6月の短編小説

6月の小説アイキャッチ 夏物語
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6月1日  チューインガムの日

「わが刑務所では、受刑者にガムを噛ませることを推奨しています」

 口髭をはやした、やや小太りの所長が記者の取材に答えていた。

「それはどういうことでしょうか」

 ロイドめがねをかけた新聞記者がメモを取っている。

「まずだね、ガムを噛むと唾液が分泌される。唾液は殺菌作用があるから虫歯や口臭予防に効果があるのです」

「なるほど、受刑者が歯医者にかからなくて済みますね」

「それに加えて、噛むという行為は脳の血液の循環を良くしてくれます」

「頭が良くなるということですか」

「その通りです。年老いた受刑者のボケ防止にもなります。さらに唾液は消化を助けますから、胃の負担を和らげてくれる効果が期待できるのです」

「そうですか。ぼくなんかは胃が弱いから助かるな」

「それによく噛むことは、あごの発達を促し歯並びを良くしてくれると言われているのです。あ、もっともこれは成長期に限ることかもしれませんがね」

「ぼくも子供の頃に、もっとガムを噛んでおけばよかったな。本日はありがとうございました。今日はいいお話が聴けました」

「こちらこそ。わが刑務所の印象が良くなるような記事を書いてくださいよ。期待しています」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「所長。また23号にチューインガムの差し入れです」

 看守が所長室に差し入れ品を持って来た。

「ほう。あの記事のおかげで、ここのところガムの差し入れが多くなったな。23号に渡しておきなさい」

「かしこまりました」

 看守は所長室を出た。

 大昔、ガムはアメリカ先住民族の嗜好品だった。サポディラなどの樹液を噛んで、眠気を防いだり、集中力をあげるのに役立っていたと言われる。サポディラに含まれる“チクル”という成分に弾力性があったのだ。

「23号。差し入れだ」

「ありがとうございます」

 23号と呼ばれた男は直立して、1ダースのガムが入った箱を両手で受け取った。

「お前の知り合いは、ガムばかり送ってくるな」

「はい。少しでもわたしの頭が良くなるようにと言う配慮だと思います」

「まあ、しっかり労働に励むことだ。そうすれば早くここを出ることができるぞ」

「ありがとうございます」

 看守が去って行った。受刑者23号は周りの受刑者に親指を立てて合図を送った。全員がガムを噛んでいた。

 事件が起きたのはその夜だった。監視員室でモニターを見ていた看守のひとりが異変に気がついた。

「おい、モニターが変だ。なにも映らなくなってしまったぞ」

「どこのモニターだ」

「いや20台すべてが真っ暗になった」

「なんだって!」

「機械の故障かもしれない」

 そのとき別の看守が飛び込んできた。

「監視カメラのレンズになにか貼りつけられているぞ!」

 すぐに脚立を出して確認すると、レンズを覆うようにガムがべったりと貼りつけられていた。所長が大声で叫んだ。

「くそう!誰の仕業だ。脱獄警報を鳴らせ。裏口や周辺の壁を固めるんだ」

 その直後、表玄関で爆音が轟いた。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「おかえりなさい、ボス。よくすんなり出てこられましたね」

 運転席にいたのはロイドめがねをかけたあの記者に扮した手下であった。

「ごくろう。ガムのおかげで頭が良くなったのさ。まさか表から脱獄するとは誰も思わないだろ。こういう時に一番手薄になるのは正面玄関なのだ」

 現在、ガムの原料にチクルはほとんど使われていない。“サク酸ビニール樹脂”、すなわちプラスチックに味や香りをつけて売られているのである。23号はその原料に似せて、プラスチック爆弾で偽装したガムを部下に差し入れさせていたのだ。

「受刑者の家を回ってくれ、手伝ってくれた報酬を家族に届ける約束をしたのでね」

 その後、この刑務所ではガムを噛むことが禁止されたのだという。

6月2日  イタリアンワインの日

「それじゃあイタリアのワインについて教えてあげようか」

 新入社員歓迎会の帰り道であった。理子りこは二次会には参加せず、まっすぐ家に帰るつもりだったようだ。ちょうど帰り道が同じ方角だったので誘ってみたのである。理子とは一次会でワインの話で盛り上がっていたのだ。

新谷しんや部長はワインに詳しいんですね」

 理子がわたしを見た。

「少しはね。たしか君もワインに興味があるって言ってたね」

「でもそんなに詳しくないんですよ」と理子が謙遜する。

「いつも、どこの国のワインを飲んでいるの」

「そうですね・・・・・・やっぱりフランス産が多いかな」

「なるほど。確かにワインの生産量はフランスがトップだ。だけど、イタリアもそれに匹敵するほどのワイン大国なんだって知っていたかい」

「イタリアですか・・・・・・イタリアは地ビールみたいに個人が作っているワインが多いから、複雑で難しいって聞いたことがありますけど・・・・・・」

 ほう、なかなか詳しいようだ。

「イタリアは紀元前2千年も前からワインが醸造されているからね」

「ええ!そんなに古くからあるんですか」

 理子が驚いて目を丸くした。

「確かに小さな生産者が無数にあるけれど、品質はEU(欧州連合)で厳しく定められているんだ。だからイタリアはどんなワインを飲んでも一定基準に達しているから間違いないはずなんだよ」

「へえ、そうなんですか」

「しかもイタリアではね、ワインは水より安いと言われているんだ」

「それは聞いたことがあります。誇大表現なのかと思っていました」

「今でも計り売りをしてくれる店がたくさんあってね。空瓶や空容器を持っていけば、1リットル200円ぐらいで売ってくれるはずだよ」

「そんなに安いんですか。行ってみたいな」

「よし!今日はイタリアンワインをご馳走しよう」

「やった」

 わたし達は、通りぞいにある小さなワインバーに入って行った。最近できたばかりの新しい店だった。

 だから品揃えは、そこまで期待できないかもしれない。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 バーテンダーはまだ見習いのアルバイトのようだった。

「きみ、イタリアのトスカーナ地方の赤ワインを2杯頼むよ」

「は、はい。少々お待ちください。ええと・・・・・・」

 しばらくして、赤い液体の入った大ぶりのワイングラスが出て来た。新谷はグラスをくるくると回して香りを嗅ぐと、ワインをひとくち口に含み、舌の上で転がした。

「・・・・・・うん。渋みが抑えられていて、シッカリしていながら飲みやすい」

「はい」

「これはたぶん花の都フィレンツェで飲まれているワインだと思うな」

 新米のバーテンなので、それについての反応は特になかった。まあいいさ。

 わたしは次に北イタリアの赤ワインと、おつまみにチーズの盛り合わせを注文した。出された濃厚な赤ワインの香りが華やかだ。口に含む。

「うん、この重厚感。たまらんな。これはもしや『バルバレスコ』じゃないか?」

わたしはバーテンダーに尋ねてみた。

「すみません。わたしはまだ詳しくなくて。オーナーがもうすぐ戻りますので」

「そうか」

 仕方がないな。

「でもこのワイン。さわやかな酸味があって好きです。イタリアのワインも本当においしいですね」と理子も喜んでくれた。

「イタリアの産地は大きくわけて3つになるんだ。さきほどのフィレンツェがある中部のワインとこの北イタリアのワイン、それに南イタリアのワインだ。バーテンくん、今度はシチリアの白ワインをもらえるかな」

 そこへオーナーが戻ってきた。

「いらっしゃいませ。シチリアのワインでしたら有機栽培に特化した『セッテソリ ピノ グリージョビオ』がお勧めですよ」

「うんそれでいいかな」

「あれ?」

 オーナーがカウンターの下を覗き込んでいる。

「おい。誰だよ・・・・・・すみませんお客様。少々手違いがありまして」

「どうしたの」

「イタリアワインの木箱の中に、南アフリカのワインが混ざって入っていたようです」

「それじゃあ、今まで飲んでいたのは・・・・・・」

「南ア産のワインです・・・・・・たいへん申し訳ございません」

「おいおい、それはないよ。おれの立場は・・・・・・」

「部長、どっちでもいいじゃないですか。美味しかったんだから。ワインは産地よりも味ですものね」

 たしかに南アフリカ産のワインも旨かった。しかも価格もリーズナブルであった。

 帰り道、理子が恋人のように腕を組んできた。

「ね、部長」

「なんだい」

「わたしね、もっとワインのこと知りたくなっちゃった。今度はちゃんとしたイタリアのワインを奢ってくださいね」

 新谷は苦笑しながら思った。まさか彼女、ワインを水より安いと思っているんじゃないだろうな。

6月3日  なんにもしない日

「あのさあ、今日は“なんにもしない日”だって知ってた?」

 ぼくは彼女に教えてあげた。

「なんにもしないの?」

「そう。なんにもしないんだってさ」

「なんにもしないって、本当になんにもしないの?」

「本当になんにもしないよ」

 彼女はジッとぼくを見つめて言った。

「いま息したよね」

「え」

「心臓も動いたよね」

「動いたよ」

「なんにもしないって言ったじゃない」

「それはしたんじゃなくて、自然にそうなっただけだよ」

「ふうん。じゃ、こんなに魅力的でグラマーな美女が目の前にいるというのにですよ。きみはなんにもしないというのかな」

「ちょっと・・・・・・それはズルいなあ」

「だってなんにもしないんでしょ」

「ごめん。降参。前言撤回するよ」

「ちょっと!なんにもしないって言ったじゃない!」

「・・・・・・ん。なんにもしない。だからこの小説の続きも書かない」

「・・・・・・」

6月4日  武士の日

「なんだあの音は」家康は耳を疑った。

 徳川の本陣に向かって、明らかに何かが近づいて来ている。

「まさか、豊臣軍がここまで押し寄せて来たのではあるまいな」

 しかし怒声と剣が絡み合う音が確実に迫りつつあった。その時、突如として本陣の幕が真二つに切裂かれた。

真田幸村さなだゆきむらである!家康殿、お命ちょうだい致す」

 深紅の鎧兜よろいかぶとをまとい、鬼の形相をした侍大将が現れた。驚いたのは家康の警護を固めていた旗本達だ。まさか敵がここまでたどり着くなど、想像すらしていなかったからである。

 そしてこともあろうに彼らは、総大将の家康をほったらかしにして、蜘蛛くもの子を散らすように一斉に逃げ出したからたまらない。家康の本陣は火事に見舞われた映画館さながらのパニック状態におちいった。

「お、おい待て!わたしを置いて行くとはどういう事だ!」

 家康も腰を抜かさんばかりに這いつくばって逃げ出した。

「殿、おつかまり下さい」

 家康につき従ったのは、家臣の小倉久次おぐらひさつぐただひとりだったという。これは、戦国時代最後の戦い『大阪夏の陣』の話しである。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 天下分け目の決戦『関ケ原の戦い』は、徳川家康に軍配が上がった。

 まだ幼かった豊臣秀頼ひでよりに代わって家康が政務を取り仕切ることになったのだが、秀頼が大人になっても家康は豊臣家にその権力を返上しようとしなかった。

「家康め。おふざけじゃないよ」それに腹を立てたのが、秀頼の母のよどである。「そもそも、秀頼こそが天下人てんかびとでしょうが!」

 スターウォーズで例えたならば、帝国軍(ダースベイダーならぬ徳川家康)と、反乱軍(寄せ集めの豊臣残党たち)の戦いの火ぶたが切って落とされたのだ。そもそも強大な帝国軍15万人に対して、反乱軍は半分以下の軍勢である。とうてい豊臣軍が勝てるはずがない。豊臣の反乱軍はジリジリと不利な戦況におちいって行った。

「急ぎ総大将の出陣をお願い奉る!」

 真田幸村は再三にわたり、豊臣本陣の秀頼に対して出陣要請を出した。戦況を変えるには総大将みずからが出陣して、豊臣軍の士気を高めることが必要不可欠だと考えたからである。

 しかし淀殿からの返答はにべもなかった。

「却下します。秀頼は幼きときから、竹刀一本持たせたことがないのです」

「なんという過保護な大将だろう!」

 やむなく幸村は最後の手段に出ることを決意した。この戦いに勝つには、もはやひとつしか方法が残っていない。相手の総大将、徳川家康の首を獲ることである。それは、スターウォーズで主人公が敵の巨大宇宙兵器『デス・スター』の弱点を狙うのに似ていた。少数の兵士で、何重にも布陣された防衛網を突破して、敵の本陣を叩くという作戦なのだ。

 真田軍は“赤備え”といわれる、甲冑から脇差物までの全てを深紅で統一していた。紅の軍団は家康軍のぶ厚い3重の防波堤を、電気ドリルで穴をこじ開けるようにして突進して行った。

 まずは、秋田実季さねすえ軍を突破。次に松平忠直軍を撃破。そしてしんがりの水野勝成軍を殲滅して、ついに徳川家康の本陣に突入したのだ。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「もはやこれまでじゃ。自害いたす!」

 家康は真田幸村のあまりの恐ろしさにおののいて叫んだ。

「殿、最後まであきらめてはなりませぬ」

 家康の歯の根も合わぬほどの怯えように、家臣の久次はなんとか家康を生き延びさせるのに必死だった。家康は、二度に渡って幸村に追い詰められ、その都度自害を口にしていた。

