、そこの滝につながってるでしょうが。今じゃ“養老の滝”だって評判になってますぜ」

「はい。おかげさまで」

「はあ!“夫婦水入らず”ってのはこのことだな」

「水じゃなくて、酒いらずですけどね」

1月17日 おむすびの日

開発社員は会議までに、最低ひとり1つずつアイデアを持ち寄ること

1月なのにその日の公園は、ぽかぽか陽気であった。

加藤かとうすすむは、ベンチに座り昼食のおにぎりを広げたところである。

彼はオモチャメーカーの開発企画部に勤めていた。

その日の午後に新製品開発会議があるのだが、まったくアイデアが浮かんでこない。

当然食欲もなく、ただ茫然ぼうぜんと小さな子供達がすべり台で遊んでいるところをながめている。

「まったくどうかしているぜ」

知らぬ間に、隣に大きな男が座っていた。

「な、そう思わねえか」

男は加藤に話しかけているのである。

「は。なにか」

「だからよう。穴の中に転がって行ったとしてもよ」

「はあ・・・・・・なにがですか」

男は古めかしいグレーのコートを羽織っている。

丸いサングラスをしていて、口がとがっていて、ちょび髭をはやしていた。

加藤はどこか動物的な顔をしている人だなと思った。

浮浪者なのかもしれない。

「むすびだよ!」

「あ、これよかったら」

どうやら、おむすびが目当てのようだ。

「ちげーよバーカ。いくらネズミだからってよ、おむすびが穴の中を転がってきたとしてもさ。そんな泥や砂利のついたむすびなんて食えっかってことだよ」

「それって・・・・・・」

「こんころり~ん。なんて言うかよ。しかも2つも転がしてきやがってよ」

ようやく合点がいった。

「童話の話ですか」

「そうよ。しかもテメー、ネズミが通れる穴だぞ。人間が転がり落ちるたあ、どうゆう了見でえ!」

男はポケットからハンマーのようなものを取り出すと、やおら加藤に振りかざしてきた。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。それはわたしじゃなくて」

加藤はベンチから飛びはねた。

その時ひざからおむすびが石ころのように転がり落ちてしまった。

「ほら、やっぱりおめえじゃねえか。あの穴はな、おれがネズ公たちのために掘ってやった穴なんだよ。それをお前みてえなやつが入るわけねえだろうが。ネズ公一家を生き埋めにしやがって」

ハンマーが無情にも加藤の頭上に振り下ろされた。

気がつくと、冬だというのに冷や汗をかいていた。

加藤の膝には“おむすび”ではなく、おもちゃのハンマーがひとつ置いてあった。(そうか、あいつは)

周りを見渡すがおむすびも男も消えていた。

会議では、加藤のアイデアが採用された。

これが後日『モグラたたき』として大ヒット商品に成長したのだと言われているとかいないとか。

1月18日 都バスの日

 わたしたち高校3年生トリオは、その日バスの最後尾に座っていた。

「ね、見てよあれ」

隣の好美よしみがささやく。

「なに?」

早紀子さきこは朝セットした栗色の髪をくねくねしている。

「あれよ、あれ。あのおっさん」

好美が指をさす。

亜紀あきも何気なくその先に目を向ける。

そこにはある人物がいた。

(ゲ最悪)あたしの親だ。

さほど混んではいない車内である。

前から2列めに、ハゲたおやじが座って足を組んでいる。

ヨレヨレのジャージにサンダル履き、耳には赤えんぴつを刺している。しかもくわえ楊枝で、新聞らしきものを真剣に読んでいた。

「だっさいよね。日本の恥だわ」

好美の言葉は、アイスピックの先端にも負けないぐらいに尖っていて、冷たく亜紀の胸に突き刺さる。

「やめなよ。聞こえるよ」

早紀子がたしなめる。

さすがわがクラスの委員長である。

ここは穏便にして切り抜けたい。

「都バスだよこれ。東京都にあれはないわ。ね、亜紀もそう思うよね」

「・・・・・・う、うん。そうだね。ひどいね」(早くどこかで降りてくれ。たのむ)

次の停留所でバスが止まると、大男の外国人が乗りこんできた。

バックパッカーなのか、おおきなリュックをしょっている。

「How far does this bus go?(このバスはどこ行きですか)」

外国人が問いかけたのだが、年配の運転手はきょとんとしている。

「ズィスイズ、サ、サークルバス」

どうやら循環バスといいたいらしい。

「How to pay?(料金はどうやって払えばいいのか)」

「ペ、ペイ?」

まさか林家ペイだとは思っていないだろうが。

そのときハゲ親父が立ち上がった。

「What’s happen?(どうしました)」

「I would like to know where the bus is going and how to pay the far.(行先と、払い方を知りたいんだ)」

「Where do you want go?(どこへ行かれたいのですか)
You can put the fare in the fare box there,or hold your electric money card over it when you get off the bus.(料金はそこの料金箱に入れるか、バスを降りるときに電子マネーカードをかざせばいいのです)」

「ええ!」

「なに!」

早紀子と好美が顔を見合わせる。

「Ok.Shall we all go to hell then?(オーケー、じゃあみんなで地獄に行こうか)」

男の手にはピストルが握られていた。

次の瞬間。

ハゲ親父の新聞が外国人の顔に投げつけられ、ピストルが跳ね上がり、大男はハゲ親父にねじ伏せられていた。

「I’m a police officer.(警察だ)
I will arrest you red-handed on suspicion of violating the Firearms and Swords Act and confinement.(銃刀法違反と監禁容疑でお前を現行犯逮捕する)
運転手さん通報を」

