12月の短編小説

12月の小説アイキャッチ 冬物語
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12月1日  映画・手帳の日

 その手帳は映画館の座席の下に落ちていた。

 だれかの落し物だろうか。上映が終わるとあんはその手帳を持ってロビーに出た。そして何気なくページをめくってみる。そこには監督、助監督、カメラ、録音、美術、ヘアメイク、スタイリストなどさまざまな撮影担当とキャストの名前が記されていた。

 これは映画関係者の手帳に違いない。受付に届けようかしら。ダイアリーのページを見ると、今日の日付の欄に“クランクイン”と太文字で書かれており、その下にここからほど近い場所が記されていた。

「今日が撮影開始日なんだ。そうか、撮影の合間に誰かがこの映画館で映画を鑑賞していたんだ。この手帳がなくて困っているかもしれない。よし、直接届けてあげたらきっと喜ぶに違いない」

 杏はそう独り言をつぶやくと、足早に映画館を後にした。もしかすると、映画俳優を直接見ることができるかもしれないと期待に胸を膨らませて。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「はい、カット!」

 強面の監督が叫ぶと、場の空気が一瞬にして和らいだ。出演者が積み木でも崩したかのようにバラバラと四方に散らばっていく。

「監督。この娘がこれを届けてくれました」

 助監督の広瀬ひろせに連れられて、杏は監督のもとに案内された。

「お。わたしの手帳」監督は驚いた顔をして杏を見つめた。

「どこに落ちてました?」

「映画館の椅子の下で見つけたんです」

「ああ、あそこか・・・・・・いやあ、ありがとう助かったよ」

 監督はメガネを外して手帳のページをめくった。

「きみ名前は?」

「杏です」

「杏ちゃんか。かわいい顔してるね。よかったら撮影しているところを見ていかないか」

「え。いいんですか」

「もちろんだよ。広瀬、この娘に椅子を用意してあげて」

「わかりました」

 助監督の広瀬がどこからかパイプ椅子を探してきてくれた。

「じつのところうちの映画は予算がなくてね、1日でも撮影が押したらえらいことになってしまうんだ。
なにがなんでも明日までにクランクアップさせたいのさ」

「映画ってそんなに短時間でできるものなんですか?」

「いやいや、とんでもない。何度も撮り直したりしてたらあっという間に1シーンだけで半日終わっちまう。それにお天道様は言うことをきいちゃくれないからな」

「そういうときはどうなさるんですか」

「それはきみ。その場で台本を書き直すのさ。映画にハプニングはつきものだからね。この手帳をなくしたのもそうさ。おかげで筋がどんどん変わって行ってしまった」

「台本があるのに?」

「実はわたしの映画に台本はないんだ。台本はこの中」監督は頭を指さして笑った。

「もっともだいたいの筋書きはこの手帳に書いてあるんだけどね。台詞セリフはほとんど俳優のアドリブにまかせているのさ」

「すごいですね。それで映画が完成するなんて」

「とりあえず、ぶっ通しでなんでもいいからカメラに収めておいて、あとで編集しながら辻褄を合わせるってわけだ」

「へえ、驚きです」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 次のシーンが始まった。

 どこかの地下室か倉庫のようだった。男がひとり、椅子に縛りつけられている。その周りでギャングのような男達が物騒な武器を持って男を取り囲んでいるのだ。

「おはよう。お目覚めはいかが?」その中で、ひときわ派手な格好をした若い女が話かけた。「そろそろ吐いたらどう?」

「ふん。おれを甘くみない方がいい」傷だらけの男は上目遣いで女を見た。

「ブツのありかなんて知ったこっちゃないし、この借りは必ず3倍にして返してやるからそう思え」

「その元気がいつまで続くかしらね・・・・・・」

 女は仲間達に目で合図を送った。屈強な男たちが椅子の前に進み出た。

 次の瞬間。縛られた男の縄がプッツリと切れて、男の前にいた巨漢に膝蹴りをお見舞いしていた。それと同時に自由になった手で男が腰に差していた拳銃を抜き取ると、床を転がりながら銃を乱射したのだ。バタバタと男達が倒れていく。

 最後に残ったのはさきほどの女ひとりになっていた。女は素早く男の背後に回り、手慣れた動きでナイフを男の喉もとに当てた。

「動かないで!喉がかき切れるわよ」女は男の髪の毛を掴んだ。「さあ、吐きなさい。マイクロフィルムはどこに隠したの」

「安心するのはまだ早いんじゃないか」

「え?」

 男はいつのまにか左手にビール瓶を持っていた。その瓶がおもいきり女の頭を襲った。ゴンッという鈍い音がして女が倒れた。

「カット!小道具どうなってる」

 監督の怒声が飛んだ。バラバラと女優にスタッフ達が駆け寄った。女は本当に失神していた。

「誰だ、本物のビール瓶を置いたやつは」

 美術の人間が叫んでいる。

「だって監督がリアリティを追求するって言うから・・・・・・」

 助監督の広瀬が青ざめた顔をしている。

「アホかお前は」背の高い美術担当が、若い男をとがめている。

 どうやら事故があったようだ。女優は救急車で運ばれて行った。

「杏ちゃんだっけ・・・・・・。お願いがあるんだけどな」監督が熱い視線を杏に向ける。「きみ代役やれるかな?・・・・・・はい、カット!」

 監督が叫ぶ。

「どうだ広瀬。落とし物を届けたら自分がいつのまにかヒロインにさせられている・・・・・・面白い映画になりそうだろう」

「さすがは監督。目のつけ所がただ者じゃありませんね」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 映画にはハプニングがつきものだ。

「次のシーンは?」

 監督が広瀬に訊ねる。

「ええと・・・・・・」広瀬が監督の手帳をめくる。

「助監督が監督を殺してヒロインを奪い取るカットです」

「なに。広瀬、そんなシーンあったか?おまえさては勝手におれの手帳を書き換えやがったな」

「監督。映画にハプニングはつきものです」

「はい、カット!おいこれ、どこまでが撮影なんだか、だんだん分からなくなってきたぞ」

12月2日  宇宙飛行記念日

「この宇宙ステーションは我々がいただいた」

 非常事態である。全身緑色の宇宙人にスペースコロニーが乗っ取られてしまったのだ。

 乗組員たちは手足を縛られて一カ所に集められていた。

「我々の基地を乗っ取ってどうするつもりだ」と隊長が宇宙人を睨みつけて言った。

 宇宙人はニヤリと笑って答えた。

「ここをキー・ステーションにして、お前たちの地球を征服するのさ」

「なんだと。どうしてそんなことをするんだ!」

「簡単なことさ。お前たち地球人は科学を間違った方向に使ってしまったからだよ」

「なにを間違ったと言うんだ」

 宇宙人がゆっくりと隊員たちを眺めまわした。

「宇宙では地球のことをなんと呼んでいるか知っているか」

「そんなことは知らん!」

「宇宙の掃き溜め。野蛮人のトイレ。愚か者の監獄」

「言いたいことを言いやがって。お前たちの勝手にはさせないぞ」

「地球人にいったい何が出来る。防御システムはすべてこちらが掌握した。手も足も出まい」

 このステーションには80人の隊員が働いていた。隊長は隊員達全員を見回した。

「よし・・・・・・最後の手段だ。みんな覚悟はいいか」

 80人の隊員がこっくりと肯いた。

「おい。お前、何をするつもりだ」

 宇宙人の表情がにわかに険しさを増した。

「貴様、手も足も出まいと言ったな。手も足も出なくても、おれたちにはこれなら出せるんだ。3、2、1、発射!」

 そのとき乗組員が全員、それまでガマンしていた体内のガスを一斉に放出した。

「な・・・・・・なにを」宇宙人の表情が歪んだ。

 次の瞬間、宇宙ステーションは大爆発を起こした。水素、メタン、窒素、二酸化炭素、酸素、それに硫化水素でできたそのガスは、宇宙ステーションを破壊するのに十分な威力を持っていたのである。