「どうしたい家康さん。天下人が情けない声を出して」

「何やつ!」

 小倉久次が振り向くのと、そのみぞおちに当て身が当てられるのが同時だった。久次はその場で気を失った。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「家康。これにて最後。首を頂戴いたす!」

 幸村は家康を、本陣から11kmも追いかけ回していた。追い詰めたのはこれで三度目である。観念したのか、家康は樹の幹に座って真田幸村に対峙した。

「ああ、貴殿には敗け申した」

 家康はゆっくりと幸村を見上げて笑った。

「幸村よ。おぬし、あの過保護に育ったおぼっちゃま(秀頼)に、本当に天下を治められるとでも思っているのか。・・・・・・どうなのだ」

 真田幸村の血に染まり、歯零はこぼれした刀を持つ手が止まった。白熊のついた兜に、折れかかった鹿角かづのが揺れている。

「天下太平の世を作れるのは、この家康ただひとり。そう思わぬか?」

 幸村は地面に刀を落とした。

「おおせの通りである。これで戦国の世も終わりだ。もはやわたしの生きる場所はなくなった・・・・・・」

 幸村は家康を睨んだ。

「ところでおぬし、家康の影武者であろう。先ほどまでの情けない男とはあきらかに態度が違うではないか」

 家康はニヤリと笑うと、仮面を剥いだ。

「いかにも。霧隠きりがくれよ」

歳蔵さいぞう、お前であったか。今度は徳川についたか」

「もはや忍者の時代も終わり。ここで天下人に恩を売っておくのも悪くなかろうと」

 幸村はふんと鼻で笑い「達者で暮らせ」と言うと、背を向けて立ち去った。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 その後、真田幸村は立ち寄った神社の境内で、名もない武士に抵抗もせずにわざと討たれた。淀殿と豊臣秀頼は立て籠もっていた城に火を放ち自害したという。

 豊臣家が消滅した瞬間である。

 大阪城の燃えさかる炎が天を真っ赤に染め上げた。それはまるで真の侍、真田幸村を失って泣いているようにも見えたという。

6月5日  落語の日

 景気のいい出囃子でばやしや太鼓が鳴る。

 拍手とともに、舞台の袖から着物を着た噺家はなしかが現れる。噺家は高座の座布団にちょこんと座ると深々とお辞儀をした。一旦収まった拍手がそこで再び沸き起こる。

 最初の拍手は、「待ってました!」の拍手。あとの拍手は「これから面白いのを聞かせてね」という期待の拍手である。

 ええー、落語で上下かみしもをつけるとよく申しますが、これは首を左右に向けてしゃべることを言いまして・・・・・・これをやらないと、誰がしゃべっているか分からなくなるからでございます。落語で漫才なんてやろうもんなら、それはもう、頻繁に首を左右に振らなければならないのでございます。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「ハっつあん。わてもぼちぼち就職しよ思うてまんねん」

「へえ。熊さんが就職かいな。そんなナリして」

「そんなナリって何やねん」

「丸坊主にタンクトップに短パンて・・・・・・」

「外見は関係あらへんやろ」

「で熊さん。どんな仕事がしたいん?」

「そやな。人を笑わせる仕事がやりたいねん」

「人を笑わせるって言うてもいろいろあるで。熊さんくすぐり上手やさかいな」

「だれがくすぐり上手やねん。あるやろ、落語家とか漫才師とか」

「あるなあ」

「できればカッコいい方がやりたいねんけど・・・・・・八っつあん、なんで仕事って、“いえ”がつくのと
”がつくのがあるんやろな」

「“いえ”と“し”なにそれ」

「だから、落語とか、画とか、写真とか、小説とか、武道とか、政治とかはみんな“家”がつくやろ」

「そやな」

「でも漫才とか、医とか、弁護とか、消防とか、教とか、牧とか、理容とか、囲碁将棋の棋とかはみんな“し”がつくやないか。あれはなんでなん?」

「ううん・・・たぶんな、“家”がつく方は専門知識とか才能を必要とする職業やないかな」

「ほう、そんで」

「“し”の方は資格が必要な職業だと思うがな」

「なあるほど。家は才能、しは資格か。やっぱり八っつあんは頭いいなあ。今度いい男紹介したるわ」

「アホ言いなさんな。あんさんじゃないんだから紹介するのは女にしてちょうよ」

「・・・・・・ん?でもおかしいなあ」

「なにがおかしいんや」

「医師とか弁護士とかは分かるよ。でも漫才師に資格はいらんやろ」

「それもそうやな・・・・・・おお、そうや!」

「なに、分かったの」

「よく考えたら詐欺師もシがつくけど資格なんていらへんやないか。漫才師も人をだまくらかして笑いを取るからやないのかな」

「失礼なことを言うたらアカンて。ぼくのなりたい漫才師は詐欺師やないよ」

「じゃあ熊さんがなりたいの何やねん」

「ゲイ(芸)人やて」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 おあとがよろしいようで。

6月6日  アンガーマネジメントの日

 ちょっと、そこのあなた。

 何をそんなに怒っているんですか?「短気は損気」ってよく言うでしょう。あの徳川家康は「怒りは人生最大の敵である」と言っていたそうですよ。

 どうしても怒りが収まらなくなったあなたに、『アンガーマネジメント』という良い方法をお教えしましょう。これは1970年代に、アメリカで生まれた手法なのです。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 あなたは今電車に乗っています。今日も満員電車でぎゅうぎゅう詰めだ。あなたはイライラしています。あなたの降りる駅に到着しました。でもなかなか降りることができません。おや、出口ドア付近で踏ん張って動こうとしない人がいます。

 あなたはどうしますか?

「蹴り降ろします!」

 ああ、だめです。こういうときには6秒間待ちましょう。6秒待てば・・・・・・あら不思議。さきほどの怒りが、だいぶ収まっているはずです。

「6秒数えました。ぶん殴ってやります!」

 だめだめ。

 それでは次に、晴れた日に前を歩くひとが傘を持っているとしましょう。ところが傘の先端を後ろにして歩いているので、あなたに刺さりそうです。

 あなたはどう思いますか?

「この野郎。傘を奪ってぶっ刺してやる」

 やあ、いけません。ここはまず、あなたの怒りが10点満点中の何点なのか自己診断してみましょう

「10点です。刺します」

 だめだめ、そんな些細なことで。じゃあ次です。

 あなたは歩行者専用道路をあるいているとします。そこへ自転車がわが者顔で走ってきてベルを鳴らしました。

 あなたはどう思いますか?

「引き倒して、蹴りを入れます」

 やあやあ、いけませんね。それでは深呼吸をしましょう。はい吸って・・・・・・。吐いて・・・・・・。

 どうですか?

「許せません。トドメを刺します」

 ちょっと待ってくださいよ。ええと、それでは次の事例を。

 あなたはわりと混雑している電車に乗っているとします。

「またですか」

 お年寄りや妊婦さんが立っている目の前で、優先席に平然と足を組んで座り続ける若者がいました。しかも若者のイヤフォンからシャカシャカ音楽が漏れています。

 あなたはどう思いますか?

「ボコボコにしてやります」

 ううん。いけませんね。こういう時には100から3ずつ引き算をしてみましょう。固執した心を別の場所に移すことによって、冷静さを保つことができるのです。

「97、94、91、88、85、82、79、76、73・・・・・・やっぱりボコボコにしてやります!」

 困りましたねえ。それでは次の事例はどうでしょう。

 あなたは飲食店で食事をしています。隣の席のひとに、誰かから携帯に電話がかかってきました。隣のひとは、悪びれることもなく大声で話しをはじめました。

「携帯電話を叩き潰して、膝蹴りを入れてやります」

 いやいや、こういう時はですね、『セルフ・トーク』をしてみましょう。例えば、「大丈夫、大丈夫・・・・・・」とか「なんとかなるさ」とかですね。

「大丈夫、大丈夫。なんとかなるさ・・・・・・でもおれには無理だ。このうるさい客をぶっ殺してやる」

 あのねえキミ!

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「・・・・・・で、先生はとうとう怒りが抑え切れなくて、この患者に手をかけてしまったと」

「すみません刑事さん。殺すつもりはなかったのですけど・・・・・・」

6月7日  ジャーナリストの日

「日本でジャーナリストになるのは簡単だよ」

「え!先輩、ほんとうですか」

「ぼくはジャーナリストですと勝手に名乗って、世間が認めてくれたらそれでジャーナリストになれるんだ」

「へえ、なにか資格が必要なのかと思っていました」

「まあ、ノリでなれる職業だな。ははは」

 わたしは腰に手を当て、大声で笑った。

「ところできみは報道カメラマンだったね」

「はい」

「厳しいだろう」

「厳しいっす」

「今じゃ、誰でも携帯電話に高性能カメラが付いている時代だからなあ」

「そうなんですよ。特ダネなんてめったに撮れないのに、素人が手軽に撮影してネットにあげちゃいますからね」

「お互いやりにくいよなあ」

「まったくですねえ」

「それでおれは考えたんだよ」

「なにをです?」

「事件てのは待ってても起きない。事件は自分で作るものだってね」

「ほう。名言・・・・・・なんでしょうか、それ」

「“ほぼ真実”なんて報道は、“ほぼデマかせ”だ。“声なき声を拾う”なんて、最初からないことをそれらしく記事にするだけだしな」

「でも記事にするには、デスクから裏取りを求められるんじゃないんですか」

「ネットでググるか、そこらへんの子供か友達に頼んで声を上げてもらえばいいんだよ」

「そんなことやっていたら、いつか非難を浴びるでしょうに」

「その時はその時だ。言論の弾圧だと訴えてやるさ」

「なるほど・・・・・・で、さっき言ってた事件ていうのは」

「もう起きてるじゃないか。報道写真の捏造ねつぞう事件だよ」

「捏造?」

「きみが犯人だよ。ほら、あっちから警察官が来る。しっかり捕まり給えよ。ぼくが記事にするから」

6月8日  ステハジの日

 6月の昼下がりの喫茶店である。結子ゆうこ光雄みつおがコーヒーを飲みながら、何やら神妙な顔をして話し込んでいる。

「・・・・・・というわけだから」

「ねえ、“ステハジ”って言葉知ってる?」

 結子が光雄に尋ねる。

「知らない。なにそれ」

「“使い捨ては恥ずかしい”ってことよ」

「ふうん。たとえば?」

「いま世界で一番の問題は『海洋プラスチック問題』ね」

「ああ、聞いたことがあるよ。海に捨てられたごみ袋とかを、魚が食べちゃうって話だろう」

「そうそう」

「でもある程度は仕方がないんじゃないか」

「そういう気持ちがそもそもいけないのよ。光雄、世界中で一年間にプラスチックゴミがどれだけ海に流出していると思う?」

「どれぐらいって・・・・・・見当もつかないけどさ」

「8百万トンよ」

「それってどのぐらい」

「ジャンボジェット機で5万機分ね」

「5万機!そりゃ尋常じゃないな。でも、それって主に後進国から出るゴミじゃないのか」

「残念でした。日本はプラスチックゴミの流出で世界第2位なんだって」

「ううん。めちゃくちゃ不名誉な順位だな」

「でしょう。このままだと2025年には海洋ゴミが、魚の数を上回ることになるんだって。だからエコバッグは必需品なの」

「プラスチックのストローとかスプーンも考えないとな」

「あ、それから食品ロス衣類ロスね。そういうものをわたし達は平気で捨ててるけど、世界では困っているひとがたくさんいるのよ」

 光雄は腕組みをして考える。

「なるほど、とにかくゴミを減らさないといけないんだな」

「やっと分かったみたいね。だから、わたしを捨てようなんて話し、金輪際こんりんざいくちにしたらだめだからね」

「ちょっと待て。それとこれとは・・・・・・」

6月9日  ロックの日

「ねえキミ。芸能界に興味ないかなあ」

 杏奈あんなが原宿を歩いていると、突然男に声を掛けられた。

「はい?」

 男は背が高く、若作りはしているが、杏奈の父親ぐらいの年齢のようだった。業界人らしく、鼈甲べっこうのメガネがちょっといやらしい感じがする。

「キミならアイドル歌手になれるかもよ?」

「興味ありません」

「ほんとに」

「まったく」

「じゃあ、女優さんなんてどう?」

「あたし、ハード・ロックにしか興味ありませんから!」

「え?」

「失礼します」

 杏奈はきりっと唇を結ぶと、男を避けて足早に去って行ってしまった。男は雑踏に紛れる杏奈の後ろ姿を見送りながら唇をゆがめた。

「ロックしてるねえ」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 杏奈はいろいろなバンドに顔を出していた。最強のバンドを作るためにメンバーを物色していたのである。

 素人バンドと仲良くなる方法はいたって簡単だ。杏奈はボーカリストとして、あるていど名が知れていたのでスタッフに顔が効いた。ライブの打ち上げになに食わぬ顔で潜り込めばいいのだ。