「は、はい」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

バスを降りると行先の掲示が『緊急事態発生!』に変わっていた。

そこに親父が立っていた。

「よお、亜紀。お前も乗っていたのか。よかったな無事で」

(う、話かけられてしまった)

「ええ!亜紀のお父様だったんですかぁ!カッコ良かったですう」

手の平をかえした好美が歓喜のおたけびをあげる。

「あ、友達?いつも亜紀がお世話になっています」

「とんでもないこちらこそ。今日は潜入捜査かなにかですか」

(変装じゃねえよ)

優等生の早紀子が尊敬の眼差しを親父に向ける。

「うん、まあ・・・・・・そんなところかな」

(嘘つけ、非番で競輪に行こうとしていたくせに。でもまあいいか、父の日にはなにかおしゃれな帽子でも買ってやろう)

1月19日 のど自慢の日

「完璧だ」

この音は、ふつうの人間には聴くことすらできない

それはコウモリなどの特殊な超音波に近い音なのである。

わたしは、この島唯一の“耳鼻咽喉科”の医院長なのだ。

市長選だってここ数回立候補してる。言ってみれば“島の名士”だ。

ところが、ここ数年、対立候補の土建屋の山村に毎回手痛い目にあっている。

そこでわたしはある完全犯罪を思いついた。

先日、わたしが偶然に発見した中耳炎用の塗り薬を使うのである。

これを使えば、ある一定の音を数分聴かせることによって、薬を塗った相手の脳細胞を壊死させて、死に至らしめることができる。

しかも、まったく痕跡が残らないのが利点だ。

わたしはその周波数を出せる歌の研究をし、とうとう中田聖子のある歌が最適であることをつきとめた。

それから毎晩、その歌をカラオケで練習に練習を重ねて「周波数カウンター」でOKがでるまでに熟達した。

検診日は島唯一の娯楽『のど自慢大会』が開催される前日を選んだ。

ほぼ全島民がわたしの歌を聴き入れるはずだ。

島の耳鼻科検診はわたしが行っているから、山村や対立候補になりそうな人物には薬をたっぷり塗ってやった。

全島民の面前で歌うのだから、アリバイだって完璧だ。

「それでは11番、耳鼻咽喉科の医院長が歌います『今日もあなたはひとりぼっち』です。どうぞ!」

わたしはマイクに向かって歌ってやった。

(フフフ、やったぜ!)心の中で微笑んだ。

次の瞬間、たったワンフレーズ歌っただけで、乾いた甲高かんだかい鐘の音が『カ~ン』とひとつだけ鳴り響いたのである。

・・・・・・なんと、この周波数の歌は誰ひとりとして聴き取ることができなかったのである。

聴衆には、変なおっさんが、真っ赤な顔をして大口を開けているだけにしか見えなかったのだ。

1月20日 海外団体旅行の日

「パパ、これなに・・・・・・お土産?」

ひとり娘の美子よしこが、テーブルの上にある箱を開けようとした。

「あ、待て。やめろ!」

というわたしの声と、妻の奈々江ななえの絶叫が同時だった。

しかし、その叫びもむなしく美子は箱を開けてしまった。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「本日は海外ミステリーツアーにご搭乗いただきまして、まことにありがとうございます」

わたしと妻は、結婚25周年のいわゆる“銀婚式”を迎えていた。

当時は両親の反対を押し切り、無理やり籍を入れてしまったので、結婚式も挙げておらず、新婚旅行にも行くことができなかったのだ。

そこで、ひとり娘も大学生になったことだし、記念に二人で海外旅行の団体ツアーに申し込んだというわけである。

「本機はまもなく、フロリダ半島を通過し、これよりバミューダ諸島を経由してプエルトリコに向かいます」

旅先をどこにするのかさんざん迷ったあげく、ミステリー好きの妻とわたしが選んだのが行先の分からないこのミステリーツアーであった。

「おい、ここってまさか・・・・・・」

バミューダ・トライアングル・・・よね」

「だいじょうぶだろうな」

「前方の雲の中に入ります。少々揺れることが予想されます。シートベルトをお締め下さい」

機長のアナウンスが聞こえると、旅客機は真っ白な霧の中に突入していったのであった。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

わたしは高校1年生に戻っていた。

いつも同じ電車で通学しているひとつ先輩の飯島洋子いいじまようことホームにいた。

少し栗色かかった真っ直ぐな髪。整った顔立ち。すらりと伸びた長い足。

わたしは彼女に本を渡そうとしていた。

本の間に手紙を挟んでいた。初めて書いたラブ・レターだった。

心臓がふくらんだ風船ガムのように今にも破裂しそうだった。

「あの・・・・・・」

「はい?」

飯島洋子は子リスのように小首をかしげてわたしを見た。

一瞬頭の中に電気が走って、わたしはその場を駆け出した。

そう、渡せなかったのである。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

その後、何が起きたのかはよく覚えていない。

ただ、甘酸っぱい想い出を満喫したのは間違いないようだった。

旅行の最後に、わたし達ふたりはお土産を手渡された。それは浦島太郎の玉手箱のようだった。

わたし達は家に戻ると、お互いの“玉手箱”をテーブルの上に置き、さあこれをどうしたものかと思案していた。

開けたとたんあの頃に戻ってしまうとか。

それとも前に座っている妻が、奈々江ではなく、飯島洋子に変わっていたらどうしよう。

わたし達はお互いの顔を見合わせ、ため息をついた。(そんなバカな)