 かくして、宇宙人の地球侵略は一種独特な臭いとともに失敗に終わったのであった。

12月3日  妻・奇術の日

「これからわたしの最後のマジックをお観せいたします」

 妻のアリスは大歓声に向かって両手を挙げて挨拶をした。

「アリスさん。これで引退なさるということですが」

 司会のアナウンサーがアリスにマイクを向けた。

「はい」アリスは決然と言った。「これがわたしの最後のイリュージョンになるでしょう」

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 アランとアリスは愛し合っていた。それと同時に、お互い切磋琢磨する奇術師のライバル同士でもあった。

 彼らはマジシャン・カップルとして結婚した。結婚式の翌日、ふたりは北欧に新婚旅行に旅立った。研究熱心なふたりは、次の大掛かりなイリュージョンの仕掛けを考案するため、ある古城に泊まり込んだのだった。

「アリス。これはいったい何だろう?」

 晩餐用のワインを選びに地下室に降りたアランが、一階にいるアリスに呼びかけた。そこの床には、一面に文字盤が描かれていたのだ。それはまるで宇宙の天体図のようにも見えた。

「魔方陣じゃないかしら」

 アリスが床に積もった埃を丁寧に布で拭った。

「面白いな。ここで人体の瞬間移動について実験をやってみたらどうだろう」

「怖くないかしら」

「だいじょうぶさ。さあ、やってみよう」

 ところがそれが悲劇のはじまりだったのだ。

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 新婚旅行から戻ったふたりは、益々奇術の腕を上げ、世間から絶大な人気を博すようになった。

 ただ、ひとつだけ変わったことがある。どちらか一方が姿を現すと、片方が必ず姿を消すのである。すなわち、ふたり同時に人前に姿を見せることがなくなったのだ。ふたりはまるで太陽と月の関係だった。片方が近づくと、どちらかが透明人間のように完全に見えなくなってしまうのだ。

 妻アリスと夫アランのマジックは、常に別々の催し物となった。最初のうちは人気も二分されていたが、最近では美人のアリスの人気がアランを上回るようになってきていた。それはそうだ。力のある男のアランが、アリスのマジックをささえていたのだから。大掛かりなイリュージョンはアリスが行うようになり、アランは地味な手先のマジックを披露することが多くなったのだ。

「もうこの孤独には耐えられない・・・・・・」

 アランはアリスと決別して、新たにエミリーという女性と暮らす決意をした。お互い愛し合っていても、その姿が見えないのだからこうなるのも時間の問題だったのだろう。

 それでもビジネスパートナーとしてお互いを必要としていた。マジックを行う者として、観客から見えない人間ほど重宝するトリックはないからだ。

 そのうちエミリーは夫のアランが、元妻と浮気をしていると勘ぐるようになってしまった。アリスの公演のときにはアランはいつも所在不明となる。そして寝言でアリスの名を呼ぶ。アランの心はきっと今でもアリスにあるのだと思い込んだのも不思議ではない。

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「アリス。大変だ!」

 会場の支配人がアリスの楽屋に駆け込んできた。

「どうしたの?」

「わたしの友人が銃の店を経営しているのを知ってるよね」

「ええ」

「エミリーが銃を買っていったってさ。友人から言わせれば、あれは護身用じゃない。誰かを撃つつもりじゃないかって言うんだ」

「わたしを狙っているっていうの?まさか」

「でも用心に越したことはない。きみには黙っていたけど、きみが留守のときによくエミリーから電話がかかってきていたんだよ。そこにアランがいるんでしょ。分かってるんですからねって」

 アリスと姿の見えないアランはため息をついた。

「分かったわ。もう潮時ね。マジックはこれで最後にしましょう」

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「それでは最後のマジックです」

 アリスがシルクハットから鳩や紙吹雪を出そうとしたときだった。舞台の袖から突然エミリーが銃を持って現れた。

 会場は騒然となった。

「アランを返して!」

 そう言うと、エミリーは立て続けに拳銃の引き金を引いた。観客が悲鳴をあげた。

 そのとき全ての銃弾はアリスの直前で宙に浮いて止まると、音を立てて床に落ちていった。

「ブラボー!」

 会場からスタンディング・オーベーションが湧き上がって幕が下りた。

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 姿の見えないアランは防弾チョッキを着ていたが、それた弾丸が彼の動脈を傷つけていた。

「アラン!」

 アリスは床から誰にも見えない“何か”を抱きかかえて大声で泣いた。

「アリス・・・・・・ごめんよ。実は妻として本当に愛していたのはきみだけだったんだ」

 銃を持ったエミリーは、訳がわからず、ただ放心した表情で座り込んでいた。

12月4日  プロポーズで愛あふれる未来を創る日

「ごめん。仕事が長引いちゃって・・・・・・」

 ぼくは今日こそ恋人の小百合さゆりにプロポーズをしようと意気込んでいたのだが・・・・・・。予約したレストランに到着したのは、なんと約束の2時間も後だった。

「ひどい。何時間まっていたと思うのよ」

 泣き出す小百合をなだめようと、ぼくはポケットからあわてて指輪を取り出そうとした。それがいけなかった。

 勢い余って、テーブルの上のシャンパンの瓶を盛大に倒してしまったのだ。彼女はびしょ濡れになったドレスのまま席を立った。

「もう帰る!」

 そう言うと小百合は店を出ていってしまった。

「ちょ、ちょっと待って・・・・・・」

 ぼくはひとり虚しくテーブルに並べられた料理を眺めた。周りのお客の視線が痛かったのは言うまでもない。

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 翌日ぼくは気を取り直して彼女の家に電話をかけた。

「はい涼宮すずみやです」

 彼女の声だった。

「ぼく・・・・・・健児けんじ

「ああ・・・・・・」

「昨日は本当にごめん」

「あの・・・・・・」

「わかってる。いいんだ、ぼくが全部悪かったんだから。だから機嫌を直して欲しいんだ」

「機嫌直してって言われても・・・・・・」

「実は言い出せなかったことがあるんだ」

「なあに?」

「ぼくと、その、結婚してください!」

「・・・・・・本気なの?」

「もちろんさ!こんなぼくでよければきみを生涯愛し続けて行きたいんだ」

「ありがとう・・・・・・って言っていいのかしら」

「ぼくのプロポーズ、受けてくれるんだね」

「突然だったから・・・・・・」

「それじゃあこれからきみに会いに行ってもいいかな」

「・・・・・・おまかせするわ」

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 ぼくは玄関のチャイムを鳴らした。小百合がドアを開けてくれた。