 ライブの演奏を聴いて、目をつけたバンドマンと酒を酌み交わしながら音楽の話で盛り上がる。この時大事なのは、相手がどういうロックに心酔しているのかを見極めることである。

 ロックと一口に言っても、その種類は多義に分かれる。相手がどういうたぐいのロックを好むかで、会話を変える必要がある。これを間違えると二度と友達になれなくなってしまうのだ。

 もともとロックとはエレキ・ギターを中心にした音楽のことをいう。「ロックン・ロール」はチャックベリーを代表とする黒人音楽のR&Bから生まれたもので、演奏にはピアノやサックスなども登場する。あのビートルズもチャックベリーの音楽に憧れてバンドを始めたのは有名な話である。ローリングストーンズなどの白人ロックを「ブルース・ロック」と呼んだり、フォークとロックを融合させたボブディランのような音楽を「フォーク・ロック」と呼んだり、もちろん「ジャズ・ロック」もある。また、ドラッグの影響を受けた幻想的なロックを「サイケデリック・ロック」と言ったりする。そして、電子音楽をふんだんに取り入れたピンクフロイドに代表される「プログレッシブ・ロック」がある。ハード・ロックよりもさらに激しく、低音とシャウトを多用し、髪を振り乱しながら歌うのが「ヘヴィー・メタル」だ。ヘヴィー・メタルをさらにアウトロー化させたのが「パンクである。彼らは激しい音楽に尖った髪型や奇抜な衣装、素顔を垣間見ることのできない化粧を施したバンドである。

 杏奈の目指すバンドは「ハード・ロック」だ。ボーカルのシャウトとエレキ・ギターのソロが絶妙に入る疾走感あふれるノリノリの音楽なのだ。

 今日のバンド『モンタナ・シャドウ』のお目当てはベーシストの斎藤さいとうだ。

「最終節のベースライン最高だったね」

「え、わかっちゃった?あれが分かるとはあんた、ただ者ではないな」

「あのベース、WHOフーのエントウィッスルを彷彿とさせるわね」

 斎藤の演奏の癖で、好きなバンドを推測してみたのだ。

「エントウィッスルはおれの憧れなんだよ。あんたの好きなバンドは?」

モーターヘッド

 斎藤がぶっ飛んだ顔をした。

「はじめて女の娘の口からその名前を聞いたよ。普通ツェッペリンとかディープパープルが出て来るもんだけどね・・・・・・」

「エース・オブ・スぺーズが最高。あたしシンプルで奥が深いロックが好きなの」

「気に入った!きみなんて名前だ。メンバーにも紹介するよ」

 よほどのイケメンでもない限り、ベーシストやドラマーに近寄ってくる女はいない。一番モテるのはやはりボーカルで次にギタリストになる。ベーシストは自分でも、その存在意義を忘れてしまいそうになる時があるくらいなのだ。

 杏奈は「モンタナ・シャドウ」にうまく取り入って、勝手にマネージャー的なことをやり始めた。それと同様なことを、別のバンド『スパッシュ』でも実行し、ドラムの滝沼たきぬまと、『ランダムスネイク』のギタリストの宮野みやのとマブ達になれた。そして杏奈は勝手に3つのバンドの共同ライブを開催する段取りまでつけてしまう。

 その事件は、ライブの打ち上げで起きた。

 酔っぱらったバンド間でロック定義についてぶつかり合い、大乱闘になってしまったのである。最終的にはそもそもの発端が、斎藤、滝沼、宮野の3人が、各々のバンドに杏奈をわが者顔で出入りすることを許したことだということになり、彼らはバンドから追放されることになってしまった。

「まいったなあ」

 目の周りに痣を作った斎藤が、夜空を見上げてつぶやいた。ベースギターを重そうに担いでいる。

「ゴメンネみんな」

 杏奈は小さな声で謝った。

「杏奈のせいと違うだろ」

 肩幅の広いドラムの滝沼がかばうように言った。

「おれ、前から誘われてた別のバンドにでも入れてもらうわ」

 痩せて背の高いギタリストの宮野がタバコをくわえたまま言った。

「みんな。わたし達でバンド組まない?」

 杏奈が3人の前に立ちはだかる。

「バンド名は決めてあるの『ネッシーの卵』っていうんだ」

 3人のバンドマンは顔を見合わせるのだった。

(うまく行った)

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 『ネッシーの卵』はライブを重ねてあっという間にファンを獲得して行った。そしてメディアでも注目されるようになり、とうとうメジャーデビューすることが決まった。

 4人は控室で出番を待っていた。そこへあの鼈甲べっこうメガネの男が入って来た。

「あ、片桐さん!」

 3人が声を揃えて起立した。

「おう」

 片桐は片手をあげて3人に挨拶をする。杏奈もペコリと頭を下げる。(この人この業界の有名人だったのか)片桐は杏奈にも笑顔を向けた。

「これでようやくキミを捉えたな」

「え、何ですか?」

「覚えていないのか。あの時きみはハード・ロックじゃなけりゃ厭だと言ったじゃないか」

「どういう意味?」

「この3人は、おれがきみのためにあつらえたメンバーだってことさ」

「え、そんな」

「きみの好みを調べるのに苦労したけどな」

「ぼくらも杏奈のボーカルに惚れてたしな」と斎藤が言った。

「バンドを辞めるきっかけがなくってよ」宮野がウィンクしてみせた。

「ところで、なんでバンド名を『ネッシーの卵』にしたんだね?」片桐が杏奈に訊いた。

「そういえばおれ達もまだそれ訊いてなかった」と滝沼が言う。

「わたし、とにかくロックが好きなの」杏奈がにっこり笑った。

「6月9日はロックの日、そしてネス湖のネッシーの写真がはじめて新聞に掲載された日なのよ。それから形がちょうど数字の6と9を並べたように見えるから卵の日でもあるわけ。それでネッシーの卵!」

 片桐は唇をゆがめた。

「相変わらずロックしてるねえ」

6月10日 梅酒の日

「最近さあ、疲れがたまりやすいんだよねー」

 有美子ゆみこはソファーに身をゆだね、携帯電話を首に挟みながら爪にマニュキアを塗っている。

「なに言ってるのよ、まだ若いのに」

 話しているのは、学生時代からの友人の知代ともよである。

「女も25過ぎれば、下り坂一直線なのよ」

「あなた仕事はどうなったの」

「この間、連載終わったばかり。その後はまだなにも決まってない」

 有美子は駆け出しの漫画家なのだ。

「暇なんだ」

「人生に、休憩は必要なのだ」

「休んでばっかりしていたら身も心も腐るよ。あ、それよか6月になったら青梅が旬じゃない。梅酒でも作ったらどう?」

「梅酒?」

「梅酒はいいわよう」

「何にいいのよ。わたしはビールの方がいいけど」

「まずお肌にいい。ダイエットにもなる。便秘が解消する。血液がサラサラになる。老化防止に効果がある」

「ええ。マジで、すごいじゃん。作り方教えてよ」

「オーケー。出来上がったらあたしも飲みに行くからね」

「メモメモ・・・・・・と。はいどうぞ」

「まず青梅を1kg、氷砂糖を800gぐらい・・・・・・甘いのが好きなら1kg、甘さを抑えたいなら500gを用意する」

「あたしは甘い方がいいや」

「それから梅酒を保存する4リットルの瓶が必要よ」

「それだけ」

「あとは竹串とか、キッチンペーパー。それぐらいなら家にあるでしょ」

「竹串はないけど、爪楊枝ならある」

「うん、それでいいよ。焼き鳥を食べた竹串じゃなけりゃ」

「そんなことするか」

「あんたならやりそう」

「で、肝心な作り方は」

「まず、青梅をしっかり洗います。このとき痛んでいたり、傷がついている梅は外すのよ」

「外した梅はどうするの」

「適当に食べるかどうにかして。ヘタの部分の汚れも楊枝とかで落とす。でも傷をつけたらこれもだめになりますのでご注意を」

「ヘタこくなってことね」

「さすが漫画家。下らないシャレがお上手」

「照れるなあ」

「褒めてないって。次に、洗った梅の表面の水分を綺麗に拭き取ります。適当じゃだめだからね」

「なんで」

「雑菌が湧くから」

「ほう、雑菌が・・・・・・」

「梅の水分をぬぐったところで、瓶の中に梅、氷砂糖、梅、氷砂糖の順で3、4段交互に入れて行くの」

「なんでいっぺんにいれたらダメなのさ」

「よく馴染ませるためよ。全部入れ終わったら、最後にホワイトリカーを注ぎ入れて蓋をして一旦作業は終わり」

「おお!簡単じゃん。それで、どのぐらいで飲めるようになるの」

「だいたい2、3か月後には飲めるようになるよ。それまでは1週間に1度は静かに瓶をゆすって、梅のエキスをホワイトリカーに浸透させるのがポイントよ」

「了解。梅は入れっぱなしでいいのね」

「1年たったら梅は出して。せっかくの梅のエキスが再び皺々の梅に戻ってしまうから」

「そうか。外した梅も食べてみよう」

「あと、ホワイトリカーをブランデーとか日本酒に置き換えるのもまた違った梅酒が完成するから挑戦してみるといいわよ」

「ようし!忙しいけど頑張ってみるよ」

「だれが忙しいって?」

「知代。完成したら連絡するから試飲会をやろう」

「了解。たのしみに待っているから。じゃあね」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 かくして、8月の夏真っ盛りに梅酒パーティーが開かれたのである。招かれたのは知代と有美子の共通の友人知人たちである。

「なにこれ。めっちゃ美味しいじゃん」

「あ、それね、ブランデーでつけたやつ。ほかにもいろいろあるよ」と有美子が笑顔で答える。

「あんたどんだけ作ったの?」

 あきれ顔で知代が訊いた。

「うん。せっかくだから10瓶ぐらいかな。これで1年は暮らせそう」

「笑える。梅酒屋さんか」

 全員が大爆笑した。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「知代。なんか税務署から呼び出し喰らったんだけど」

 有美子が神妙な声で知代に電話をかけてきた。

「あんたまさかあの梅酒ひとに売ったんじゃないだろうね」

「え、だめなの?」

「だめだよ。梅酒は自家消費ならいいけど販売するなら免許が必要になるんだもの」

「知人でも?」

「あげたのならたぶん問題ないだろうけどね」

「ならだいじょうぶ(ほんとは売ったけど)。ほっとしたよ」

「あの梅酒をあげたわけ?」

「ええと・・・・・・たしか白ワインで漬けたやつ」

「それはやばいよ」

「なんで」

「使っていいのはアルコール20度以上のお酒に限られているのよ」

「低いほうがいいような気がするけど・・・・・・」

「それがだめなのよ。アルコール度数が低いと二次発酵して度数があがっちゃう可能性があるから」

「まずい?」

「酒税法違反ね。あんた、10年以下の懲役または100万円以下の罰金に処せられるわよ」

「それ先に言ってよ!」・・・・・・というところで目が覚めた。

 どうやら有美子は梅酒を飲み過ぎて悪夢を見ていたらしい。有美子はため息をついた。実はひそかにネット通販で儲けようと思っていたのだ。

「梅酒だけに、そんなうめえ話はないってことね」

6月11日 傘の日

「あなた達、こんな所で何してるの。早く教室に入りなさい!」

 校舎の陰で、颯一郎そういちろうが数名の男子学生に囲まれていた。

「なんだ。生徒会長かよ。なんか文句あんのかよ」

 顔見知りの生徒が振り向いた。番長格の権太ごんただった。

「別に。颯一郎にちょっと用事があっただけだよ」

 わたしは眉をひそめた。

「あんた達、また風間くんからお小遣い巻き上げようとしてたんじゃないでしょうね」

「そんなおっかない顔すんなよ。ちょっと小銭をお借りしようかと思っただけさ。なあ、颯一郎」

 颯一郎はうつむいたままだった。

「先生に言いつけるわよ」

「うるさいなあ。おい、行こうぜ」

 そう言うと、颯一郎を残して男子学生たちは校舎の中に消えて行った。

「だいじょうぶ?」

「・・・・・・」

「颯一郎は優しすぎるんだよ。だから権太みたいなやつらから狙われて・・・」

「ごめん」

 颯一郎の目に涙がにじんでいる。

「そうだ。今週末、映画観に行こうよ。チケットが2枚あるんだ」

「ふうん。何の映画?」

「カンフー映画。ほらブルース・チャンのかっこいいやつ」

「いいけど」

「じゃ、日曜日にいつものところで。時間はあとで連絡する」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 映画館を出ると、わたしたちはハンバーガーショップに入った。

 わたしと颯一郎はつき合ってすでに1年が経過している。にもかかわらず、内気な颯一郎はわたしの手も握ってくれないのだ。映画を観るときも、いつも腕を組んだままじっとスクリーンに見入っている。今日の映画ではちょっとは興奮していたみたいだが、もう少しわたしに対して積極的になってもらいたいものである。