妻はコーヒーを淹れにキッチンに立った。

わたしは小用でトイレに立った。

戻ってみると娘の美子が箱を開けていた。

「あ、待て、やめろ!」

・・・・・・なにも起こらなかった。

中を確認すると、妻の箱にはハート型のチョコレートが1枚入っていた。

わたしの箱には、一葉の手紙が本に挟まれていた。

宛名を見ると飯島洋子様ではなく、結婚前の妻の名前に書き換えられていた。

妻はわたしにチョコレートを両手でよこした。そこにはわたしの名前がデコレーションしてあった。

わたしも妻にラブ・レターを渡したのだった。

1月21日 ライバルの日

「シン、先に行くぜ」

そう言い残すと、マコトはペースを上げた。

「無茶だ」

42.195kmを走り切るにはペース配分がことのほか重要だ。

マコトの体力は幼い頃から一緒に走っているシンが一番よく知っていた。

「マコトよせ、まだペースをあげるには早すぎるぞ」

残り20キロ地点である。

シンはマコトの背中を凝視しつつ、そのままのペースを維持し続けた。

沿道の声援が木霊こだまのように響き渡る。

残り10キロ地点になると、マコトの姿はもはや点にしか見えなかった。

シンの後ろには3位以下の選手の一団が影のようについてきている。

シンも徐々にペースを上げていった。

まとわり着く過去を脱ぎ捨てるかのように。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「シン、好きなんだろ。琴美ことみのこと」

「え、なんだよいきなり」

「じれってえんだよ。好きなら好きって言えばいいじゃねえか」

「マコト・・・・・・お前」

「ああ、俺も琴美が好きだ。お前が言わないならおれが先に告る」

「よせよ」

琴美とは、陸上部のマネージャーのことである。

こけしのような顔をしていて、ちょっと可愛げがある娘だ。

なにかにつけて世話を焼いてくるところが鬱陶うっとうしいが嬉しい。

「じゃあ、こうしよう。次の試合で先にゴールした方が琴美に告白する。これで文句あるまい」

「・・・・・・」

「返事がないなら、OKってことだな」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

次第にマコトの姿が視界に入ってくる。

やはり体力の限界に来ているのだ。

今は気力だけで走っているに違いない。

そういうシンも最後の気力を振り絞って走っている。

マコトには絶対に負けられない。

遠くに白いゴールのテープが見えてくる。

そこに赤いジャージ姿の琴美が、タオルをかかえて、ちぎれんばかりに手を振っているのが見える。

あと少しだ。

100メートル、50メートル、30メートル、20メートル・・・・・・

マコトの身体にシンの姿が重なった。

残り10メートル・・・・・・

マコトとシンの視線が一瞬からみ合う。

5メートル・・・・・・

マコトが笑ったように見えた。

1メートル・・・・・・ゴール!

ゴールに飛び込んだシンは、琴美に抱きかかえられていた。

「やった!自己新記録更新おめでとう」

「あ、あのさ」

肩で息を弾ませながら、シンは琴美の瞳をのぞき込む。

「こんな時になんだけど、す・・・・・・好きなんだ琴美のこと」

そう、ライバルは自分なんだ。

自分自身だ。

しんはいつでもまことと闘っていたのである。

1月22日 カレーの日

「やはり何かが違うな」

妻の作ったカレーを食べ終えてわたしはスプーンを置いた。

「いったい何なのかしらね。亡くなったお義母さまにレシピを教えていただいて、その通りに作ったのよ」

眉を寄せ、恨めしそうに、母の遺影を眺めながら妻がため息をつく。

父が早くに他界して、わたしは母一人、子一人の母子家庭で育ってきた。

わたしの家庭は貧乏で、周りの友達とは根本的に違うのだと思っていた。

着ているものは粗末だし、食べる物も贅沢な食事には縁がなかった。

しかし母はいくつも仕事を掛け持ちして、このわたしを大学まで行かせてくれた。感謝しかない。

ただ唯一、母の作ってくれたカレーライスの味だけは今でも忘れられない。絶品であった。

社会に出てから大手不動産会社に入社し、数年後には独立して自分の会社を立ち上げた。

そして母はわたしが結婚してしばらくすると、肝臓ガンで他界した。

現在の妻は、その頃の秘書である。

わたしに喜んでもらうため、母の死の間際、母のカレーの作り方をメモしてくれたのも彼女だ。

カレーのルーは一般的な市販のルーだ。

具も特殊なものなどもちろん入っていなかった。

それでも何か隠し味があるのではないかと、しつこく尋ねたらしいのだが、そんなものはないと言う。

しまいには、当時料理に使っていた鍋を借りてきて作ってみたのだが結果は変わらなかった。

残念ながらあの時のカレーを再現することはできなかったのである。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