「健児。どういうつもり」

「どうって、なにか問題でも?」

「お母さんすっかりその気になっちゃってるわよ」

「え、なんだって?」

 小百合の肩越しに、シングルマザーの母親が、ほんのり頬を染めて立っている。

「わたしも信じられなかったわよ。まさか実の娘がライバルになるなんてねえ」

 なんと小百合と母親の声が瓜二つだったなんて・・・・・・。

12月5日  バミューダトライアングルの日

「バンド名の由来はなんだね?」

 わたしはオーディションに応募してきた、3人組のバンドマンに訊いた。演奏は中々のものだった。

「バミューダ・トライアングル」リーダーのしょうがそっけなく答えた。「メンバーが3人だし、ちょっとミステリアスでいいかなと思って・・・・・・」

 なるほど、それで彼らはお揃いのバミューダ・パンツ(膝丈ズボン)を履いているのか・・・・・・。面白い、採用してみようか。

 ドラムの将、ベースのたく、ギター&ボーカルのじょうの3人編成のロック・バンドだった。デビューは12月5日に渋谷公会堂で行われるロック・フェスに決定した。

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 バミューダトライアングルとは、フロリダとプエルトリコ、バミューダ諸島を結んだ三角形の海域のことである。この海域では飛行機と船舶の失踪事件が100件を超え、千人以上の人間の消息がいまだに不明のままなのだと言われている。

 代表的な事件を挙げてみよう。

 1945年12月5日。その日は快晴だった。フロリダの海兵基地からアメリカ軍の魚雷を搭載した爆撃隊『フライト19』が「白い水に突入した」という通信を最後に忽然と姿を消した。隊長は飛行時間2500時間のベテラン、テイラー中尉だった。5機の爆撃機と14名の兵士が忽然と消息不明になってしまったのである。

 消えたのは空だけではない、海の事件もある。

 有名なところでは『メアリー・セレステ号事件』だ。1872年12月4日。ニューヨークの運搬船デイ・グラチア号が奇妙な難破船を発見した。乗り込んでみると、救命ボートは残されたままなのに誰ひとり乗船者が見当たらない。ところが船には、つい今しがたまで乗組員が乗船していた形跡が残っていたのだ。食堂のテーブルにはまだコーヒーの湯気が立っており、温かい食事が配膳されたままになっていたという。

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「おい、連中がまだ会場入りしていないんだが大丈夫なのか」

 わたしは彼らにつけたマネージャーの乃亜のあの携帯に電話を掛けていた。

「すみません。いま彼らのアパートを見に来たところです」

「それで?」

「部屋に入ったのですが誰もいないんです」

「どういうことだ」

「それが、つい今までひとのいた気配がするんですが・・・・・・火のついたタバコが灰皿に置いたままでしたし、カップラーメンからもおいしそうに湯気が立ち昇っているんです」

「なんだって!」

 わたしは思わず受話器を握りしめていた。

「社長・・・・・・。これってもしかして、バミューダトライアングルのせいでしょうか」

「馬鹿を言え。いいか、本当のことを教えてやろう。あれはただの遭難事件を面白おかしくするために、小説家があることないこと書き足した作り話に過ぎないのだ。かの有名なシャーロック・ホームズを書いたコナン・ドイルもその内のひとりだ」

「ええ、そうなんですか。ちょっとがっかりです」

「1階の101号室に管理人がいるはずだ。何か知っているかもしれない」

「訊いてきます」

 乃亜が慌ただしく階段を駆け下りる音が聞こえて電話が切れた。

 しばらくして乃亜が電話を掛け直してきた。

「管理人さんのお話では、黒い・・・・・・」乃亜の息が上がっている。

「黒い?」

「黒いスーツの男たちに拉致されたと」

「もしやメン・イン・ブラックじゃあるまいな」

「いいえ借金の取り立て屋らしいです」

「はは、あいつららしいや。いつ消えてもおかしくないインチキバンドだったからな」

12月6日  音の日

「確かに聴こえたんです」

「船長。きみは疲れているのだ。家に帰って少し休みたまえ」

「でも、たしかにあれは何かのうめき声でした。宇宙には得体のしれない何かがいるんじゃないでしょうか」

 宇宙探索から地球に帰還した乗組員が、指令室に報告をしに来ていた。

「疲れた時には山にでも登るといいぞ。自然の音は心を安らげてくれる。小川のせせらぎ、鳥のさえずり。そうだ、海でさざ波の音を聴くのもいい・・・・・・どれもアルファ波が出ているそうだからな」

「しかし室長。あれは明らかに不気味なうめき声でした」

「もういい!いいか船長。音というのは空気が振動するから起きるのだ。空気のない宇宙では音など起きようがないではないか。わかったらさっさと家に帰りなさい」

 船長はまだ何か言いたげだったが、最後には首をうなだれて指令室を出て行った。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 後に残されたのは室長と事務官のふたりだけだった。

「室長。船長は本当に何か聴こえたのでしょうか」

「聴こえたさ」

「え?」

「あのときおれはマイクのスイッチを切り忘れていた」

「・・・・・・といいますと」

「おれはあのとき上機嫌でアメリカ国家を歌っていたんだよ。それをあの野郎、何かのうめき声だと抜かしやがったんだ!」

12月7日  クリスマスツリーの日

「ねえあなた。今年こそわがもクリスマスツリーを飾りましょうよ」

 その日、妻がわたしに脅迫めいた提案を申し渡したのである。

「無理だよ。そんなお金がどこにあるんだい」

「これよ」

 妻が新聞の記事をわたしの前に突き出した。それは『クイズに答えてクリスマスツリーをゲットしよう!』という広告記事だった。

 12月7日はクリスマスツリーの日なのだそうだ。なんでも日本で初めてクリスマスツリーを飾ったのが横浜のスーパーマーケットだったそうで、外国船の船乗りを楽しませるために飾りつけをしたのが最初だという。それを記念して、ある大手のホームセンターがクリスマスツリーのプレゼント企画を催すというのである。

「プレゼントなんて言って、本当は何か買わせようっていう魂胆こんたんじゃないのか。タダより高いものは無いっていうだろ」

「タダより安いものはないわよ。あなた勉強はできないけど、クイズはいつも得意だったじゃない」

「勉強はできないけどは余分だよ。仕方が無い、遊びがてら行ってみるか」

 かくして、クイズ王を自負するわたしは、このクイズ大会に挑戦することにしたのである。

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 そもそもクリスマスツリーは古代ヨーロッパの冬至祭り『ユール』が発祥の起源だと言われている。冬でも枯れないもみの木は永遠を象徴しているのだそうだ。

「これから出題するクイズにお答えください。全問正解しますと豪華なクリスマスツリーを差し上げることになっています」

 賞品のクリスマスツリーは本当に豪華だった。高さが大人の身長ぐらいあって、きらびやかな装飾品が吊るされていた。ホームセンターの特設会場に座った回答者はわたしをふくめて5人いた。

「それではクリスマスツリーに関する問題です。クリスマスツリーに飾られている、赤いりんごは何を意味しているのでしょうか」

 わたしは用意されたボードに「アダムとイブの禁断の実」と書いた。全員が正解した。

「それでは色とりどりのガラス玉の色についての問題です。金銀はイエスの気高さや高貴さを表します。白は純潔、緑は永遠。では赤はなんでしょう」

 たしかりんごが不作のときの代用ともうひとつ意味があったはずだ。わたしは「イエスの血」と書いた。わたしと残り3人が正解した。この時点で「火の玉太陽」と回答したひとりが脱落した。