「あれ、あやちゃん、雨が降って来たみたいだよ」

 窓ガラスの外を見ると、大粒の雨が降り出していた。道行く人が小走りに動き出す。

「天気予報じゃ、今日は降らないって言ってたのになあ。ぼく傘持って来なかったよ」

 わたしはとっさにジョークを思いついた。

「颯一郎。わたしの親が『JAXA』に勤めているって知ってるよね」

「日本宇宙開発機構だっけ」

「そう」

 わたしは、リュックから銀色の折りたたみ傘を取り出した。

「この傘はね、NASAが開発してCIAやFBIが使っている傘なんだよ」

「へえ」

「この傘をさすとさ、中にいる人間の姿を隠してくれる特殊機能が付いているんだって」

「ほんとう?すごいね!」

「使ってみようか」

「うん」

 わたしたちは店を出て傘を広げた。

「へえ。これで周りからは、ぼくらの姿が見えないんだよね」

「うん、まあ・・・・・・そうね」

 そこへ権太が、母親と一緒に通りかかった。親子で相合傘をしている。颯一郎と権太の目が合った。颯一郎はなんと権太に向かってアッカンベーをしてみた。権太は一瞬颯一郎に目を向けたが、なにも見えなかったかのようにわたし達の前を通り過ぎて行ったのだった。

「おお!これはすごいぞ」

 颯一郎はすっかりテンションが上がったようだ。

 わたしの家の前に到着した。颯一郎はわたしの肩に手を回し、周囲の視線も気にせずに突然キスをした。

「あなた達こんな所でなにやってるの。早く家に入りなさい!」

 玄関でわたしの母が、腕を組んで立っていた。

6月12日 日記の日

 6月×日

 恋人ができました。

 とても素敵な恋人です。

 6月×日

 恋人の田島くんがキスをしてきました。

 ちょっと積極的すぎ。こまっちゃう。

 6月×日

 わたし妊娠したかもしれない。

 母に相談したら、そんなことで赤ちゃんはできないと言われました。

 6月×日

 最近、教頭先生がわたしをいやらしい目で見てきます。

 6月×日

 恋人と別れました。

 他に好きなひとができたというのです。

 ひどい。信じられません。

 6月×日

 わたしは悲嘆に暮れて学校を休みました。

 6月×日

 クラスメイトのゆう子が給食のパンを届けてくれました。

 わたしはそのパンをゆう子に投げつけてやりました。

 だって、恋人を盗ったのは、そのゆう子だったからです。

 6月×日

 とうとう教頭先生が本性を現しました。

 つき合ってくれたらお小遣いをくれるというのです。

 わたしが断ると、教頭先生は怖い顔をして睨みつけるのです。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

“・・・という内容の日記が校庭に落ちていました。
心当たりのある生徒は、放課後、校長室に取りに来てください”

「校長!」校長室に教頭が飛び込んできた。「なんですか今の校内放送は」

 机の上でなにやら本のようなものを広げていた校長が、うつろな顔をあげた。

「ああ、教頭先生。ここに書かれているのは事実なのかね」

 校長が日記を手渡した。教頭がページをめくる。

「事実無根です。だれがこんなことを・・・・・・」

 そこにノックの音がして、女子生徒が入って来た。瞳が怒りに燃えている。

「校長先生。また他人ひとの日記を勝手に読んだのですね」

「きみはたしか以前にも・・・・・・」

「そうです。荷物検査で大切な日記を読まれた生徒です」

「どういうことだ」と教頭が詰め寄ろうとしてよろけた。

「乙女の日記を勝手に読むなんて、プライバシーの侵害だと思いませんか?実はその日記には揮発性の毒が染みこませてあるんです」

「なんだって!」校長の手が震えだした。

「数ページめくった時点で体中に毒が回っているはずです」

「たかが日記じゃないか。そんなに怒らなくたってきみ・・・・・・」

「あら校長先生。アンネ・フランクリンだってきっと天国でそうとう怒っていると思うわ」

6月13日 小さな親切の日

 親切とは、相手の身になって何かをしてあげることである。

 電車でお年寄りに席を譲ってあげるのも親切だ。この場合、相手が席を譲って欲しいと思っていることが大切ではあるが・・・・・・。「ひとを年寄りあつかいしやがって!」などと思われたら、ただの親切の押し売りになってしまうので難しいところではある。

 値札が付いたままのブラウスを着ているお嬢さんに、そっと教えてあげるのも親切と言えるかもしれない。これが「お嬢さん。下着が見えてますよ」などとこっそり教えようものなら、セクハラおやじになってしまう可能性もある。

 もちろん、親切は特定のひとに対してだけのものではない。駐輪場の枠にちゃんと自転車を入れるのも、電車の座席に荷物を置かないのだって立派な親切なのだ。歩きながらタバコを吸わないのだって、親切と言えなくもない。

 その日わたしは親父の家を訪ねた。もちろんアポなど取っていない。なぜならば、貸した金の催促に来たからである。アポイントなど取って行ったら逃げられてしまう。そう、わたしの親父はロクでもない父親なのである。

 呼び鈴を押した。返事がない。留守なのかと思い引き返そうかと思ったが、ドアの鍵が空いていた。すこし躊躇はしたが、家に入ってしばらく親父の帰りを待つことにした。

 居間に入ると親父の背中が目に入って来た。親父は踏み台に乗り、天井から吊るした紐に首を突っ込んで、ブルブルと震えていたのである。

 この時わたしはおかしなことを考えた。親父の身になって考えれば、ここはそっと背中を押してあげるのが親切なのではあるまいかと。わたしは足音を忍ばせて親父に近づき、ドンと背中を押してみた。

「わ!」

 親父は両足を、釣り上げられた魚のようにバタつかせ、首に食い込んだ紐を取らんともがきはじめたではないか。わたしは背中から親父の胴を抱えて持ち上げた。過重がなくなりようやく紐が緩んだようだ。

「馬鹿野郎!もう少しで死ぬところだったじゃないか」

 ゲーゲーいいながら、親父が涙目でわたしを見た。

「何やってんの」

 わたしは親父を見て微笑んだ。こういう時には笑うのが一番だ。

「お前が来るのが分かってたから、ちょっとふざけてみたらこのざまだ」

「ふうん」

「でも、おかげで生きていることの素晴らしさを知ったよ」

「ほう、それで?」

「死ぬのはいつだってできる。最後まで頑張ってみようってな」

「生きる希望が湧いたってわけだ」

「そうだ。だからもう少し返済を待ってほしい」

「まあ、いいけど。親切って、親を切るって書くんだよな。知ってた?」

6月14日 手羽先記念日

「くそう、捜査に行き詰った。しかたがない。こうなったら一杯飲みに行こうぜ!」

 捜査一係の久遠くどう刑事が席を立った。相棒の郁子いくこも後を追う。

「こういう時には気分転換に限る」

 ふたりは夜の繁華街に出る。時計はすでに夜の10時を回っていた。刑事は公務員だが、実質的に定時というものが存在しないのだ。久遠は馴染みの手羽先屋に入り、ビールとおつまみを注文した。

「とりあえず生ビール2杯と手羽先二人前ね」

「それにしても、どうして凶器がみつからないんですかね」

 郁子はテーブルに肱をついて首をかしげた。

「わからん。容疑者は犯行後10分後には確保したからな。凶器を処分する余裕はなかったはずだ」

「そうですよね・・・・・・」

 その殺人事件は郊外の住宅地で発生した。

 犯人は無職の外国人で、昼間のうちに金持ちの留守宅を物色して空き巣に入ったのである。侵入後、金目の物を探している最中に運悪くそこの主人が帰宅して揉み合いになった。犯人は持っていた鋭利な刃物を使って心臓を一突きすると、なにも盗らずに逃走した。その物音を聞きつけた隣人が警察に通報をして、2km離れた公園に潜伏しているところを警察官に確保されたのである。

「久遠さんはこの店によく来るんですか」

「うん。ここの手羽先は日本一うまいんだ」

 運ばれてきたビールで乾杯をする。郁子は久遠に箸を渡した。

「手羽先に箸はいらないだろう」

「じゃあ、どうやって食べるんですか」

「手羽先のおいしい食べ方は手掴みが基本だ。いいか、まず手羽先の両端をつまむ」

「こうですか」

「そう。そしたら二つに折る」

 郁子が指に力を入れると、チョークを折ったようなポキッという音を立てて手羽先が2つに折れた。

「手羽先はさ・・・・・・」久遠が折れた手羽先を左右に引っ張ってふたつに分ける。「尖った方のことをいうんだ。肉厚の方は手羽中だ」

「そうなんですか」

「まずは手羽中の肉をたべる」

「・・・・・・おいしいです」

「それだけでもいいんだけど、どうせなら手羽先の方の皮や肉、軟骨もいただくといい」

「この皮のところがおいしいですね」

「そうだろう。それで最後に骨までしゃぶりつくすのが一端いっぱしの手羽先通なのさ。この世にこれほどおいしい鶏肉のおつまみが他にあると思うか」

「ないと思います。でも骨まではちょっと・・・・・・」

 郁子は2つめの手羽先に取り掛かった。

「・・・・・・ちょっと待てよ。今なんて言った?」

 久遠はビールを飲む手を止めて郁子を見た。

「これほどおいしいおつまみはないと思いますって・・・・・・」

「そうじゃなくて、その後」

「骨まではちょっとしゃぶれない・・・・・・」

「それだ!」

「被害者は大型犬を飼っていたな」

「確かゴールデンレトリバーだったと思いますけど。それが何か。犬小屋の中まで捜しましたけど、凶器らしい物はみつかりませんでしたよ」

「犬小屋の中じゃないんだ。あの犬、なにかくわえていただろう」

「骨じゃなかったですか」

「骨を削り出したナイフだったらどうする」

「まさか」

「破片だけでも残っていればいいが」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 そのあと久遠と郁子は現場に戻って、犬の食べ残した骨の欠片を回収した。そして、ほんのわずかだが被害者の血液が付着していることが判明したのだった。

「乾杯だ」

 久遠と郁子は手羽先屋に今度は祝杯を上げに来ていた。

「おいしいからいいですけど、どうしてまた手羽先なんですか?」郁子が訊いた。

「この手羽先をよく見てみろ。勝利のVサインに見えないか?」

6月15日 オウムとインコの日

「ねえあいちゃん。インコとオウムの違いって知ってる?」

 ぼくは愛子に話しかけた。愛子は可愛く首をかしげて微笑んだ。

「ええと。インコとオウムの違い。わかんないよ。でも共通点なら知ってるよ。どっちもオシャベリする鳥でしょう」

「九官鳥もしゃべるけどね」ぼくは自信たっぷりに話しはじめた。「まずオウムの方がインコよりも大きい。カラフルなのはインコの方が多い。羽の冠をかぶっているのはオウム」

「へえ、久太郎きゅうたろうくん博識だね」

「まあね。それでさ、いまアパートでインコ飼ってるんだ」

「ほんとう。どんなインコ?」

「首をカクカク動かしたり、おもちゃで遊んだり、肩に乗ってきたり」

「わあ、楽しそう」

「今週末、ぼくの部屋にインコを観に来ない?」

「行く行く!」

 やったね。これでやっと愛子と親しくなれそうだ。

 ぼくは内向的性格で、いままで一度も女性に告白をしたことがないのだ。そこで考えたのが、インコに代理告白させる方法である。ぼくは計画を立ててから、インコのピーコに毎日愛の告白を伝授した。

「愛ちゃん。好きです。好きです。愛してる」

 この言葉をピーコに毎日繰り返し聴かせたのである。あまりにも繰り返したせいで、ぼくはとうとう寝言でも言っていたみたいだ。その甲斐あって、最近ピーコが話はじめた。

「アイチャン・・・・・・スキデス・・・・・・スキデス・・・・・・アイシテル・・・・・・」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 愛ちゃんが部屋に遊びに来てくれた。

「久太郎くん。男の子なのに、意外と綺麗にしているんだね」

「まあね」

 実は昨日大掃除をしたのだ。部屋に入るなり、さっそく愛子は鳥かごを見つけて駆け寄って行く。

「あら、これがインコくん。お名前は」

「ピーコって言うんだ」

「何という種類なの?」

「オカメインコ」

「へえ。かわいいね」

「お茶淹れてくるから、ソファーにでも座ってて」

 ぼくはキッチンに立った。そのとき突然ピーコがしゃべり出した。

「アイチャン・・・・・・スキデス・・・・・・スキデス・・・・・・アイシテル・・・・・・」

 愛子の動きが止まった。

「アイチャン・・・・・・スキデス・・・・・・スキデス・・・・・・アイシテル・・・・・・」

 でも今日のピーコには続きがあったのだ。

「コレデアイチャン、ゲットダゼエ」

 愛子が白い目でぼくを見てる。

「あの、こいつ、寝言いってるみたい」

「アイチャン・・・・・・スキデス・・・・・・スキデス・・・・・・アイシテル・・・・・・コレデアイチャン、ゲットダゼエ」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 その後、ぼくと愛ちゃんはお付き合いをしている。

 後でわかったのだが、あれはぼくの寝言をピーコが忠実に覚えたものだったらしい。しかも、オカメインコは名前に“インコ”と着いてはいるが、実はれっきとした“オウム”だったのだそうだ。