数年後、バブルが崩壊して日本経済は破綻した。

わたしの会社もそのあおりを喰って、倒産を余儀なくされてしまった。

わたしは豪邸を売り、妻と共にアパートの一室で再起を図ることになった。

食事も質素になり、生活用品は切り詰められるだけ切り詰めた。

ある日妻がカレーを作ってくれた。

「!」わたしは驚いた。

それはあの時食べた、母のカレーと同じ味だったのだ。

「そうか、もしかして・・・・・・昨日“おでん”だったよな」

「ええ」妻は頷いた。「汁を捨てるのもったいなくて、そのままカレーに使ったの」

1月23日 アーモンドの日

「全員その場を動くな!」

その時わたしは“友達のひとり”としてではなく、警察官として全員の行動を制限した。

わたし達は大学サークルの旧友に呼ばれて、銀行家紺野の古色蒼然こしょくそうぜんな豪邸に集ったのであった。

サークルと言ってもただの麻雀仲間ではあったのだが・・・・・・。

集まったのは建築家の白木しらき、作家の赤塚あかつか、大学助教授の黒田くろだと警部のわたし青山あおやまだけだ。

若いメイドのみどりに案内されて大広間に集まったはいいのだが、当の主催者はいつまでたっても姿をみせる気配がない。

「みどりさん、紺野はどうしたの」

黒田が業を煮やしてみどりに言った。

「書斎にいらっしゃるのですけど・・・・・・さきほどから内側から鍵がかけられていまして」

みどりは茶器を片付ける手をとめて、眉をひそめた。

「ちょっと心配だな。何かあったんじゃないか」赤塚が紅茶をテーブルに置く。

「合鍵はないのかい」白木が尋ねる。

「ございます。少々お待ちください」

「じゃ一緒に行こう」

とわたしが言い出すと、手持ち無沙汰だったのか、その場のメンバー全員が席を立ったのである。

書斎は二階の突き当りであった。

みどりが年季の入ったドアをノックして声を掛けるのだが、返答はない。

みどりは鍵束から真鍮しんちゅうの鍵を探し出すとゆっくりと扉を押し開けた。

「きゃ!」

みどりの悲鳴と、紺野が床に倒れているのが目に入るのが同時であった。

「おい、どうした」

わたしはすぐさま紺野に近づき、脈拍を測ったが反応はなし。呼吸を確認しようと顔を近づけると、口元からアーモンド臭がした。

(青酸カリ?)

「毒殺の可能性がある。全員その場を動くな!」

数分後、パトカーが詩吟でも唸るようにサイレンを鳴らして近づき、警官や鑑識官が忍者隊のような素早さで集まってきた。

「警部、なぜ殺人だと?」

鑑識の黄坂が死体を調べながら訊いてきた。

「内側から鍵がかかっていたんだが、遺書らしきものが見当たらない。ましてや俺達を呼びつけて自殺をするはずがない」

白木が前に出た。

「ちょっと待てよ、まさか俺達の中に犯人がいるなんて思ってないだろうな。だいいち動機がないだろう」

4人を見回してわたしは言った。

「麻雀は4人でやるものだ。死体を入れると5人・・・・・・ひとり多いと思わないか」

「2抜けってこともあるだろうが」と黒田。

「実は商売柄、今日ここに集まる面々の近況を調べておいた。まず白木は多額の借金を紺野にしていて、最近返済を求められていた。紺野の亡くなった妻は、もと赤塚の恋人だ。黒田の息子は紺野の銀行の内定を最近取り消されたらしい。そして、メイドのみどりは他人じゃない。紺野がよそで作った隠し子なんだよ。遺産は全て彼女のものになるはずだ」

黄坂が顔をあげた。なぜか済まなそうな顔をしている。

「警部、死因が分かりました。これは毒殺じゃありません。アーモンドを食べ過ぎてのどに詰らせたんですな。徹夜麻雀のために精力でもつけようとしたんでしょう。ただの窒息死ですわ」

そのあとわたしは3人の男とひとりの女の“殺意”を、背中にひしひしと感じ取ったのは言うまでもなかった。

1月24日 ゴールドラッシュの日

「本当にそんな国があるのですか」

イタリア商人マルコ・ポーロは目を見開いた。

「本当ですとも。その国の名は“ジパング”といいます」

中国人のりいは小さな声でささやいた。

「なにしろ宮殿や民家が、黄金で出来ているそうですよ」

「その話、わたしが『東方見聞録とうほうけんぶんろく』に書くまでは、他言しないでいただきたい」

そう言うとマルコ・ポーロは李に金銭の入った包みをそっと渡したのである。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

その年の暮れ、イタリアは“ジパング”に向けて大船団を集結させた。

旅行記『東方見聞録』が出回る前に、ゴソッと大量の黄金を独り占めするのが目的である。

「商人マルコよ。本当にあるのだろうな、その“黄金の宮殿”というのは」

舵をとっていた船長がマルコ・ポーロに向かってそう叫ぶ。

「“中尊寺ちゅうそんじ”というのだそうです。ジパングの“岩手”という東北にある寺だということです」

船長は大きくうなずき、船団をジパングの北東に向けて速度を上げさせた。

しかし当時の海図はいい加減であった。

大船団が着岸したのは当時の“岩手”ではなく、“秋田”なのであった。

すでに夜も更けている。船団からイタリア軍が続々と上陸した。

「第一師団前へ!」

身を低くして単式銃を抱えたイタリア軍が一列に行進していく。

「全軍ふせろ!」

その時、松明たいまつを手にした集団が彼らの前を横切ったのである。

その姿を目の当たりにして、イタリア軍は一人残らず震え上がってしまった。

鬼の集団であった。

手には大きな出刃包丁を持ち、髪が逆立ち、大きな口からは鋭い牙がむき出していた。

「泣くは居ねがあ!悪いは居ねがあ!」

狂ったように叫んで辺りを睥睨しながら練り歩いている姿は、あたかも地獄から這い上がった悪魔のうたげのようである。

腰を抜かしたイタリア軍は、その場で祖国イタリアへ一斉退却を余儀なくされた。

その後「東方見聞録」には黄金の国ジパングの注釈が補足された。

気をつけよ。黄金の国ジパングには、人喰い習慣のある人種が住んでいる。”

その後しばらくは、日本に近づく者が現れなかったという。

1月25日 中華まんの日

 時は漢の時代である。

中国雲南省うんなんしょうの少数民族の討伐を終えた諸葛孔明しょかつこうめいの軍団が、いま帰路につこうとしていた。

しかるに長雨のあと、河川が氾濫して軍は立ち往生してしまったのである。

馬謖ばしょくよ、こういう場合はどうすればよいのか」

馬上の孔明は、部下の馬謖をかえり見た。

「は、古来より河川の氾濫を鎮めるためには、生首を生贄いけにえに竜神に捧げて治めるのが習わしでございます」

「なに、人の首をか」

孔明の顔が曇るのであった。

「いやいや、これ以上血を流すのは忍びない。何か他によい方法がないものか。
そうじゃ、小麦を水で溶いて饅頭をつくるのだ。そして中に味付けした羊や牛の肉を入れたなら、竜神さまも喜んでくれるのではないか」