「ベルを飾るのはキリストの誕生を喜んで音を鳴らしたものですが、靴下が飾られるのは何に由来するでしょうか」

 わたしは知っていた。

聖ニコラウスが貧しい家を救うために、家に金貨を投げ入れた。靴下を吊していた家にはその中に金貨を落として行った」

 この時点で「靴下の穴をふさいだ当て布の代り」と書いたひとりが脱落し、正解者はふたりになっていた。わたしの脳裏に妻の狂喜乱舞する姿が浮かんだ。

「それではサービス問題です。クリスマスツリーの頭頂部に飾る星は、いったい何を意味しているのでしょうか」

 これは簡単である。

「イエスの降誕を知らせたベツレヘムの星」だ。これはふたりとも正解した。

「それでは最後の問題です。杖のキャンディを『キャンディケイン』と言いますが、これはいったい何を意味するのでしょうか。すべてお答えください」

 わたしは「羊飼いの杖。困ったひとがいたら手を差し伸べなさいという意味」と書いた。そしてもうひとりの挑戦者は「杖の形のJがイエス(JESUS)の頭文字」と書いた。

「残念です。結局どちらも正解ですが、ふたつとも答えられなかったのでおふたりともこれで脱落になります」

 なんてこった。落胆する妻の顔が目に浮かんだ。

「でも脱落したみなさんには、ひと回り小ぶりなサイズのクリスマスツリーを半額で購入できる権利がございます。どうなさいますか」

 4人の回答者は苦笑いしながらも購入を希望した。

「お客様は?」と司会者がわたしに訊いてきた。

「残念ですが、いま持ち合わせがないので遠慮しておきます」

「それではこちらならいかがです。料金は月々少額をお支払いいただければ結構なのですが・・・・・・」

 このホームセンターの司会はどうしてもわたしに何か買わせたいらしい。

「なにこれ」わたしは丸いツリーを手にした。「もしかして、リースだけにリース料だけ払えばいいっていうシャレなのかな?」

12月8日  ジョンレノン弔

 その男は38口径のリボルバー式拳銃を手に入れると、10月にニューヨークに向けて旅立った。

 彼はジョン・レノンを見つけると黙って近づいて行った。手が震えていた。ジョンはぽっちゃりした少年のような男に気がついた。なぜか男は拳銃のかわりに、ジョン・レノンの新しいアルバム『ダブル・ファンタジー』を差し出していた。

 アルバムを手渡されたジョンはサインを書いてこう言った。

「きみが欲しいのはサインだけかい?」

(それとあなたの命)男は笑顔で頷いた。

 その日、彼の暗殺計画は失敗に終わった。

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「あれ?きみたちは誰だい」

 ぼくらは彼のベッドの上の壁の穴の中に住んでいた。まさか人間に見つかるなんて思ってもみなかったのだ。だって普通の人間にはぼくらの姿を見ることなんてまずできないはずだからね。なぜって?ぼくらはみんなの親指ぐらいしかない小人だからさ。

 その頃、彼の父親は母親に暴力を振るう男だった。だから幼少期の彼はいつもビクビクおびえながら暮らしていたんだ。そのせいで彼は次第に自分の殻に閉じこもるようになっていった。ぼくらの姿が見えるようになってしまったのはそのせいなのかもしれない。

「きみたちをおいらの子分にしてあげよう」

「あんたがぼくらのボスだって?」

 彼はぼくたちの支配者になったつもりらしい。一緒にヒーローごっこをして遊んだり、時には喧嘩したりして過ごしていた。時々彼は癇癪かんしゃくを起こした。そしてぼくたちの仲間を踏みつぶすこともしょっちゅうだった。でも心の広いぼくたちは彼を許してやった。なぜかって?ぼくらは本当の意味で死ぬということがなかったからね。とにかく彼は情緒不安定な男だったんだ。

 ある日彼は「この本なんだけど。友達がおれに勧めてくれたんだ」

 そう言うと、『ライ麦畑でつかまえて』という本をぼくらに見せた。サリンジャーという人が書いた本らしい。

「なんだかすごく共感するんだよな」

 ウソにまみれた大人の社会に反発する主人公の物語だという。作者のサリンジャーには気の毒だが、とにかく彼はこの小説の愛読者になったようだった。それに彼はビートルズの大ファンでもあった・・・ビートルズにとってはとても災難だったがね。

 大人になった彼は婚約中に浮気がバレて破局し、自己嫌悪に陥いった。

「ねえ。どう思う?おれって生きる価値ないよね」

 罪悪感から彼には、こんどは自殺願望が芽生えはじめたのだ。ぼくらは同感の意味をこめて大きく首を縦に振ってやったよ。

 彼は自殺する場所として、ずうずうしくも南国のハワイを選んだ。楽園で楽しく死にたいと思ったのだ。彼はハワイの浜辺に車を停めて排気ガス自殺を図った。しかしこれも漁夫に発見されてあえなく失敗に終わる。実は内心だれかに見つけてもらいたかったのだが。

 その後、ハワイが気に入った彼は、そのまま南国に住みついてしまった。そして職場で知り合った片足の不自由なグロリアと結婚をする。職業を転々と変えるが、やはりどこの職場も長続きはせず、次第に神経がおかしくなりはじめた。いや最初からおかしかったんだけど・・・・・・。

 彼は唐突にこう口走った。

「ジョン・レノンを殺そうと思うんだけど、どうかな」

 ぼくらはその真意がよく分からなかった。

「なぜジョン・レノンなのさ?」

「あいつは表向きはラブ&ピースとか言っておきながら、金に物をいわせて贅沢三昧な生活を送っていやがるからさ」

 ぼくらは彼がジョンを殺そうと思っている本当の理由が、他にあるのではないかと勘ぐっていた。

「そうさジョンはインチキ野郎さ」彼は憎々しげに言った。「誰かがジョン・レノンを止めなくてはいけないんだ。わかるだろう?」

「でもジョンが死んだらあんたの好きなビートルズの再結成は絶望的になるんじゃないか?」

「フン、構わないさ。おれが捕まったらおれのために伝記を書いてくれないか」

「あんたの?」

「そうとも。できるだけ神秘的に書いてくれよ。苦悩の末に殺人を犯すのだからね」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 その晩ジョン・レノンはレコードスタジオで数時間過ごした後、妻のヨーコと一緒に近くのレストランに向かっていた。その途中、息子のショーンにおやすみの挨拶をするため、住まいのダコタハウスに立ち寄ろうとした時にそれは起こった。

 男は午前中からレノンを待ち伏せしていた。二度目の挑戦だった。ジョンの背後にそっと忍び寄る影。脚を開き、銃を両手で構えた。

「ジョン・レノン」

 ふとジョンの足が止まった瞬間、立て続けに銃弾が発射された。

 ジョンは背中に4発の弾丸を撃ち込まれた。3発はジョンの胸を貫通し、残りの1発が大動脈に当たって止まった。そのすべてが致命傷であった。

「撃たれた!撃たれた!」

 そう言って、ジョンは口から血を流してアパートの受付の床に倒れ込んだ。

「救急車を呼んで!救急車を呼んで!早く救急車を呼んで!」

 ヨーコは同じ言葉を3度も繰り返し叫んでいた。

 警察が駆けつけて来るまでの間、男は静かに歩道に腰かけて、例の『ライ麦畑でつかまえて』を読み出した。まるでこの文学的小説に、なにかとてつもなく深い意味でもあるかのように・・・・・・。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 これでこの話はおしまい。