 あれはピーコのささやかな復讐だったのかもしれない・・・・・・。

6月16日 無重力の日

「これがわたしの開発した『重力スイッチ』だ」

 とどろき博士が見せてくれたものは、掌におさまるくらいのタップ式の機械だった。

「意外ですね。こんなキーホルダーみたいな機械なのに・・・・・・。これはどういう仕組みなのですか?」

 新聞記者が博士の偉業を聞きつけて、取材をしに来ていたのだ。

「原理は簡単には説明できないがね、要するに重力をコントロールする装置だよ」

「重力ってあの“G”というやつですよね」

「そう。もしもきみがビルの屋上から飛び降りたとしたら、どのぐらいの時間で地面に着地すると思うかね」

「さあ」

「1秒間に増す速度を加速度という。毎秒9.8メートルの加速度がつくんだ。だから100メートルのビルの屋上から落ちた場合、空気抵抗を考えなければ約3.2秒で地面に激突することになるんだ」

「ゾッとしますね」

「この9.8メートルの加速度を地球の単位で、わかりやすく1Gとしているんだよ」

「なるほど。よくわかりました。それでその重力スイッチを作動させるとどうなるのですか?」

「このボタン押した瞬間にGがゼロになるのさ」

「つまり無重力になるということですね」

「わたしはこれを、高所で働いているひとや、登山者のベルトのバックルに装備させようと思っているんだ」

「落下した瞬間に使えば身体が宙に浮かんで助かるっていうわけですね」

「その通り。でもこれを起動させると、今のところまだ地球全体に影響が出てしまう。ちょっと実験してみようか」

「だいじょうぶなんですか?」

「この研究室の壁は特殊な金属コーティングがしてあるから、外の世界に影響をおよぼすことはまずないんだ」

 博士がスイッチを押す。すると重力スイッチから、けたたましい音が鳴り響いた。轟博士が焦って顔を上げた。

「いかん!娘が防犯ブザーと間違えて持って行ってしまったらしい」

「え?!」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「よう姉ちゃん。俺たちとつきあってくれよぉ」

 帰宅途中の裏路地で、美紗子みさこは不良学生に囲まれていた。

「やめてください。あなた達、まだ高校生でしょ」

「いいじゃねえかよお。減るもんじゃなし」

「人を呼びますよ」

「だれも来やしねえよ。ちゃんと見張りもつけてあるしさ」

 男子学生が美紗子の肩に手をかける。顎に手を当てて無理やり美紗子の顔を上げさせた。

「前からお姉さんのこと気になってたんだ。綺麗な顔だよね。ゾクゾクするよ」

 その時、美紗子は防犯ブザーのスイッチを押した。あれ、どうして。音が出ない。電池切れ?美紗子がそう思ったとき、なぜか全身がフワフワと浮遊感に襲われた。

「いや!やめて」

 美紗子が男を突き放したとたん、美紗子の身体は空中高く舞い上がっていた。

「なに?」

 しかも舞い上がったのは不良高校生たちも同じだった。人間だけではない。自動車やバスや、遠くに見える電車も空中にぷかぷかと浮いている。目の前の出来事が信じられなかった。美紗子は空中を泳いで逃げ出す。

「そんなばかな」

 学生たちがもがいている。推進力がないから、そんなに速くは泳げないようだ。

 空気が希薄になってくる。どんどん上昇して行くと、はるか遠くに海が見えた。海は大きく隆起して、東京ドームを丸く膨らました巨大なボールのように見えた。

「どうなってるんだよ!」

 高校生たちは悲鳴を上げている。

「知らないわよ」

 大地が固い音を立てて割れ始めた。地球がバラバラに分解されて行くのがわかった。大地の裂けめから、真っ赤に燃えるマグマが見えた。

「あんた達のせいだからね。この非行少年が!」

 美紗子は空中をただよいながら少年たちをにらみつけた。

「そう言うお姉さんだって飛んでるじゃん!」

6月17日 おまわりさんの日

「こんにちは。巡回連絡で来ました。〇×交番の久本ひさもとと申します」

 ドアの隙間からのぞくと、玄関先に制服姿のおまわりさんが立っていた。

「警察の方・・・・・・ですよね」

 まだ若い奥さんのようだった。

「はい〇×交番の久本です。根本ねもとさん。なにかお困りのこととかございませんか」

「あの・・・・・・本物の警察官の方でしょうか」

「はい。巡査の久本といいます」

 久本巡査はにこやかに白い歯を見せて答えた。

「警察手帳を見せていただけますか」

「もちろんです。こちらです」

 久本は二つ折りになったバッジケース型の、黒い警察手帳を縦に開いて提示した。下段に金色に輝く警察エンブレム、上段に階級、氏名、職員番号が印刷されたプレートが収まっている。

「・・・・・・ありがとうございます。実は少し困っていることがございまして」

「どんなことでしょうか」

 久本巡査は警察手帳をポケットに仕舞い、バインダーのページをめくった。

「込み入った話になります。ここでは何ですから、どうぞ中にお入りになって」

「いえ、こちらで結構です」

「そんなことおっしゃらないで。お願い」

 女性の真剣な眼差しが訴え掛けている。

「分かりました。それじゃあ少しだけおじゃまします」

 市民の悩みを聞くのも警察官の仕事なのである。玄関を入ると右手が応接間になっていた。

「どうぞこちらにお掛けになって。今お茶を淹れますね」

 そう言うと女は奥に下がってしまった。

「あ、どうぞおかまいなく」

 久本の声が届いたかどうか。しばらくすると、お盆にコーヒーとケーキを載せて女が戻ってきた。

「お若いから、日本茶よりコーヒーの方がいいかと思って」

 女はにっこりと笑う。

「ああ、すみません。公務中ですのでいただくわけにはいきません」

「そうなの。せっかくだから、せめてコーヒーだけでも飲んでいただきたいわ」

 女が切なそうに久本を見つめる。

「ありがとうございます。それではコーヒーだけいただきます」

 久本は出されたコーヒーを口にした。署で飲むインスタント・コーヒーではなく、本格的に豆から挽いたコーヒーのようだった。

「おいしいです。久しぶりに本格的なコーヒーをいただきました。ありがとうございます」

「お気に召してよかったわ」

「それで、お困りごとというのは」

「実は銀行員と名乗る男から、磁気不良が発生したのでキャッシュ・カードと暗証番号を渡して欲しいと、先ほど電話で連絡がありまして」

「それはおかしいですね。絶対にキャッシュ・カードを渡してはいけませんよ」

「それが、カードの受け渡しは危険なので警察官を行かせるって言うのよ」

「それはぼくではありません。そうすると、もうすぐ警察官になりすました偽者が現れるということですか」

「そうなるわね」

「それでは、とりあえず安全のためにキャッシュ・カードは本官が預かっておきますのでご用意を」

「ありがとうございます。実はもう一つ困ったことがあるの」

「なんでしょう」

「主人が重病で、臓器移植が必要なのよ。ドナーが見つからないと、あと一週間の命だって言われているの」

「それは大変ですね。でもそちらはお医者さんでないと対応できそうもないですが、もしぼくにできることがあれば言ってください」

「ありますとも。あなたの臓器をいただきたいのよ」

「なんですって!」

「さきほどのコーヒーには睡眠薬をたっぷり入れてあるの。眠っている間に取り出すから痛くないのよ。うちの親戚の医者は、腕だけはいいですからね」

「なぜそんなことを・・・・・・」

「久本さん。職員番号を教えていただけますか」

「ええと、たしか警察手帳に・・・・・・」

「この世に職員番号を暗記していない警察官なんてひとりもいないのよ。しかも黒い警察手帳なんて・・・・・・本物の警察手帳の色はチョコレート色をしているって知らなかったの?」

「そんな」

「頭悪いわね。でも安心して。脳移植じゃないから」

6月18日 考古学出発の日

「分かったわ。わたしより埴輪はにわが好きなんでしょ」

「そんなこと言うなよ。喜美子きみこのことが一番だって知ってるだろう?」

「でもまた発掘に行くのよね。わたしを置いて」

「仕方がないじゃないか。新しい遺跡がみつかったんだから」

「こうやってわたしたちの幸せも、古墳と共に埋もれて終わって行くのね」

「喜美子。結婚式には前方後円墳のウエディングケーキを用意するからさ」

「それを誰が喜ぶっていうのよ!」

「ごめん。じゃあ行ってくる」

 ぼくは電話を切って家を飛び出した。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 文字で書かれた資料を研究するのが『歴史学』なら、土器や石器などの遺物を研究するのが『考古学』だ。どちらにもロマンがある。ぼくは新たに遺跡を発掘できたときの感動を追い求める考古学者なのだ。

「先生おはようございます」

 日曜日の早朝だというのに、生徒たちはもう作業に入っている。ぼくは地層の断面図を書くために張り巡らされた“水糸みずいと”をまたいで現場に入った。6月とはいえ、もうかなり暑い。ぼくは定番のアロハシャツ姿で発掘をはじめた。

「先生。今日はここから“エンピ投げ”をお願いできますか」

 エンピとは先の丸いスコップのことで、エンピ投げとは地面を掘って土砂を放り投げることを言う。これには技術が必要で、遺物と思われるものに当たったら即座に動きを止めなければいけない。せっかく生きたまま(原型をとどめていること)の遺物が眠っていたのに、破壊してしまったら元も子もないからだ。

 ぼくはしばらくエンピで土砂を投る作業に専念した。土砂は“ネコ”と呼ばれる一輪車で運ばれていく。ネコの通り道である“ネコ道”の先には、みるみる“ネコ山”という土砂の山ができ始めていた。

「でも先生」ネコを操っている学生が声を掛けてきた。「高輪先生は新しい遺跡を発見する天才なんですってね」

 ぼくは汗をぬぐって彼を見上げた。

「いや。ぼくはただ運がいいだけだよ」

「あやかりたいです。そういう方を考古学仲間では“当たり屋”って言うんだそうですね。ぼくなんかもう2年も掘り続けてますけど、一向にそんな目にあったことないです」

「どうだろうね。地道に続けるしかないと思うけど・・・あ、そこの“バカ”取ってくれる」

「ぼくのことですか?」

 ぼくは笑ってしまった。

「ちがうよ。土をすくう“バカ棒”のことさ」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 陽が暮れたので今日の作業はここまでとなった。発掘現場はブルーシートで綺麗に覆う。発掘された陶器の破片などは“ものひら”と呼ばれる袋に入れておいて、明日洗うことにした。

 ぼくは四輪駆動車に乗って現場を後にした。

「教授。気を付けてください」

 ぼくは学生たちに手を振って現場を離れた。

 市街地の繁華街を通って帰路につく。途中ファミーレストランで夕食をとったので、すでに夜10時を回っていた。

 その時、いきなり車の前に人影が現れた。「!」とっさにブレーキを踏んだが間に合わなかった。タイヤが怪鳥の悲鳴のような音を立ててスリップした。四駆は車体を横にして停車した。

「だいじょうぶですか」

 ぼくはすぐさま車を飛び降りた。ヘッドライトが路上に倒れた男を照らしていた。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 ぼくは交通課の警察官の説明を聞いていた。

「高輪さん。気にしなくてだいじょうぶですよ。あの男は当たり屋の常習犯ですから」

 なんとぼくは本当の“当たり屋”に狙われたのだ。

「そうでしたか。実はぼくも普段“当たり屋”って呼ばれているんですよ」

 その言葉がいけなかった。ぼくはそのまま警察署に連行されてしまった。

 翌日”埴輪のフィアンセ”を名乗る彼女が来てくれて、ぼくを警察署から発掘してくれたのにはたいへん感謝している。

6月19日 朗読・ロマンスの日

「なにひとりでボーッとしてんのよ」

 いつの間にか、彼女がぼくの部屋に入ってきていた。

「なにって・・・・・・とくにやることもないしね」

 ぼくは窓の外を眺めていた。大理石のような空に、鉛色の雲が重苦しく張り付いているだけの景色だった。

「きみが来てくれると、ちょっとやることができるんだけどね」

 ぼくは彼女を抱き寄せて言った。

「だめよ。昼間からそんなこと」

 彼女はあらがいながらも、唇を寄せて来た。

「いいこと。このままだとあなたはボケてしまうわよ」

「まだそんな歳じゃないよ」

「若年性痴ほう症だってあるんですからね」

 彼女はぼくの胸に顔をうずめ、上目遣いにぼくを見あげる。

「そうだ、朗読をしたらどうかしら」

「朗読?」

「そうよ」

 彼女はぼくの腕から逃れて、本棚を指さした。

「本ならいっぱいあるじゃない。新聞でもいいのよ」

「音読と朗読とはどう違うの」

「音読はただ単に、文章を声に出して読むこと。朗読は、人に聴かせるために読むことよ」

「独り暮らしなのに?」

「音読はアナウンサーの世界に近いけど、朗読はどちらかといえば声優の世界に近いかな」

「声優ってあのアニメとかの?」

「そうよ。音読は正確さが大切なの。でも朗読はそれに加え、表現力が必要になるのよ」

「朗読やって何かいいことあるの」

「たくさんあるわよ。まずは声帯の筋肉を使うでしょう。自分の声を耳で聴くことになる。今度はそれを脳が感知する。だから脳の活性化にもつながるってわけ」

「ボケ防止ってこと」

ぼくはコーヒーを淹れ始めた。

「それだけじゃないわ。カラオケ好きでしょ」

「ああ。気分転換に時々行くね」

「朗読にも同じような効果があるの。声を出して読むことで、自分自身を解放することができるのよ」

「へえ。しかも場所と時間を選ばないってか」

「そういうこと。室内でもできる趣味ってことね」

「まあ、お金はかかりそうもないね」

 ぼくはふたり分のコーヒーをテーブルに置いた。

「老後は子供や孫に絵本を読んであげられるし、物語の中に昔の郷愁を思い出すことだってできるわ」

「今から老後の話かい。よしわかったよ。何か買って読んでみるよ」

 ぼくらはコーヒーを飲んだあと、ふたりだけの濃密な時を過ごし、彼女を駅まで送って行った。その帰りに商店街の本屋さんに寄って、新刊コーナーで適当な本を選んで購入した。