「なるほど。それは妙案に存じます。さっそく料理人に作らせましょう」

翌日、河川の前に祭壇を組み、軽石で竜神像をこしらえ、肉まんがお供えされたのである。

その日の午後、巨漢の馬謖ばしょくは竜神像の裏に背をもたげ、河川の濁流だくりゅうを眼で追っていた。

「諸葛孔明どのもアホなお方じゃ。こんなもので氾濫が治まるかいな」

祭壇の肉まんにかぶりつく。「お、これは中々いけるではないか」

祭壇に供えられた肉まんは大食漢の馬謖ばしょくによって、あっという間に平らげられてしまった。

「おや、肉まんがないではないか」

そこへ孔明が視察にやってきた。

慌てた馬謖ばしょくは肉まんをのどに詰らせながら、じっとしているしかなかった。

「竜神どの、残らず召し上がられましたこと大儀でござる。氾濫を治めていただけますでしょうか」

「う、う、諸葛孔明・・・・・・」

なんと、竜神像が声を発するではないか。

「肉もいいが、餡もほしいぞよ」

孔明は驚いて目を剥いた。

「ははあ。さっそく」

孔明はひれ伏し、風のように陣営に戻って行ったのであった。

次の日も馬謖ばしょくはたらふくあんまんを平らげた。しかし、相変わらず氾濫は治まらなかった。

「いかがでしょうか」

孔明は平伏して尋ねた。

「うん、これはこれでうまい。そなた、雲南省から乳餅チーズを奪ったであろう。今度はあれを入れてみい」

(なんとずうずうしい)と思いながらも孔明はすぐに対応した。

翌日いつもより早く孔明が訪れると、河川の氾濫は徐々に緩くなりつつあった。

「ありがとうに存じ上げる」

「いやいや、たいしたことはない」竜神像が揺れている。

そのとき突風が吹いた。

軽石の竜神像が揺れ動き、いとも簡単に倒れてしまう。

そこにチーズまんをくわえた馬謖ばしょくがいた。孔明と馬謖ばしょくの目と目が合ってしまった。

「お、お前は!」

孔明が刀を抜くのと、脱兎のごとく馬謖ばしょくが逃げ出すのが同時であった。

「おのれ、わしの大事なチーズを食べおったなあ」

「お許しを」

「いいや、わたしは泣いてお前を斬る!将たる者は、私情を捨てて大儀を守るのじゃ」

「私情って、ただの食欲じゃないですか」

「うるさい、そこへ直れ」

命からがらその場を脱した馬謖ばしょくは、インドへ逃れた。

その後、馬謖ばしょくはインドでカリーまんを、世に広めることになったとか広めなかったとか・・・

1月26日 コラーゲンの日

たちばなディレクター。先生方、そんなに簡単にだまされますかね」

AD(アシスタント・ディレクター)の小堺こさかいが台本をめくっている。

「それと、今回の出演者、みんな仲が悪そうなんですけど・・・・・・」

「だいじょうぶだ。バレてもともと。今回のドッキリのテーマは美肌だからな。偽物のフカヒレになんて言うかだけでも、“”になりさえすればいいのさ」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「今回の舞台は老舗旅館です。ゲストの皆さんには、“究極のふかひれ姿煮”を食べていただき、その詳細をフリートークで推理していただきます。その内容でポイントが加算されて行き、優勝者には豪華プレゼントが用意されています」