「おい。ちょっと待ってくれよ。さっきからおれの名前が一度も出て来ていないじゃないか」

「きみの殺人動機は単にケネディを暗殺したオズワルドみたいになりたかっただけだろう?」

「なんだって」

「高尚な目的なんてこれっぽっちもありゃしないのさ。きみはただ有名になりたかっただけなんだ。歌手にもなれないし、映画俳優や作家にもなれない。才能がないきみが歴史に名を残すには、有名人を暗殺するしか方法を思いつかなかったんだ」

「・・・・・・」

「きみの身勝手な欲望のおかげで、世界中に悲しみが広がってしまったよ。きみを懲らしめる一番の方法はね、きみの名前を永久にみんなで忘れてしまうことなのさ」

「お前たち。おれを裏切る気か!」

「想像してごらん。きみのことなんか誰も知らない世界を」

12月9日  国際腐敗防止デー

「世界の政治は腐敗に満ちている」

 太った男が怒りに満ちた形相で立ち上がった。

「自国の利益を優先するばかりで、このままではいつまで経っても平和な社会がやってくることはないだろう」

 メガネを掛けた紳士が拳を突き上げた。「いまこそわれわれが立ち上がるべき時だ!」

 ほかの議員たちも全員賛同した。

 議会は政治腐敗撲滅運動を推進することで幕を閉じた。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 それから数年後・・・・・・彼らのおかげで、ほんの少しずつではあるが世界は変わりつつあった。

「腐敗政治の浄化はすすんでおるかね」

 太った男がメガネの男に尋ねた。

「いいや」

 メガネの中央を中指で押し上げながら男は言った。

「まったく信じられんよ。あいつらこれっぽっちの賄賂しか寄越さないんだ」

「まったくあきれたもんだな」

12月10日 ベルトの日

「こんな家。出て行ってやる」

 雅人まさとが人生に疑問を感じ始めたのは、大学入試が無事に終了してほっと一息ついた頃だった。

 雅人は先祖代々続く、いわゆる名家と言われる由緒正しい家柄の長男に生まれた。幼少期は腫れ物にさわるように大切に育てられた。裕福な家でなければ通えないような幼稚園を経て、多額の寄付金が必要なエスカレーター式の名門校に進学。将来は財閥といわれる大企業の重役のポストが用意されていた。

「これではまるでベルトコンベアに乗せられて、決められたルートを運ばれている荷物のようなものだ」

 自分の人生に疑問を感じはじめていた。

「何かが違う・・・・・・」

 雅人はとりあえず親友の建太けんたの下宿に転がり込んだ。

「おいおい。良家の御曹司が家出かよ」

 建太は唇の端にタバコをくわえて楽しそうに雅人を見た。

「悪い。しばらくここに置いてくれ。適当な仕事を見つけたら出て行くから」

「まあいいけどさ・・・・・・今ごろ血眼になって雅人を探してるんじゃねえの。おたくのSPみたいなのがいっぱいさ」

「もう嫌になったんだよ。ベルトの上でただ転がってるのがさ」

「ベルトの上ねえ?おれはうらやましいけどな」

「建太にゃわからないよ。孤独でやるせないこの気持ちが」

「まあゆっくりしていけよ」

 灰皿に置かれた折れ曲がったタバコが、ぽとりと床に落ちた。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 雅人は自由と引き換えに厳しい生活環境に身を置くことになった。土建屋のアルバイトや工場の夜勤で働きながら、家賃の安い簡易住宅に住みはじめたのである。

 短い恋も経験した。バイト先で知り合った純子じゅんこと交際をはじめたのもつかの間、純子はバイト先の別の男に寝取られてしまった。心がズタズタに引き裂かれるような衝撃を受けた。

 絶望の淵で雅人は、いつしかウイスキーの水割りで多量な睡眠薬を飲んでしまう。担ぎ込まれた救急病院のベッドの上で雅人は夢を見ていた。自分がベルトコンベアで運ばれて行く夢だ。そこには自由の女神ぐらいの大きな白い人が立っていた。あまりの大きさに、雅人はその足元しか見ることができなかった。

「雅人よ。どんな人生もわたしが作ったベルトコンベアの上を流れているに過ぎないのだ」

「え、だれ?」

 雅人は巨人の顔を見ようと目をこらしたが暗くてよく見えない。

「そして最悪な選択は、そのベルトから自ら逸脱してしまうことだ」

「それって、もしかしておれのことですか?」

「どこに流れて行ってもいい・・・・・・。それは必然なことだから・・・・・・しかし、ベルトから自ら落ちることは許されない・・・・・・。そのことだけは忘れるな。ただ流されるだけでいいのだ・・・・・・。それこそが正解だからだ」

「おお神よ・・・・・・」

 雅人の目尻から涙がとめどなく流れ落ちた。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 雅人は晴れ晴れとした顔をして家に戻った。雅人の家族も何事もなかったかのように彼を受け入れてくれた。

「どうだ。うまく行っただろう」父親が執事に耳打ちした。

「これで雅人のメンタルをすこぶる強くすることができた。我がグループも安泰だ」

「はいご主人さま。雅人さまは、まさかあれもベルトコンベアのルートだったなんて思いもよらなかったでしょうからね」

12月11日 100円玉記念日

「おい、来たぞ」竹下たけした刑事がつぶやくように言った。

 暗闇の中で、灰色の作業着を着た男がひとり石段を登ってきた。男は本殿の前で1礼すると、ポケットを探って財布を取り出した。そしてしばらく財布の中身を吟味していたが、一枚の硬貨をつまみ上げると賽銭箱の中に放り投げた。

「こんな真夜中に参拝ですかね」小川おがわ刑事が小声でささやいた。

 鈴緒を引いてガラガラと本坪鈴を鳴らす。そして二礼二拍手一礼の作法を済ませると、あたりをキョロキョロと見回しはじめた。

「なにかやりそうだな」竹下が言った。

 男は懐からなにやら棒のようなものを取り出して賽銭箱に差し込んだ。

「やっぱりな」

 男はその動作を何回か繰り返すと、そそくさとその場を立ち去ろうとした。刑事たちは一斉に動いて四方から男を取り囲んだ。懐中電灯の明かりが男を照らし出した。

「はい、きみちょっと止まって!」竹下が恫喝する。「いま何かやったね」

 刑事たちは、神社の依頼で賽銭泥棒を張り込んでいたのである。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「ぼくは何もやっていません」