 帰ってくると、ちょうど隣の部屋のおじさんが出て来て会釈をされた。

「あ、どうも」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 翌日から朗読を始めた。

 朗読はアナウンサーでもあり、独り芝居の役者でもあるような気がする。描写部分は映像的な絵が浮かぶように、会話の部分は想像力を膨らませて読んでみた。

 数日して彼女が訪ねて来た。

「どうしたの?」

 ぼくは布団を被って本を朗読していた。そして布団から顔を出してぼくは苦笑いをした。

「実はさ、隣のおじさんに推理小説の最後をそんなに大声で読まれたら困るって苦情をもらったんだ」

「あら。そんなに声が隣に聞こえていたの」

「うん、そうなんだ。ふたりのロマンスの声は我慢できるんだけど・・・・・・だってさ」

6月20日 ペパーミントの日

「ねえパパ。スペアミントとペパーミントってどう違うの?」

 リビングでくつろいでいると、女子大生の娘が訊いてきた。どうやら今作っている料理にハーブを使うつもりらしい。

「簡単に言えば味と香りが違うんだよ」

「どう違うの?」

「どちらもメンソール系だけど、どちらかというとスペアミントの方が優しくて、ペパーミントの方がメンソール感が強いんだ」

「ペパーミントの方がスースーするってこと」

「そうだよ。ペパーミントのペパーはコショーから来ているんだ」

「ああそうか、それで刺激が強いんだ。スペアミントの方は?」

「葉っぱが中世のヤリみたいな形だからさ」

「ふうん。料理だったらどっちを使えばいいのかしら」

「スペアミントの方が無難だと思うけどね。ただペパーミントもチーズとかクリーム系の料理に合うから、ケースバイケースってとこだろうよ」

「そっか、クリーム系にね。よし」

 娘はどちらを使うか決めたらしい。鍋をかき混ぜながら話を続ける。

「そういえばペパーミントってガムとか歯磨き粉にもあるよね」

「そうだな。ペパーミントと言えばさ、パパの若い頃のF1を思い出すなあ」

「F1ってレースの?」

「そう。ペパーミントとはちょっと違うかもしれないんだけど、あの頃はペパーミントグリーンのF1マシンが走ってたんだよ。メチャクチャかっこよかったなあ」

「どうしてそれがかっこよかったのよ」

「バブル時代はタバコのスポンサーが多くてね、マルボロとかキャメルのカラーが目立ってたんだよ」

「白、赤、黄色の原色だね」

「その中にあって、“レイトンブルー”と言われていたんだけど、アパレル会社がスポンサーをしていたチームがいたんだよ。今でも目に浮かぶよ。あの色は斬新だったな」

「今はもう走っていないよね」

「バブルの崩壊と共に泡と消えたのさ」

「へえ。それで、強かったの」

「30戦して、表彰台に1回上がったかな」

「ペパーミントブルーだけに、お寒い結果ね」

「パパは今でも復活を願っているんだ」

「ほら出来たよ。召し上がれ」

 娘がわたしの前に、大ぶりな料理皿とスプーンを置いた。

「なにこれ?」

「色も着けてみました。パパ憧れのペパーミントグリーンのカレーだよ」

「・・・・・・」

6月21日 夏至・スナックの日

 今日の彼女はとても不機嫌だった。

 6月21日は、夏至げしである。夏至とは一年で一番昼間が長い日なのだそうだ。どうやら彼女の親友と、隠れて買い物に出かけたことがバレてしまったらしい。

 夏至だけに、彼女から言わせると、ぼくは浮気の“下手人げしにん”なのだそうだ。「ゲシュニンだろ」とぼくが指摘したら、江戸時代ではゲシニンと言ったのだそうだ。そういえば、ぼくは民族学だけど、彼女の大学での専行は歴史学だった。もしかして、夏至だけにゲシュタポ(ドイツの秘密警察)でも雇っていたりして・・・。

「あのさ。誤解だと思うよ」

「なにが誤解よ。ここは3階だよ」

「そういうのはいいから。美菜みなちゃん機嫌なおしてよ」

「あたしに隠れてなにコソコソしてんの。信じられない」

 美菜子はぷんぷんである。それでもぼくの部屋に来ているのだから、そこまで怒っているのではないような気もする。

「じつはさ。今日はなんの日か知ってる?」

「夏至でしょ」

「夏至には何を食べるのでしょうか」

「何を食べる?」

「そう。夏至は昔『歯固め』といって、固くなった正月のお餅を焼いて食べたんだ」

「どうしてよ」

「長生きを祈願するためだってさ」

「ふん。それがどうしたっていうのよ」

「それにちなんで、各地で固いものを食べる習慣が残っていてね」

「お餅じゃなくて」

「固いせんべいとか、栗とかスルメなんかもね。固いかどうかは分からないけど関東だとタコを食べたり、静岡では冬瓜とうがん、福岡は焼き鯖を食べる習慣が残っているんだそうだ」

「だから」

「それでね。歯固めと関連付けて“スナックの日”ともいわれているんだよ。固い歯ごたえのあるお菓子もあるだろ」

「それで」

「美菜ちゃんと末永く一緒にいられるようにと、祈願するお菓子を選んでいたのさ」

「それがなんで夕子ゆうこと一緒に行く必要があるのよ」

 ますます雲行きが怪しくなってきた。

「じつはこの買ってきたポッキーを食べつくすとだね、グラスの底にあるものが沈んでいる」

「え?」

「美菜子と夕子って、指のサイズ同じだって言ってたからさ」

「・・・・・・」

 美菜子は目の前のテーブルに置かれたポッキーのグラスをしばらく見つめていた。ふいに美菜子がポッキーの端をくわえて僕を見る。ぼくもそのポッキーの端を口にくわえた。そのままぼくらはポッキーを、端と端から食べはじめた・・・・・・そしたら・・・・・・。

6月22日 ボウリングの日

「ボウリングやろうぜ」とつぜん道彦みちひこが言い出した。

 大学の講義の帰り道である。

「ボーリング?」

武司たけし、ボーて伸ばさないの。ボーリングだと地面に穴掘っちゃうことになるぞ」

「ああそう。道彦、ボウリング得意なのかよ」

「まあね」

「ぼくあんまり運動神経よくないから・・・・・・」

「新しいボウリング場ができたんだってさ。人気なんだってよ。話のタネに行ってみようぜ」

「いいけど・・・・・・暇だし」

 ぼくたちはその新しく駅前に出来たボウリング場に行くことにした。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 広々としたレーンに、ボールに弾かれたピンの乾いた音が響き渡る。

 ぼくたちはまず、フロントで靴とボールを借りることにした。裸足の道彦は靴下まで買わされてブスッとしている。ぼくは軽めのボールを捜した。

「男は重たいボールだろう」といいながら、道彦はずっしりと、一番重いボールを選んだ。道彦のボールは黒だ。軽めのボールだとカラフルな色になるらしい。ぼくのボールは緑色をしていた。

 ぼくらの順番が来たので、レーンのベンチに腰をかけた。すると同時に隣のレーンに二人組の女子がプレーをはじめたのだった。道彦はぼくに目くばせを送った。(今日はついてる)そんな目だった。

 道彦の第一投目。勢いよく後ろに振り上げたボールは、その重さに耐えきれず、無残にも道彦の後ろに落っこちて転がった。

「あれ」

 頭を掻いた道彦を見て隣の女子が笑った。

「ごめんなさい・・・・・・つい」そう言いつつ肩がひくついている。道彦はボールを交換しに行った。

 隣のレーンの長い髪の女子がボールを投げる。美しいフォームだった。ボールはピンの手前で鮮やかなカーブを描くと、10本のピンを綺麗に薙ぎ倒した。ストライクである。もうひとりの短髪の女子は彼女ほどの腕ではなかったが、そこそこ上手かった。

 新しいボールで気を取り直した道彦は、馴れた動作でボールを放った。本人はストライクのつもりだったのだろうが、右隅に2本のピンが残った。道彦は慎重に狙ったが、倒れたのは1本だけだった。

 さて、ぼくの番だ。呼吸を整えて投球フォームに入る。歩幅が合えばいいのだが・・・・・・ちょうどその時、隣のレーンの短髪女子の投球とタイミングが被ってしまった。ぼくはモーションに急ブレーキをかけたが間に合わなかった。ぼくのボールは惨めにも右側の溝に飲み込まれて行った。

 短髪の女子と目が合った。ちょっと気まずかった。

「あ~あ。しょっぱなからガーターだよ」

「武司。それを言うならガータ。ガーターって伸ばすと女子のストッキングを吊るやつになっちゃうぞ」

 それが聞こえたらしい。隣の女子がゲラゲラ大笑いしている。ぼくは恥かしさで真っ赤になりながらもゲームを続けた。道彦はさすがに運動神経が良かった。スコアが170を超えた当たりから、ドヤ顔で席に戻ってくるようになった。

「ねえ、きみたち大学生。次のゲームで試合やらない?」

 髪の長い女子が話しかけて来た。

「いいけど、俺ら実力が違い過ぎるから」

 道彦がぼくを見ながらそう言った。

「じゃあ、男女混合でやりましょうよ。わたしとあなたが別れれば、ちょうど良さそうじゃない」

 なるほど。超ヘタクソなぼくと、まあまあ上手い道彦が別れれば平均が取れそうである。

「いいよ。じゃ、敗けた組が勝った組にジュースをおごるってことで」

 試合が始まった。

 髪の長い女子は里沙りささんというのだそうだ。そして道彦とペアを組んだ短髪の女子は美帆みほさんだ。やはりボウリングは男女でやった方が断然楽しい娯楽だった。どちらかがストライクを取るたびにハイタッチができる。彼女たちの無邪気な笑顔をみるだけでも幸せな気分になれた。

 時間が経つのがもったいなくて、道彦とぼくは意味もなく入念にボールをタオルで拭いたり、指を送風口にかざしてみたりした。試合は結局足を引っ張ったぼくのせいで道彦・美帆ペアの勝利に終わった。

「じゃあぼくがジュース買ってくるよ。なにがいい」

「俺コーラ」と道彦が笑う。

「じゃあ、あたしはドクター・ペッパー」美帆も微笑む。

 ぼくが瓶ジュースを4本持って帰ってきたところでタイムオーバーになってしまった。

「楽しかったわ。またやりましょうね」

 女子ふたりが笑顔を残して去って行ってしまった。

 スコアが印字されて出て来る。道彦のスコアの隣にB、ぼくのスコアにはEの記号が入っていた。ぼくらは料金を支払うためにフロントに行った。

「いかがでしたでしょうか。当店自慢の“恋愛シミュレーションつきボウリングゲーム”は」

「あの」ぼくは言った。「Eは最低ランクですよね。もう一度リベンジお願いしたいんですが」

「あいにくですが、現在予約が詰まっておりまして・・・・・・“有閑ゆうかんマダムと玉転がしゲーム”でしたらすぐにご用意できますが、いかがいたしましょうか」

6月23日 オリンピックの日

 日本が初めてオリンピックに参加したのは、1912年(大正元年)の第五回ストックホルム大会である。このときのマラソンランナーとして参加したのが、当時21歳の金栗四三かなくりしそうだ。父親が43才の時の子供だったから四三しそうと名付けられた。8人兄弟の7番目である。

「三島さん。もう日本に帰りたいよ」

 旅の途中で、さすがの金栗も短距離走の三島弥彦やひこにそうぼやいたという。なにしろ当時日本からスウェーデンに移動するには、船とシベリア鉄道で20日間もかかったというから長旅である。しかも到着したストックホルムは季節的に白夜にあたり、ほとんど夜も眠れなかったというから悲惨である。

「・・・・・・どうなっているのだ」

 大会当日、三島と金栗は唖然として立ち尽くした。なんと迎えに来るはずの車が現れなかったのである。彼らは仕方なく競技会場まで走るしかなかった。

「もう帰りたい」今度は三島がぼやいた。

「いやそうはいかないよ。送り出してくれた皆に合わす顔がないじゃないか」

 汗をかきながら金栗が言った。

 競技の最中はさらにひどいものだった。日中40度を超える記録的な暑さが選手たちを襲ったのである。マラソンに参加した選手68人のうちの半数が棄権し、そのうちの一人は命を失った。金栗はそんな中、給水も受けられないまま走り続けたのである。