軽快なMCのオープニングで撮影が始まった。

ゲストは料理研究家の大家たいかK、俳優で美食家で有名なN、財界人で食のご意見番O、芸人でグルメで知られるWの4名である。

各々のテーブルに料理が運ばれてくる。

「でか!こんなふかひれ初めてみましたがな。コラーゲンいっぱいでんなあ」芸人Wが目をむく。

「食べてもいいのかな」最初に箸を手にしたのは財界人のOである。

「たいした太さですな、口のなかでトロける感じといい、風味といい。産地は気仙沼のヨシキリ鮫の背びれで間違いないでしょう」

気仙沼0点、吉切0点、背びれ0点

そこへ料理研究家のKが口をはさむ。

「ちょっと待ってください。これは・・・・・・ヨシキリ鮫ではないな。この巨体からするとジンベエ鮫の可能性が強い。しかも胸ひれだろう」

ジンベエ鮫0点、胸ひれ0点

俳優のNが手を挙げる。

「ジンベエ鮫はないでしょう。保護下にあるわけですから。ホウジロ鮫の尾ひれだと思いますよ」

ホオジロ0点、尾ひれ0点

芸人のWが立ち上がる。

「いやいや、みなさん何を言うてまんのや。これ、アオ鮫の腹びれちがいますの」

青鮫0点、腹びれ0点

「なにを言うか」とK。

「話にならん」とN。

「馬鹿野郎」とO。

「アホくさ」とWが言う。

雲行きがあやしくなり、会場は今にも掴みかからんばかりの大混乱になりつつあった。

「そろそろ潮時かな」

控室でモニターを見ていた橘は、ADに“ドッキリ”の看板を用意させ、自ら会場になだれ込んだ。

「皆さん、残念でした。これは春雨を加工したコピー商品の新製品『ふかひれハレホレ』だったんです・・・よ?!」

ところが会場は血の海と化していた。

どうやら料理研究家のKが、財界人のOをナイフで突き刺してしまったようだ。

俳優のNがKを押さえつけており、芸人のWは腰を抜かして歯をがガチガチさせている。

「やっちまったか・・・・・・」

ドッキリのプラカードが足元に落ち、顔面蒼白になった橘は階段を駆け上って行った。

「ちょっと橘さん!」ADが叫ぶ。「カメラ、追え」

「ドッキリですって橘さん。ドッキリだってば」

血を流して息絶えていた財界人が起き上がり、殺人者のはずの料理研究家らもADと一緒にディレクター橘を追いかけはじめた。

「どうなってるんだ。話が違うだろうが!」

俳優がADに向かって叫んだその瞬間、踊り場から橘がダイブしてしまった。

「あ~!」空中で浴衣が脱ぎ飛ばされる。

綺麗な放物線を描いて飛びこんだところは、なんと美肌で有名な大温泉浴場であった。

上から見下ろす俳優たちにむかって、橘が満面の笑顔でプラカードをかかげた。

『美肌特集 ドッキリ大成功!』

1月27日 求婚の日

 その日ぼくは、“エロスの神様”と出会ってしまった。

なぜ出会ってしまったのかと言うと・・・・・・詳細は言えない。

と言うより、偶然口にした言葉が、エロスの神様を召喚する呪文だったらしいのだ。

だから、二度とその呪文を唱えることはできなかった。

なぜそれがエロスの神様だとわかったかって?

そりゃ胸に『エロスの神様』と書いてあったからだ。

男とも女ともわからぬ、サイケデリックな風貌の神様は言った。

「お前に何かひとつ、願い事をかなえてしんぜようぞ」

とっさに心に浮かんだことが、口をついて出てしまった。

「・・・・・・いい女を見て興奮したら、身に着けている物が透けて見えるようにしてくれ!」

そう、ぼくは生粋のエロなんだ。

その日からぼくは、いい女達のプロポーションを、思う存分楽しむことができるようになった。

でも、あるひとは人知れずお腹が出ていたり、グラマーだと思っていた女性が、実際には胸の起伏がほとんどなかったり・・・と、理想のプロポーションの女性が意外と少ないことに気がついたのである。

(ぼくってほんとエロだよね)

そんなある日のこと、理想のプロポーションを持つ女性と知り合った。

それからは寝ても覚めても、もう彼女のこと以外は考えられなくなってしまったのだ。

ぼくは思い切って、全身全霊を込めてプロポーズした。

結果、ぼくたちは幸せな新婚生活を築くことができた。

でも、後悔する毎日だ・・・・・・なぜかって?

ぼくは毎晩“骸骨ガイコツ”を抱いて寝ることになってしまったからさ。

1月28日 衣類乾燥機の日

 そのコインランドリーに通うようになったのは、ほんの偶然からだった。

ぼくの家の洗濯乾燥機の調子が悪くなってしまったからだ。そう最初は洗濯機の修理が終わるまでのつもりだった。

その後知ったのだが、コインランドリーの稼ぎ頭というのは、洗濯機ではなく、意外にも乾燥機なのだそうだ。外干しできない環境が増えたからだろうか。

ぼくの使う午後2時になると、必ず彼女が乾燥機を使いにやってくるのだ。歳の頃なら、ぼくと同じか少し上ぐらいに見える。

こんな時間にランドリーに来るのだから、女子大生だろうか。栗色の長い髪、大きな瞳、長い手足、細い指・・・・・・。

ぼくは彼女に逢いたいがために、このコインランドリーに足を運ぶようになっていた。

パイプ椅子に座り、雑誌を読むふりをしながら、彼女の一挙手一投足を眺めるのが日課だ。

彼女は乾燥機に衣類を詰めて、乾いた音でコインを入れて店を出る。

ぼくは見るともなしに、極彩色ごくさいしょくの衣類がメリーゴーランドのようにぐるぐる回るのを眺めるのが好きだった。

「どんな下着をつけているんだろう・・・・・・」などと、妄想が夏の入道雲のように広がるのを面白がっていたのだ。

そんなある日、乾燥機が停止したのに彼女が帰って来ない日があった。

メリーゴーランドは今度はバイキングのように弱々しくスイングしていたかと思ったら、最後にはくたびれた大型犬のように静かに伏せしてしまうのであった。

2時とはいえ、このコインランドリーは人気らしく、ひっきりなしに新しい客が訪れる。

彼女の使っていた乾燥機以外は回っているので、乾燥機を使いたい客がいたら彼女の衣類を出して使うことになるだろう。

壁の張り紙には、“恐れ入りますが、終了したお洗濯ものが残っていた場合には、各自で備え付けの籠に取り出してください”とある。

そこへ、ロックバンドをやっているような革ジャンに、クロムハーツの腕輪をジャラジャラ鳴らしながらパンク男が店に入ってきた。

まずい。彼女の衣類をあんな男に触れさせるわけにはいかない。

とっさにぼくは立ち上がり、かごを持って彼女の使っていた乾燥機の扉を開けた。

柔軟剤のいい香りがする。一度すべての洗濯ものを籠に移すと、自分の洗濯物をドラムに放り込む。

「ちっ」とパンク男の舌打ちが聞こえてきそうだ。

しばらくキョロキョロしていた男はランドリーバッグを持ったまま出て行った。

備え付けのテーブルに籠を持って行くと、なぜかそれらが愛おしくなり、一枚一枚たたんでしまった。

(彼女、こんな下着をつけていたのか)と、期待と罪悪感の入り混じる虚構の境地に入る。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「先日はありがとうございました」