 警察署の取調室に連行されても、その男は犯行を認めなかった。

「じゃあ、おまえのポケットに入っていた小銭はなんだ」

 竹下が取り調べをしていた。

「えっ」

「賽銭箱から小銭を盗んだんだろ」

「違いますって。あれはおつりをいただいたんです」

「なんだと」

「ですから、財布の中を見たら百円玉しかなくて・・・・・・仕方がないから95円のおつりを返してもらったんです」

「何を馬鹿なことを言っている。そんな言い訳が通用するとでも思っているのか」

「竹下刑事。たしかにこの男の所持金は50円玉1枚と10円玉4枚、それに5円玉1枚です」と調書を書いていた小川が言った。

「ぼく・・・・・・先月、旋盤工の会社をクビになってしまって。年の瀬を越せないぐらい貧乏で」

 男が悄然として俯いた。

「おまえ本当なのか」竹下が哀れな表情をして男を見た。「本当に神さんに賽銭のおつりをもらいたかっただけなのか」

「はい。実はもう三日間なにも食べていなくて」

 男は涙目で竹下を見た。

「馬鹿野郎。そういう時には交番に駆け込むとか、生活保護を受けるとかいろいろ手はあるだろうに。まあいい。飯でも食っていけ」

「え?」

「カツ丼のひとつでも食って帰れ」竹下は目に涙をためて財布から1万円札を出して男の前に置いた。

「悪かったな。これで何かの足しにしろ」

 そのとき取調室のドアが開いた。

「竹下刑事ちょっと」

 警察官が竹下になにやら耳打ちをして出て行った。

「あ、この1万円は返してもらうよ。いま賽銭箱からお前の指紋がついた百円玉が見つかった。表と裏を貼り合わせてあったのだそうだ。お前旋盤で硬貨を2枚にスライスしたな」

「自動販売機で2回分使えるかと思って・・・・・・」

「賽銭ドロボーは窃盗で10年以下の懲役だが、貨幣損傷取締法違反なら1年以下の懲役だ。さてはお前、年の瀬を暖かい警察ですごそうと、わざと捕まりやがったな」

12月12日 バッテリーの日

「編集長。今年の忘年会はどうしましょうか」

 ぼくは記者クラブに所属している新聞記者だ。

「このご時世だ。議員もあまり人が集まるのは警戒されるんじゃないのか」

 編集長はデスクの傍らにコーヒーカップを置いて、校正記事に目を通していた。

「今年は食事券でもお渡ししておくぐらいでいいだろう」

「承知しました。黒澤くろさわ議員にその旨ご連絡しておきます」

 ぼくは議員会館に向かった。担当の黒澤議員に面会のアポイントを取り付けてあったのだ。

草本くさもとです。黒澤先生いらっしゃいますか」

 受付で黒澤議員の秘書に尋ねた。

「あ、さきほど急用ができてお出かけになりましたけど・・・・・・」

 困惑した表情で秘書が答えた。

「そうですか・・・・・・午後にお伺いしますとお約束しておいたのですが」

「携帯にご連絡お入れしましょうか」

「いえ、番号は存じ上げておりますので、こちらからお電話させていただきます」

「そうですか。それではお願いいたします」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 わたしは議員会館を出て、携帯で黒澤議員に電話をかけた。2回コール音が鳴って議員が出た。

「お忙しいところ申し訳ございません」

「あ、草本くんか。悪かったな。そう言えば約束していたんだったな」

「いえ、とんでもありません。先生、年度末にはお食事券が」プツッ(よろしいかと思いまして)

 ぼくとしたことがなんということだ。会話の途中で携帯の充電電池が切れてしまったのだ。慌てて公衆電話を探してかけ直したが、もう黒澤議員が電話口に出ることはなかった。

 失策だ。ぼくは項垂うなだれた。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 翌日、黒澤議員が辞職願いを出したというニュースが流れた。

「なにがあったのだ」

 編集長がわたしに訊ねた。

「さあ・・・・・・昨日お電話したときにはそんな素振りは一切・・・・・・」

 ぼくはふとある事に気がついた。

「どうした」

「まさか。ぼくはただ“お食事券”と言っただけで・・・・・・もしかしたら議員、“汚職事件”と聞き間違えたのかも」

12月13日 大掃除の日

 “大掃除”。それは積年の宿敵だ。

「今年こそは」・・・・・・と何度こいつに挑んだことか。

 去年はとにかく「心がときめくもの以外は全て捨てる」という意気込みで臨んだところがあえなく沈没。なぜならば、捨てようと思うもの全てにときめきを感じてしまったからだ。

 今年はとにかく心を鬼にして断捨離だんしゃりを敢行することを誓う・・・・・・と、いったい誰に誓っているのかというと自分自身に誓ったのである。

 まず、どこから手をつけようかという段階で迷うことになる。なにしろ友人たちに言わせると、わたしの家はすでに手の付けようがないほどゴミで埋め尽くされているというのである。いささか失礼なやつらだ。

 とりあえず冷蔵庫の隙間にある「いつかは必ず使うはず・・・・・・」と思って取っておいた紙袋を片付けようと思った。

「なんだこれは」

 無理矢理ぬき出してみると、尋常ではない枚数の紙袋が大量に床に散乱してしまった。貯まれば貯まるものである。

「あ、これブランドの紙袋・・・・・・あ、これ紙質がとってもいい・・・・・・キャラのイラスト入りじゃん・・・・・・」などと言っているうちは、紙袋の山はちっともその形を変えないのである。「断じて今年は負けないぞ」と誓ったのである。

 緊張のあまり、指が震える思いで手頃な10枚だけを残し、すべてゴミ袋に詰めてやった。ふう。

 次に化粧台の上がチラッと視界に入った。そこは大量な化粧品のアイランドと化していた。その数かるく百種類は超えていそうな敵陣である。おかげで最近ではほとんど化粧はこたつの上でやらざるを得ない状態に陥っていたのだ。なんとかあの領地を無駄な化粧品から奪還しなければならない。

 わたしは果敢に化粧品の整理に挑んだ。するとどうだろう。次から次へと同じ化粧品の使いかけが出てくるではないか。いったいなんなんだこいつらは、どこから現われるのだ。分身の術でも使ったのか。どうりで最近お金の減りが早いわけである。

 そこでわたしは妙案をひねり出した。使いかけの化粧品を注ぎ足して、空になった瓶を捨て去れば良いではないか。するとどうだろう、おなじ満タンの化粧品が大量発生したではないか。なんという無駄な買い方をしてきたのか。中身の空いた化粧品を丸ごとゴミ袋に投げ捨てながら、我ながらあきれてしまった。

 そうこうしているうちに午前中が終わってしまった。

 さあお昼だ・・・・・・いや待て待て。昨年はここで一回休憩をいれたのが運の尽きだったではないか。見よ、あそこの本棚の下を。昼ごはんをたべながら、何の気なしにあそこに積み上げられている断捨離候補の漫画本のページをめくったが最後、日が暮れるまで夢中で読みふけってしまった過去を忘れてはいけない。

 今日の昼食は抜きだ。そのかわりに大掃除が終了した暁には、自分へのご褒美をたんとくれてやる。Uber EATSで旨いものを頼めるだけ頼んで、ビールとワインを飲めるだけ飲んでやるのだ。

 次に最大の難関に挑むことにした。洋服ダンスである。「年に1度も着なかったものは・・・・・・来年は着るかもしれない」・・・・・・などと思ってはいけない。大掃除はそんな甘いものではない。昨年そう考えて、今年そいつらを一枚でも着たか?いいや、そんなことはなかった。

 今年は心を鬼にして捨ててやる。わたしは芋づる式に出てくるそれらの洋服を、まるで殺人者のような顔でゴミ袋に詰め込んでいった。

 机の引き出しは悪魔の場所だから気をつけよう。整理し始めたが最後、無限ループと化してしまう。

 家電の裏は見て見ぬ振りを決めつけた。とりあえず今年は見えるところを攻略するのだ。大量発生した謎のケーブルたちも「いつかどこかで使えるはず・・・・・・」などという幻想を捨ててゴミ袋に捨てた。