 しかし、金栗の踏ん張りも26.7km地点で終わってしまう。日射病で倒れてしまったのだ。ふらふらになって倒れ込んだところを、幸いなことに、沿道でみていた親切な農夫が、自宅に寝かせて介抱してくれた。翌朝、金栗の目が覚めたときには、競技はすでに終了した後であった。おかげで棄権手続きもできておらず、金栗四三は行方不明者扱いとなってしまったのだった。

 失意のまま帰国した金栗がコメントを綴っている。以下はその時のコメントを短縮して現在の言葉に直したものである。

「(前略)

失敗は成功のもとだ。後日この恥を挽回するときもあると思う。雨降って、地固まる日を待つのみだ。笑いたいやつは笑え。

(中略)

この屈辱は死んでもまだ足りないが、死ぬのは楽だが生きるのはもっとつらい。
この借りを跳ね返すため、粉骨砕身してマラソンの技を磨き、これをもって日本の威厳を高めて行きたい」

 この言葉通り、金栗四三は日本のオリンピック発展に身骨を注いだ。

 そして1967年に2度目のストックホルム大会が開催された。オリンピックは開催55周年を迎えていた。金栗はすでに76歳になっていた。

 このときオリンピック委員会は金栗に対して、粋な計らいをしてくれた。前回不幸にもゴールできなかった金栗四三のために、特別ゴールを用意してくれたのだ。金栗は55年ぶりに笑顔でテープを切ることができた。会場は満場の拍手で包まれた。このときの金栗のコメントが残っている。

「長い道のりでした。この間に嫁をめとり、子供6人と孫10人ができました」

 金栗四三の走行タイムは55年8ケ月6日5時間32分20秒というものであった。この記録は今でもギネスブックに最長走破記録として残っている。

6月24日 UFOの日

「教授はUFO現象をどう考えていらっしゃいますか?」

 ここは大学のゼミ室である。教授と学生がふたりで顔を突き合わせて話し合いをしている。

「アメリカでは、とうとう政府がUFOの存在を認めたそうですね」と学生が言う。

「うむ。あれは衝撃的なニュースだったな」教授は腕を組みながら回想している。「きみはあれを見てどう思ったのかね」

「たしかに未確認の飛行体がいたことは確かです。でもぼくは必ずしもあれが宇宙人の乗り物だとは考えていません」

「ほう。と言うと?」

「人間が乗っているのだと思います。あるいは無人で動かしているか」

「なるほど。わたしはそうは思わんね。あれは地球外生命体のなせる業だと考えるよ」

「どうしてでしょうか」

「あんな動きをして飛んでいたら、人間なんてすぐに酔ってしまうに違いない」

「そこは科学の力でなんとかなるのではないでしょうか」

「あり得んだろう。あのスピードで直角に曲がったりしたら首がへし折れるよ」

「そんなものですかね。もしかしたらまったく違う物体を、単に我々がUFOと見間違えている可能性はないでしょうか」

「世の中のUFO騒動のほとんどが見間違いだろうね。遠くの街の灯りとか、ガラスに映った蛍光灯だとか、はたまた灰皿を吊るしてUFOに見せかけたとか」

「ぼくは宇宙人がこの広い宇宙の中で、わざわざこんなちっぽけな地球に来る意義がわかりません」

「きみだったらどういう意義が考えられるのかね」

「しいて答えるならば、核戦争で地球が破壊されて宇宙のバランスが崩れることを懸念しているとか。まあSF小説によく出てくる話ではありますが」

「・・・・・・そうだな。きみの考えは正しいと思うよ。しかし宇宙人に訊かなければ本当のところはわからないだろうがな」

「宇宙人がこの世にいたらの話ですから、尋ねようもないです」

「ほんとうにそう思うのかね」

「もちろんですよ」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 ふたりの議論は結論が出ないまま終わった。

 学生が部屋を出て行く。ひとりになった教授はため息をついて仮面を脱いだ。そう、教授は宇宙人が人間に成りすましていたのだった。

 廊下に出ると学生は肩をすくめた。学生は未来からタイムマシンでやってきた未来人だったのである。

6月25日 生酒・詰め替えの日

「見積書を確認してみなはれ」

 そこには5百万円と書くべきところの“万”が欠落していた。

「しかしいくらなんでも5千リットルの生酒が、わずか5百円というのはさすがに・・・」

「まあ、わしも鬼ではない。おたくの会社には先代から付き合いがあるさかいな」

 得意先の黒原くろはら社長がニヤリと笑った。

「今回は新社長の就任祝いも兼ねて、万は戻してあげましょ。その代わり“百”を取って支払いまっせ」

 正光まさみつが江戸時代から続く清酒会社を継いだばかりの出来事であった。営業担当が新製品の純米大吟醸生酒の見積価格を、誤って記入してしまったのである。

「5万円ですか。そんなことになったら、うちの経営は立ちいかなくなってしまいます。何卒ご勘弁を」

 正光はテーブルに額をつけて懇願した。

「新社長はん。商売っていうのはな、そんなに甘いもんじゃおまへんで」

 悔しさと情けなさで正光の握ったこぶしは膝の上で震えていた。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 工場にチルド輸送車が横付けされた。5千リットルの生酒が出荷されるのである。甘い華やかな清酒の香りがあたりに漂っている。

「約束通り生酒は差し上げます」

「差し上げるて、うたんやないか。人聞きの悪いこと言わんといて欲しいわ」

 黒原はニヤニヤ笑っている。

「そうでしたね。失礼しました。今回は本当に勉強になりました。このお礼と言ってはなんですが、うちの工場の洗浄液をお付けしたいと思いますがいかがですか?」

「おうそうか、おまけまで付けてくれるとは気が利くね。実はわてもそう思っておったところなんよ。うちの倉庫の床もだいぶ汚れてしまっとるのでね」

「かしこまりました。すぐに用意させます」

「おおきに。これからも頼んまっせ。うちとあんさんところは兄弟みたいなもんやさかいな」

「ありがとうございます」

 正光は工場長を呼んで指示を出した。工場長は目を丸くして、黒原をチラッと見た。その敵意に満ちた瞳も、黒原にはまったく意味を成さないようであった。正光の指示どおり、業務用アルカリ性洗剤が、キャップ付きペットボトル24本に詰め替えられてトラックの荷台に載せられたのであった。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「社長。よかったんですか」

 工場長が黒原を送り出して言った。

「いいさ。弱い者いじめをするあいつが悪い」

「それにしてもあの社長、アルカリ性洗剤とアルミニウムを一緒にすると化学反応を起こすって知らなかったんですかね」

「工場長。ぼくらも知らなかったんだよ」

「理系の社長が?」

 正光は静かに頷いて腕を組んだ。

 はるか遠くで大爆音がして、真っ黒な煙が立ち昇った。

6月26日 カミナリ記念日

風神ふうじん雷神らいじん。もうすぐ災いが来ます。よろしく頼みますよ」

 千手観音菩薩せんじゅかんのんぼさつが合掌していた手を広げた。

「敵ですか」と雷神が訊いた。

「そうです。エジプトから暗黒神ナイアーラトテップ勢力のひとり、“邪神バステト”が遣わされたようです」

「そのバステトっていうのはどんな神さんですかい」

 風神が風袋ふうたいをかかえて訊いた。

「ネコの邪神です」

「お任せください。この雷神が千手さまをお守りいたします」

「そんなやつ、この風神が風で吹き飛ばしてやりますよ」

「あなた達ふたりにかかっています。お願いしましたよ」

 千手観音菩薩は40本の手を、ひらひらさせながら空に消えて行った。

「ねえ雷神くん。なんで千手観音さまは手が42本しかないのに千手さまっていうんだろう?」

「あれ。風神くん知らなかったのかい。合掌している手を除いて、40本の手の1本ずつが25の救いの働きがあるのさ。25が40本で1000だろ」

「なるほど。手が千本もあると大変だから短縮しているのかと思っていたよ」

「そんなわけあるかい。お、風神。敵が来たぞ!」

 真っ黒な雲を従えて、黄色く光る大きなネコの眼が急速に近づいてきていた。風神は担いでいた風袋から、物凄い風圧の風をネコにめがけて吹きかけた。ゴーッという音を響かせて吹きすさぶ風の中で、バステトが足を踏ん張りにらみつけてくる。

「これでも喰らえ!」

 続けて雷神が太鼓をバチで叩いた。稲妻が一直線にバステトに向かって突き進んで行く。ネコの邪神は軽やかに稲妻をかわすと、猛烈な勢いで雷神たちに襲い掛かって来た。

 雷神は次に大きな太鼓を叩いた。天空からいかずちがバステトの背中にドーンという音を立てて落ちた。さすがのバステトもこれには耐えきれず、おもわず地面に叩きつけられてしまった。しかしバステトの力はこんなものではなかった。この世のものとは思われぬ跳躍力で飛び上がると、風神の風袋を鋭い爪で引き裂いたのだ。風神の風袋に3本の亀裂が入った。風がやんだ。

「くそう」

 雷神が今度は太鼓の乱れ打ちを始めた。天を轟かす雷鳴と、無数の雷が発生し、ネコの邪神バステトを威嚇する。

 そのまま睨み合いが続いた。

 さすがの雷神も太鼓を打ち続けたせいで疲れが出て来た。雷神は太鼓の打ち方を変えた。天空にカミナリのゴロゴロという音が長く響いた。カミナリの語源はもともと“神鳴り”から来ている。バステトも同じように喉をゴロゴロ鳴らしはじめた。その間に、風神が風袋の修繕をし終わり、突風を浴びせる準備をした。

「風神。よせ」

 雷神が言うと、バステトは踵を返して空の彼方に逃げて行った。

「雷神。敵は退却したようだな」

「うん」

 雷神が太鼓をたたくのをやめた。そこへ千手観音菩薩が現れた。

「よくやってくれました」

「千手観音さま。あのネコはなぜこのような狼藉を働いたのでしょう」雷神が訊いた。

「わたしはネズミ年の守護本尊です」

「そうなんですか」と風神が驚いて言った。

「実は、干支えとを先着順で決めるときに、いたずらなネズミがネコに翌日の日にちを教えてしまったのです」

「それを逆恨みして」と雷神が言う。

「そうです。翌日訪れたネコの怒ったことといったら」

「それは怒るでしょうね」風神が笑う。

「それでは次回もまた頼みますよ」

 そう言って千手観音菩薩は空の彼方に消えて行った。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 雷神と風神は姿を変えた。

「なあるほど。これでネコが干支に選ばれなかった理由が分かった」

「で、どうしておれたちも干支に入っていないのだろう」

 キツネとたぬきが顔をつき合わせる。

「やっぱり・・・・・・」

「この仕事があるからじゃね」

6月27日 ちらし寿司の日

「一汁一菜の令を制定する」

 江戸時代、岡山藩の藩主である池田光正いけだみつまさが、領民に対して質素倹約を強制したのだ。今後の食事はご飯と味噌汁、漬物か惣菜1品だけの粗食で済ませよというのである。

 これには領民たちも反発した。奉行に対して、領民の代表たちがお願いに上がる。

「せめてお祝いや祭りのときだけでも、ふつうの食事を許していただきたいのですが」

「ならん!贅沢は敵である」

「そこをなんとか」

「ええい、だまれ。ならんと言ったら絶対ならんのだ。一汁一菜を破ったものは刑に処す」

 そう言いながらも、奉行の腹の虫が鳴く。武士は食わねど高楊枝とは良く言ったものじゃ。奉行の角兵衛かくべえは心の中でつぶやいた。だめだと言われると、それをやりたくなるのが人の習わし。

 角兵衛のもとに、誰それの家では豪華な食事をしているというタレコミが入ることがあると、「奉行あらためである」と、食事時に角兵衛がその家をガサ入れするのである。藩主の言いつけを守れないやつは、この角兵衛がひっ捕らえてくれるわ。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

山国屋長兵衛やまくにやちょうべえ。これは豪華な食事ではないか」

 長兵衛の孫娘であろう。一家が幼児を取り囲んで食事をとっていた。

「なにをおっしゃりますやら角兵衛さま。一汁一菜にございます」と長兵衛が言う。

 よくみればご飯にうまそうな魚や野菜や山菜などを混ぜ込んであるではないか。

「うむ・・・・・・たしかに・・・・・・しかし、これはあまりにも豪華で旨そうな・・・・・・」

 とたんに角兵衛の腹の虫が騒ぎ出した。

「混ぜご飯か。せっしゃも一緒に混ぜてはくれぬか」思わず声に出てしまっていた。

「ようございます。どうぞこちらへ」

「かたじけない。一応公務でござる。味見だけな」

 角兵衛は上座に正座して椀を受け取った。

「角兵衛さま。どうぞ穏便に・・・・・・」長兵衛が平伏する。

 旨い。この世にこんなにうまい混ぜご飯があるのか。

「長兵衛。これはなんという料理じゃ」

「いえ、とくに名前などございません」

「そうか・・・・・・それでは、わたしがチラッと知っているということで、“チラ知寿司”としてはどうか」

「それはまた名案でございますな」

6月28日 パフェの日

 1950年(昭和25年)6月28日、巨人の藤本英雄ふじもとひでおが、日本人で初めて完全試合(ノーヒット・ノーラン)を達成した。これを記念して、6月28日はパフェの日に制定されたのである。