いつものコインランドリーに彼女が現れて、ペコリと頭をさげた。

「はい?」

「コインランドリーのオーナーさんに録画ビデオを見せてもらって。あの日、急に母が倒れて洗濯ものを取りにこれなかったんです。助かりました。わざわざ、たたんでいただいたんですね」

「あ、いや、ぼくアパレルに勤めていたんで、クシャクシャの服を見るとおもわずクセでたたんでしまうんですよ」

「で、実はわたし、下着ドロボーGメンなんです」

「え」

「最近ここのオーナーさんに下着を盗まれることが多いので依頼されていたんです」

彼女はぼくに腕を絡ませてきた。

「ぼ、ぼくは下着ドロボーなんかじゃ」

「違うのよ。1枚増えてたの。これからお返ししたくて。いいでしょ」

1月29日 南極の日

『南極を制する者は、難局を制する』

とは、今は亡き、皇帝ペンギンの王”ペン左衛門”の言葉である。

「総統、またやられました!」

憲兵のペンタが慌てふためいてペタペタと走ってきた。

「うむ、またしても“大盗賊カモメ軍団”のしわざか。それで、被害はいかほどだ」

「卵5個とヒナが3羽です」

「くそう」総統は地団駄じだんだ踏んで悔しがった。

「こうなったら、早苗さなえおねえさんに相談してみてはいかがでしょうか」

「そうだな・・・“空飛ぶペンギン軍団”を作る方法だ」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

南極越冬隊の藤崎早苗は、千羽を超えるペンギンの群れに囲まれていた。

「空を飛びたいですって」

千羽を超えるペンギンが、いっせいに稲穂が風になびくかのように首を縦に振る。

壮観である。

「そうねえ・・・・・・まずあんたら太り過ぎだよ。もっとスリムになること。

それに羽がちっこいから大きくしないとダメだね。

あと、推進力をつけるためには尾をまっすぐ長く伸ばすのがいいわね。

とにかくあんたら全員でそれを念じなさい」

「早苗おねえさん、ありがとう」

こんなんでよかったのかしらと、心の中で舌を出しながら早苗は観測所に戻った。

南極の夏は短い。

11月から3月までに作業をすべて完了しなくてはならないのである。

さっそくペンギン達は、“クレイシ”と呼ばれる保育所に、55個の卵を集結し、全員で祈り続けたのであった。

そのかいあってか、約20羽の新種ペンギンが誕生した。

彼らは小ぶりながら、身体はスリムで、尖った羽を持ち、真っ直ぐな尾をたずさえていた。

そして皇帝ペンギンのシンボルである黄色い頬に対して、彼らは赤をシンボルとしていた。

結果は上々。

大盗賊カモメ軍団は、新ペンギン迎撃隊の俊敏な飛行攻撃に、完膚なきまでにたたきのめされてしまったのである。

しかし、問題がないわけではなかった。

彼らのスリムな身体では、マイナス89度にも達する南極の冬を越すことは死を意味していた。

新ペンギン迎撃隊は早苗のいる日本を目指すことにした。

そして、今でも彼らは早苗を捜している。なるべく女性のいる人家を選び、軒先に巣を作るのであった。

彼らはその後“若いツバメ”と呼ばれるようになったという。

1月30日 3分間電話の日

 1970年、それまで時間無制限で通話できていたものが、市内通話が3分間10円に変更された。

多くのユーザーは嘆き悲しんだが、そのおかげでぼくは、クラスメイトの有紀子ゆきこに電話をかける勇気を手に入れたのだ。

なぜならば、当時高校生のぼくが無制限に女の娘と会話するなど不可能に近かったからだ。

3分間一本勝負。

なにとぞ父親が出ませんように・・・・・・と神様に祈りながら、震える指でポケットから10円玉を取り出す。

グルグル回すダイヤルの上の、硬貨投入口にコインを入れようとしたその瞬間、けたたましく電話が鳴りはじめた。

「わ!」

心臓が止まるかと思った。公衆電話なのにかかってくることがあるのか。

恐る恐る受話器を取る。ゼンマイ時計のような音が消え、カシャンと何かが落ちるような音がした。

「もしもし・・・・・・」

「★%※※#◎あーもしもし。あ、やっとつながった」

ラジオの雑音のような音がして、男がしゃべりだした。

「あの、どちらさまですか?これ公衆電話なんですけど・・・・・・」

「わかってる。時間がない。重大なことなのだ。1回しか言わないからよく聞いてくれ」

「はあ」

「ただ、ちょっと制限があってな、わかり辛いと思うけどな」

「・・・・・・」

手の込んだいたずら電話なのだろうか。

「いいか、もうすぐ冬休みに入るだろう?」

「はあ」

「その前に横須賀の親戚の家に行くはずだな」

「え・・・・・・なんで」

「そこの主に言うんだ。“パパは来客、シュークリームとあんまんゲットよ”」

「なんですかそれ」

「いいから言ってみろ“パパは来客、シュークリームとあんまんゲットよ”」

「ぱぱは来客・・・・・・シュークリームとあんまん・・・・・・ゲットよ?」

「そうだ、いいかくれぐれも★◎△だけは##■%しろよ」
雑音が始まり、音声が途切れた。

ぼくは受話器を見つめた。

なんだったのだろう。やはり手の込んだいたずらだったのだろうか。

気を取り直して10円玉を投入して、彼女の家の番号を回した。

「はい、権藤ごんどうですけど、どなた」

父親が出た。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

冬休みに入った。

ぼくは買ったばかりのバイクに有紀子を乗せて、ツーリングに出かけた。

デートのお誘いに成功したのである。

「寒くない?」

「だいじょうぶ」

峠にさしかかると、有紀子の腕にも力が入る。ぼくは幸せを感じた。

峠の頂上付近であった。

対向車線を走って来た白い車がスリップし、回転しながらぼくらのバイクめがけて突進してきたのだ。

声も出なかった。

とっさにぼくはハンドルを切っていた。そこはガードレールのつなぎ目だった。