 夕闇が近づいてきた。時間がない。わたしは取りあえず床に散乱しているゴミの山を、捕虜収容所とおぼしき1カ所に寄せてまとめる作戦に打って出た。もはや掃除というより、現実を隠そうとしている。捕虜のほとんどはいらないものだから、言い訳もきかず躊躇なく鬼軍曹のようにゴミ袋行きの刑に処した。

 やった、やったぞ。これで今年のわたしは勝利目前である。旨いビールで乾杯しよう。缶ビールを盛大にあおったわたしは、横目でカレンダーをちらりと見て愕然がくぜんとした。

 迂闊うかつだった。

 なんと年内最後のゴミ収集日が昨日終了していたのだ。

12月14日 赤穂浪士討ち入りの日

「どうしたんだい。そんな浮かない顔をして」

 歴史の教授がゼミの生徒に声をかけてきた。気さくな先生だった。

「あ、先生。実はまた就職試験に落ちまして。これでもう10社目なんです。泣きたくなりますよ」

 先生はふっと目で笑った。

「不採用になった会社が10社や20社あったからって、気になんかしちゃいけないよ。それで命まで取られるわけじゃあるまいし」

「でも先生」

「じゃあコーヒーでも飲みながらいい話をしてあげようか。ここにかけたまえ」

 先生は生徒を椅子に座らせるとコーヒーを淹れはじめた。

「忠臣蔵の話は知っているだろう」

「はあ。だいたいは。年末によく劇とかでやる討ち入りの話ですよね」

「あの赤穂浪士の事件には2つの不可解な謎があってね」

「不可解な謎ですか」

「そうなんだ。そのうちの一つは、当時としては喧嘩両成敗けんかりょうせいばいが通例であったにもかかわらず、片方だけが処罰されたこと」

 先生は生徒に淹れ立てのコーヒーを渡した。

「そしてもう一つは討ち入りに参加した浪士たちが、主君のかたきを討つという行為が、どうして親族の仇討あだうちと同じように扱われると思ったかなんだ」

「違うんですか?」

「うん。きみだって会社の社長が誰かに殺されたとして、そのかたきを打とうとは思わないだろう」

「確かにそうですね」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「殿中でござる!」

 たび重なる吉良上野介きらこうずけのすけの無礼な振る舞いに対し、浅野内匠頭あさのたくみのかみの堪忍袋の緒が切れた。なんと小刀で斬りかかってしまったのだ。

 その事件は、江戸城にて五代将軍徳川綱吉とくがわつなよしが、朝廷(天皇)の使者を接待しているときに起こった。ふたりはその接待の役を仰せつかっていたのである。

 そのうちの吉良上野介(61歳)は代々名門の家柄で、幕府の儀式や典礼の礼儀作法を指南する要職にあった。そして吉良は高慢で陰湿極まりない老人だった。かたや浅野内匠頭(35歳)はと言えば、実直でまじめな田舎大名であった。

 浅野が吉良に対して付け届けの賄賂を渡していなかったため、ことある毎に吉良は浅野を虐め、蔑み、わざと間違った作法を教えては周囲に恥をかかせて失笑したのが刃傷沙汰にんじょうざたになった原因である。

 江戸城本丸の大広間から白書院へとつながる松之大廊下でふたりはすれ違った。「・・・・・・」すれ違いざまに吉良が浅野に声をひそめて何かをささやいた。連日の接待で意識が朦朧もうろうとしていた浅野は、火がついたようにカッと目を見開き、気がついたときには小刀を抜いていた。

「おのれ吉良上野介!」

 小刀はふりむいた吉良の眉間をかすめ、烏帽子えぼしの金具に小刀が当たり大きな音をたてた。そして吉良が驚いて逃げるところをさらに追いかけ、背中に向けて2度斬りつけた。

「浅野殿。お控えくだされ。ここは将軍のお膝元でありますぞ!」

 浅野は近くに居合わせた旗本の梶川に取り押さえられた。

 その一報を得た徳川綱吉は怒り狂った。

「浅野内匠頭に即刻切腹を申し伝えよ。さらに領地は没収、赤穂浅野家には取り潰しの処分を下すのじゃ」

「はは。して、吉良殿はいかがいたしましょう」老中が訊ねた。

 綱吉は一瞬言葉を詰まらせた。

「・・・・・・吉良は刀を抜いておらぬそうではないか。お咎めはなしでよかろう」

 喧嘩両成敗の法に照らせば、吉良もなんらかの処分は免れなかったであろう。この裁定に対し、世間では疑問視する者も多かったという。吉良が徳川家の親戚筋であったことが幸いした可能性が高いのだ。

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 赤穂藩の5万3千人は一夜にして路頭に迷うことになった。

 当初、筆頭家老の大石内蔵助おおいしくらのすけは切腹した当主の弟、浅野大学あさのだいがくを立ててお家再興いえさいこうすることを目指していた。にもかかわらず、幕府の指示により赤穂城には別の大名が入り、城主だった浅野大学は赤穂から広島の本家預かりへと処分が決まってしまう。つまりこの時点で大石が描いたお家再興の夢はついえてしまったのだ。

 吉良家にも動きがあった。

 それまでの呉服橋、今で言う東京駅のそばにあった屋敷から、隅田川を渡った松坂町へ屋敷を移転させられた。これにより吉良家は江戸城外に放出された形となったのだ。

「こうなると、われらの生きる道は仇討あだうちしかありませんな」

 大石内蔵助が会議で言った。

「大石さま。そもそも親兄弟の仇討ちならば合法とされておりますが、主従関係においてもそれが適用されるものでしょうか」

 旗本のひとりが疑問を呈した。

「うむ。そこはなんとも言えぬところだ」大石は腕を組んだ。

「世間では今か今かと浅野家がいつ吉良家に討ち入るのかと噂していると聞く。世論はわれらの当主の仇討ちの後押しをしてくれているのだ。幕府もそちらに傾く可能性がないわけではない」

「つまり」別の旗本が言った。

「みごと吉良の首を獲ることができれば、どこぞのお大名がわれらを召し抱えてくださる・・・・・・そういうことでしょうか」

「そうだ。だめでもともと。ここは盛大に討ち入りを成功させて世間に大いにアピールすべきであろう」

「わかった」また別の侍が言った。

「その代わりひとりだけ目立つのは御法度にしましょうよ。常にグループ全体が主役ということで」

 大石が立ち上がった。

「よし決まった。われらの表向きの目的は主君の仇討ち。そして裏の目的は新たな武家に仕えて生活の安定を図ることだ」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 12月14日の夜も明けきらぬ早朝4時。

 大石たち46人の赤穂浪士たちは、一見消防士に見えるように黒の小袖を着て、表門と裏門から吉良邸へと突入して行った。表門から突入した大石隊は仇討ちの口上書を入れた文箱を玄関の前に立て、裏門隊は「火事だ!」と騒ぎ立てて吉良の家臣を混乱させた。

 赤穂浪士は吉良の家来を瞬く間に制圧し、広大な吉良低の中を1時間ほど探索して、ようやく炭小屋に隠れていた寝間着姿の吉良上野介の姿を発見。引きずり出して首を刎ねたという。