「パフェの語源て知ってる?」

 2年越しにつき合っている彼女が訊いてきた。

「フランス語の“パルフェ”から来ているのよ。完全っていう意味なの」

「完全?」

「そうなの。パフェはデザートの完成形なのよ」

「それできみはパフェを完全制覇しようとしているわけだな」

「そうよ。だから今日もつき合ってね」

「草野球の試合が終わるのを待ってくれたなら」

「もちろん。応援に行ってあげる。完全試合を望むわ」

「それは無理だ」

 ひと口にパフェといっても、その種類は無限大と言っていい。チョコレート、バナナ、ストロベリー、マンゴー、白桃、フルーツ、抹茶、小倉あずき、プリン、ヨーグルト、モンブラン、ミルフィーユ、ティラミス、ロイヤルミルクティー、コーヒーゼリーに黒ゴマパフェなど。

 ここまでならなんとなくわかる。でもチーズ、八つ橋、たい焼き、納豆、八丁味噌、とんかつ、エビフライ、から揚げ、キムチパフェともなると、かなりマニアックな部類と言えるだろう。しかも、これらは組み合わせることにより、数限りなく種類が増えて行くのである。

 そのパフェを制覇しようというのだから、わが彼女の野望は計り知れないものがある。それにつき合わされるこちらの身にもなって欲しいものだ。

 だいたい1つのパフェのカロリーは400kcalを超える。これはかつ丼に匹敵する高カロリーだ。しかも、1日に1軒では収まらないから、だいたいパフェ3つは最低食べることになる。そしてこれがまた美味しいから始末に負えない。ぼくの体重は右肩上がりだった。ところが彼女は異常体質なのか、これだけパフェを食べ続けても一向に太らないのであった。

 今日の草野球は無残な結果に終わってしまった。ぼくも大谷翔平のようになりたかった。ぼくは最近“デーブルース”と呼ばれている。そして彼女のパフェの完全制覇はいつまで経っても終わらない。きっと彼女と結婚できる頃には、ぼくの肥満もパーフェクトになっていることだろう。

6月29日 星の王子さまの日・ビートルズ記念日

 王子さまは言った。

「ぼくは死んだように見えるかもしれないけれど、でもそれは本当のことじゃないからね・・・。
わかるかな。ぼくの星はとても遠くて、この身体は重すぎて持って行けないんだ。
古い殻を脱ぎ捨てるようなものさ」

 そしてこうも言った。

「ぼくにはある種の責任があるんだ!あの花はとっても弱いから!世間知らずだし。
世界に立ち向かうのに役立たずの4本のトゲしか持っていないんだから・・・・・・」

 王子さまは帰って行った。古い殻を脱ぎ捨てて。

 やがて世間知らずの4本のとげはリバプールというイギリスの街に生まれた。彼らは大人になっても子供の心を忘れることがなかった。物事を心で見ることができたのだ。彼らは一見、ただのツッパったバンドマンにしか見えなかった。それが瞬く間に音楽シーンを塗り替えるほどのアーティストとして開花する。

 最初の彼らのデビュー曲は作曲家が書いたものになるはずだった。

「そんなクソみたいな曲はごめんだ」

 彼らは自分たちで作詞作曲した『ラブ・ミー・ドゥー』でデビューした。『ラブ・ミー・ドゥー』はミュージック・ウィークリー誌の17位まで上がったが、たいしたヒットにはならなかった。それでも彼らは満足だった。

 そして2曲目の『プリーズ・プリーズ・ミー』からは、連続1位を獲得する快進撃が始まったのである。

 彼らは大衆が何を欲しがっているのか分かっていた。ひとまねでない、オリジナルの曲と詞。ひとがあまり使っていないマイナーなブランド楽器。ひとと違う髪型。ひとと違うスーツ。ひとと違う価値観と言動。ひとと違う美しいコーラス、そしてビート。

 彼らは独自のスタイルを持ってアメリカにもコンサートに出かけた。当時のアメリカでは、白人と黒人の席を柵で明確に分けていた。

 ビートルズは言った。

「ぼくらがコンサートを演る条件はただひとつ。あの柵を撤廃することだ。人種差別なんてくだらないよ。同じ人間なんだからね」

 彼らのコンサートは、熱狂的なファンの声援で演奏を聴くことすらできなかった。観衆は黄色い声援を聞くためだけに、高いチケット代を支払ったのである。

「もうひと前で歌うのに疲れた」

 彼らはライブを辞め、スタジオでレコーディングに専念することにした。そこで生まれたのが『サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツ・クラブ・バンド』という長い名前のコンセプト・アルバムだった。このLPレコードは現在でも最高傑作と言われている。

 ある評論家は言った。

「今後、誰がどんなにうまく演っても、ビートルズの亜流になってしまうだろう」

 それに対してメンバーは言った。

「今までぼくらとまったく関係ないと思っていた人たちが、知らぬ間にぼくらの信奉者になっていた」

それまでビートルズをただうるさくて不潔な集団だと非難していた人たちが、掌を返したように褒め出したのだった。

 大人は誰だってはじめは子供だ。でもそのことを忘れないでいる大人はいくらもいない。その数少ない大人がビートルズだった。

 いま、彼らの一部が殻を脱ぎ捨てて旅立ってしまったけど、ぼくらはいつまでも忘れずにいたいと思っている。

彼らが教えてくれたこと。本当に大切なことは、目に見えないことなんだ。

「All you need is love!(愛こそはすべて!)」

6月30日 ハーフタイムデー

 サッカーの試合時間は前、後半合わせて90分である。その間に15分間のハーフタイムがある。

「さてトイレタイムだ」「この間にビールを買ってこよう」「チアガールのダンスを観ようぜ」観客の過ごし方は様々だ。

 しかしチームにとって、ハーフタイムは貴重な15分である。選手の疲労回復、そして後半の作戦を練る大切な時間なのだ。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「データを見せてくれ」

 監督がデータマンに声をかけた。金沢かなざわはすかさずプリントアウトした前半の戦況データを、監督の棟岸むねぎしに渡す。そこにはこと細かなデータがしるされていた。

 味方のシュート数からはじまり、ゴールキック、フリーキック、コーナーキック数は当然のこと。各選手の走行距離、加速度、移動エリア、パス成功率、枠を捉えたシュートと外したシュートの数。はたまたオフサイド獲得数、敵選手からのボール奪還数、守備陣地からシュートまでに到達したルートとそれにかかった時間。さらに敵対選手のボール保持時間。選手間のパスの方向および最も多いパスの方向。ボールを持ってからの動きの方向の規則性。そして、誰に対するパスが一番多いのか。ゴール前での身体の動きのパターン。シュート優先なのかパス優先なのかなどが分析されているのである。

「データはウソをつきませんよ」と静かな口調で金沢が言う。

「この選手はパスを出すパターンを読まれている可能性があります。後半交代させるべきかと」

「なるほど」

「あとこの選手は前半で体力を使い過ぎています。後半20分ぐらいが交代するタイミングです」

「ほう」

「そしてクロスの数に対して、ヘディングシュートの成功率が低すぎます。後半点が取れなかったら背の高い選手を投入するべきです」

 棟岸は感の鋭い監督である。いや、これまで感だけをたよりに勝ってきたといっても過言ではない。データ史上主義の現在のスポーツにはいささか疑問を抱いていた。

「数字はウソをつかないのは分かったが、本当にそれだけかね」

 棟岸が金沢を見た。

「それが現代サッカーです」

「・・・・・・それじゃあ、みんな聞いてくれ」

 棟岸はデータを見ながら、後半のポジショニングと選手の交代について説明をする。そして、敵のポイントになる選手の前半のクセと対策法、敵ポジションの穴についての指示を付け加えた。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 後半が始まった。

 後半開始早々、敵に点を入れられ、その5分後に味方が1点取り返した。後半20分が過ぎた。

「あの選手を入れ替えないと」

 金沢が棟岸の耳元でささやく。

「いや彼はまだ行けると思う」

「無理です!データが物語っています。このままだと勝てませんよ」

 棟岸の手に汗がにじんだ。

「わかった。交代させよう」

 交代フリップが用意された。その時歓声が上がった。

 交代させようとした選手が、奇跡の逆転ゴールを奪ったのである。敵が蹴り損ねたこぼれたボールが、たまたま交代させようと思った選手の頭に当たって得点になったのだ。棟岸は金沢を見る。金沢は肩をすくめた。

「確かにデータはウソをつかないだろう。でもデータにできないものもある」

「なんでしょう」

「その男の持って生まれた運だよ」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「あの棟岸という監督はどうだね」

 ゼネラルマネージャーが来賓席で双眼鏡をのぞいている。

「そうですね。データによりますと・・・・・・」

「そうか。そろそろ彼にも交代してもらうとするか」

 あとがき

最後までご覧いただきましてありがとうございます。

この物語はフィクションです。

登場人物、団体などはすべて架空のものです。

まれに似通った名称がございましても関係性はございません。

参考文献・サイト等

ウイキペディア チューインガム https://ja.wikipedia.org/wiki/チューインガム 参照日:2023.10.18

AEON de WINE イタリアワインならあなたに合うワインが必ず見つかる!4つの魅力と失敗しない選び方 https://www.aeondewine.com 参照日:2023.10.18

(わかりやすい)大阪冬の陣・夏の陣 https://kamurai.itspy.com/nobunaga/oosaka.html 参照日:2023.10.19

公益社団法人落語芸術協会 落語って何?-落語のはじめの一歩- htts://www.geikyo.com 参照日:2023.10.19

元気通信 「思わずムカッ」あるある座談会!家庭や職場で役立つイライラコントロール術 https://www.yomeishu.co.jp 参照日:2023.10.20

リスキルラボ 【すぐできる】アンガーマネジメントとは?やり方7選 https://www.recurrent.jp 参照日:2023.10.20

キャリアガーデン ジャーナリストになるには?なるまでのルートや必要な学歴・資格を解説 https:careergarden.jp/journalist 参照日:2023.10.23

togetter 自称ジャーナリストに関する52件のまとめ https:togetter.com 参照日:2023.10.23

日本財団ジャーナル 【増え続ける海洋ごみ】いまさら聞けない海洋ごみ問題。私たちにできること https://www.nippon-foundation.or.jp 参照日:2023.10.24

ロケットニュース24 バンドマンなら絶対納得する「バンドマンあるある」100 https://rocketnews24.com 参照日:2023.10.25

UtaTen 【伝統】ロックの種類15個を徹底解説!代表的なアーティストもあわせて紹介2023年10月 https://utaten.com/live/rock-type 参照日:2023.10.25

酒みづき 梅酒の基本の作り方は?ベースごとに分かる味わいも解説【日本酒・焼酎・ブランデー】 https://www.sawanotsuru.co.jp 参照日:2023.10.26

ラジトピ 梅酒は作り方によっては酒税法違反に?作り置きのカクテルは違法?弁護士にきいてみた https://jocr.jp/raditopi 参照日:2023.10.26

風来坊 手羽先の食べ方 https://furaibou.com 参照日:2023.10.29

サライ インコとオウムの3つの違いとは?簡単に見分ける方法 https://sarai.jp/hobby 参照日:2023.10.29

GRANITE もしもある日突然、重力がなくなったら https://watanabekats.com 参照日:2023.10.30

Hatena Blog 誰でも2秒で出来る!警察手帳が本物か偽物か判別する方法。 https://policefuta.hatenablog.com 参照日:2023.10.30

Togetter 考古学あるある https://togetter.com/li 参照日:2023.10.31

セゾンの暮らし大研究 朗読とは?おすすめの朗読小説についてもご紹介 https://life.seasoncard.co.jp/health/second-life 参照日:2023.11.1

ちそう 「スペアミント」と「パパーミント」の違いや見分け方は?味・香り・効能などを比較して紹介! https://chisou-media.jp 参照日:2023.11.1

金栗四三 ウイキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/金栗四三 参照日:2023.11.1

ROCKET NEWS 24 ボウリングあるある50連発 https://rocketnews24.com 参照日:2023.11.2

『星の王子さま』 サンテグジュペリ(池澤夏樹訳) 集英社 参照日:2023.11.6

サッカーにおけるデータ分析とチーム強化-J-Stage データスタジアム株式会社 加藤健太著 参照日:2023.11.7

著者紹介
杉村 行俊

【出   身】静岡県焼津市
【好きな分野】推理小説
【好きな作家】夏目漱石
【好きな作品】三四郎
【趣   味】ゴルフ、楽器
【学   歴】大卒
【資   格】宅建士、ITパスポート、MOSマスター、情報処理2級、フォークリフト、将棋アマ3段
【創   作】365日の短編小説

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夏物語
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