ぼくらは緑の生い茂る谷底に落ちていった。

谷底までは200メートルはあるだろうか。

風が頬をよぎる。このまま死ぬのか。

頭から仰向けに落ちて行く有紀子をみつけた。

風圧の中でジャンパーを脱ぎ捨て、泳ぐようにして彼女に追いつく。彼女はすでに気を失っていた。

ぼくは彼女を強く抱きしめた。

「キミだけは死なせない。何があっても」

ぼくは胸の紐を強く引いた。

和太鼓のような音を立ててパラシュートが開いた。

ぼくらは助かった。

あとで確認すると、米軍横須賀基地の払い下げの店舗を経営している店主と、亡き父はいとこ同士で一緒によく遊んでいたという。

ぼくが電話の話をすると、しばらく腕を組んで考えていたおじさんは、だまってパラシュートをぼくに寄越した。

「俺達の子供のころ遊んだ暗号さ
・・・・・・パパは
・・・・・・来客
シュー・・・・・・シュークリーム
・・・・・・と
・・・・・・あんまん
・・・・・・ゲット

だろ」

あの3分電話は天国の父親からだったのである。

1月31日 愛妻家の日

 封書が届いた。

“本日は『わが夫こそ愛妻家コンテスト』に応募いただきまして誠にありがとうございます。

当番組では、あなたの愛する夫たちが、オフレコで奥様に何か喜んでいただくものをプレゼントしていただきます。

その状況は、マイクロ・ドローンと隠しカメラで撮影させていただきます。

もちろん、放送できない部分に関しましてはカットさせていただきますのでご安心ください。

そしてそれらを採点し、みごと優勝したご夫妻には、世界一周旅行にご招待するという豪華な企画になっております。”

洋子は驚いた。なんと実家の母親が、無断で番組に応募してしまっていたのだ。

しかも収録はすでに終わっているという。

妻の誕生日が同じ夫婦をテレビ局が募集する。

その日の様子を隠し撮りし、後日会場と視聴者にみせてリモコン操作で採点させるのである。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

最初に画面に現れたのは、一流商社マンである。

仕事帰りに高級フランス料理店で妻と待ち合わせをし、豪華なフルコースをいただいた。

会場からは「うんうん」と納得する声が聞こえる。

次に画面に映し出されたのは、恰幅のいい経営者風の男である。

高級車で帰宅すると、おもむろにポケットから箱を取り出した。
見たこともないような大粒のダイヤモンドが入っていた。

会場から「きゃー」という歓喜の悲鳴。

三番目に現れたのは、口ひげを生やしたイケメンの紳士である。

彼は帰宅早々、後ろ手に隠していた100本の薔薇の花束を妻に捧げた。

会場からは羨望のため息。

四番目は気のいい爽やかな男である。

口笛を吹きながら妻の前に、箱を置いた。

妻が箱を開けると、中からスコティッシュフォールドという、可愛らしい子猫が一匹でてきた。

会場は拍手喝采である。

最後に洋子の亭主があらわれた。すこし頼りなさそうに見える、ごく普通のサラリーマンだ。

こんなことなら、普段からもう少しいい背広を着せておくべきだったと思ったが今更しかたがない。

夜もふけている。

夫は仕事で帰宅が遅くなってしまったらしく、洋子はすでに床についていた。

夫は早々に食事を済ませ、食べた食器を洗い、風呂に入り、浴槽を洗って出てきた。

この夫婦にはなにも起こらなかったように見えた。

夫は音を立てないように寝室に入ると、洋子を起こさないように静かに顔を近づける。

そしてそっと口づけをした。

信じられないことが起きた。

満場の拍手と膨大な点数が、洋子の夫婦に加算されたのである。

電話が鳴った。テレビのコメンテーターからである。夫が受話器を取った。

「おめでとうございます!」

「はあ、どうも」

「ご感想をどうぞ」

「とくに何も。だっていつもやってることだし」

「それですよ、それ。それこそが愛妻家ってもんですよね!」

 あとがき

最後までご覧いただきましてありがとうございます。

この物語はフィクションです。

登場人物、団体などはすべて架空のものです。

まれに、似通った名称がございましても関係性はございません。

参考文献・サイト等

高級海外ブランドセレクトショップ。「SKY SHOP JIRO」 https://www.jiro.co.jp 参照日:2023.6.2

岐阜の旅ガイド 「養老公園・養老の滝」 https.//www.kankou-gifu.jp  参照日:2023.6.9

ウィキペディア 「ジパング」 https://ja.wikipedea.org/wiki/ジパング 参照日:2023.6.12

ウィキペディア「中華まん」https://ja.wikipedia.org/wiki/中華まん 参照日:2023.6.13

自宅兼コインランドリー経営奮闘記+地獄2号店 「さすがにそれは・・・想像の斜め上いを行くお客さんたち。コインランドリー経営あるある」 https://loundromat.jp/strange-custmer 参照日:2023.6.18

ウィキペディア「南極」 https://ja.wikipedia.org/wiki/南極  参照日:2023.6.20

著者紹介
杉村 行俊

【出   身】静岡県焼津市
【好きな分野】推理小説
【好きな作家】夏目漱石
【好きな作品】三四郎
【趣   味】ゴルフ、楽器
【学   歴】大卒
【資   格】宅建士、ITパスポート、MOSマスター、情報処理2級、フォークリフト、将棋アマ3段
【創   作】365日の短編小説

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冬物語
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