 大石たちは主君の墓前に吉良の首を供え、逃げ隠れせずに公儀の沙汰を待つことにした。

 これには将軍綱吉もたいそう感服したが、幕府は罪人の仇討ちは違法であり個人の利益を優先した行動と判断。全員に切腹の命を下した。

「やっぱりな」という顔をして大石内蔵助は肩を落とした。

「話が違うではないか」とほかの浪士の誰もがそう思ったが、切腹自体は当時の武士にとっては名誉の死であったから異議を申し立てる者はひとりもいなかったという。

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「結局かれらの命を張った就職活動は失敗に終わったのさ」と教授は言った。

「江戸時代に生まれなくて良かったです」

 生徒はコーヒーを飲みほし、ほっと一息ついた。

「でも彼らの行動はまれに見る美談として、今でも人々の心の中に脈々と生き続けている。だからきみもくじけず就職活動を頑張りたまえ。どうだね、中部電力でも受けてみたら」

「先生それは殿中じゃなくて、チュウデンでござる」

12月15日 観光バス記念日

 この不景気の中、大繁盛しているバス会社があった。とにかく毎便、乗車希望者が100%を超える大盛況ぶりだったのである。

 ただし、この会社のバスガイドの採用方針にはいささか問題があると噂されていた。

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「労働基準局の者ですが、あなたの会社の採用について問題ありと伺って参りました」

「さて、なんの事でしょうか」

 社長の内村が応対した。背広姿の役人は調書を見ながら社長に訊いた。

「こちらの会社は社長の方針で美人しか採らないという苦情が入っていまして・・・・・・そのようなことがありますでしょうか?」

「もちろんですよ。わたしが面接して決めています」

「社長。それはいけませんね。労働基準法に抵触します」

「いやいや、それでなくてはうちの会社はなりたちませんから」

「そんなことはないでしょう」

「うちのバスガイド目当てに男性客が集まる。その男性客目当てに女性客が集まる。うちのバスツアーで結婚までゴールインしたカップルは、大手出会い系サイトよりも多いのです」

「なんですかそれは」

「つまり、わが社は少子高齢化問題を解消できる有力企業だと申し上げているのです」

「しかしそんな観光バス聞いたことありませんが」

「なにを言ってるんだ。わが社のバスは観光バスなんかじゃありません」

「じゃあ何ですか」

「“冠婚バス”と呼んでください」

12月16日 紙の記念日

「そんなことではわが社は業界から取り残されますよ!」

 役員会議は紛糾していた。

「今こそ古い慣習を捨て去り、若い世代に経営を任せるべきではありませんか」

 若手の役員が肩をいからせて力説している。

「まあ、落ち着きたまえよ」専務がたしなめる。「確かにこれからは近代化に向けて、わが社も変革していかなければならないのは認めよう。問題は、まず手始めになにから手をつけていくかだ」

「それならわたしに考えがあります」と総務部長が手をあげた。「無駄な経費を削減するにあたり、まずはペーパーレスを目指すべきかと」

「なるほど。ペーパーレスか」常務が手を打った。「そう言えば最近は本や漫画なんかも、端末で読む時代になってきているそうじゃないか」

「よろしい。それではまずそれから始めよう」と社長が言った。

「では本日の結論は“社内のペーパーレス化を推進する”・・・・・・ということでよろしいですね」

 議長が全員に挙手をとった。「本件は満場一致で可決されました」

「よろしい」

 社長たち役員が全員席を立った。

「それじゃあ後で、議事録を紙で回してくれ」

12月17日 飛行機の日

 人類で初めて空を飛んだのが誰か、あなたは知っていますか? 

 2003年12月17日。アメリカ合衆国ノースカロライナ州にある小さな町で百年記念祝賀会が開かれていた。百年前の今日、人類初めて有人動力飛行を成功させた場所がこの町キルデビルヒルズと言われているのだ。

「盛り上がりますな、町長」

 世話役のベンがロドリックに言った。

「うむ。この祝賀会の目玉はなんと言っても、当時のレプリカの飛行機が大空を飛び回るところだからな」

「報道陣も詰めかけています。これは楽しみですね」

「これでわが街、キルデビルヒルズがまた有名になることだろう」

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 ヴァイスコプフは大柄なドイツ人だ。彼は子供の頃にたこに夢中になっていた。その頃から、飛行理論に興味を持ち始めたのだった。後に航空技師になる彼は、天候、風、鳥を研究しながら世界各地に旅をする。そして最後にアメリカに渡って実験を続けた。

「ねえ、ヴァイスコプフさん」助手のファンクが彼に言った。「ナンバー21(21番目の試作機)』のエンジンのことですが」

「なんだね」

「あの、すみません。その前にあなたのお名前を呼ぶ度に舌を噛みそうになるんですよね」

「ああそうか。アメリカ人には発音しにくい名前だものな・・・・・・そうだ、これからはホワイトヘッドでいいよ」

「ホワイトヘッド?」

「ああ。ヴァイスコプフというのはね、ドイツ語で“白い頭”という意味なんだ」

「それじゃあホワイトヘッドさん。ナンバー21の離陸用のエンジンの出力についてなんですが、やはり10馬力が妥当ではないでしょうか」

「そうなのか」

 追い風を利用して離陸するライト兄弟のライトフライヤーと違い、ナンバー21は自力で離陸する機能を持ち合わせていた。

「それ以上になると機体に負担がかかります」

「よし分かった。それじゃあプロペラを回す2台のアセチレンエンジンは20馬力で行こう」

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「それでは行くぞ!」

 ライトフラヤーが複葉機であったのに対し、ホワイトヘッドのナンバー21は単葉機だった。竹と針金を骨組みとした翼の幅は11mもあり、軽い絹が貼られていた。ナンバー21の車輪とプロペラのエンジンが轟音を響かせながら駆動しはじめる。ホワイトヘッドが乗った機体は徐々に浮き上がり、地上15mの空中を約800m飛行することに成功した。

「しまった。カメラを持ってくればよかった」

 ブリッジポート・ヘラルド新聞のハウエル記者がその様子を取材に来ていたのだ。まさか本当に空を飛ぶとは思いもよらなかった。後日彼は、その時の様子をスケッチに残している。

 これはライト兄弟が空を飛んだとされる2年前、1901年8月14日の出来事であった。

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 1903年12月17日。キルデビルヒルズにて、自転車屋のウィルパー・ライトとオービル・ライトの兄弟が、人類初の有人動力飛行に成功したというニュースが大々的に報じられた。

 当然ホワイトヘッドは抗議を申し入れたが、それには詳細な実験記録と写真などの証拠を提示する必要があった。ホワイトヘッドはそれまでそういう類いの記録を用意をして実験したことがなかった。あるのはハウエル記者などの証言とそのスケッチだけだったのである 。

 商才に優れたライト兄弟はすぐに動いた。スミソニアン学術協会の運営する博物館に対し、ライトフライヤー機を寄贈する代りに、今後自分たち以前の飛行に関する記録を一切取り扱わないという契約を結ばせたのである。

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「紳士淑女の皆さん。それでは最後に当時の飛行機による記念飛行を行いたいと思います。滑走路にご参集ください!」

 スピーカーから案内が流され、人の波が滑走路に流れて行った。そこにはライトフライヤーとナンバー21の復元機が、昔ながらの雰囲気を醸し出して待機していた。

「それではご注目ください。この2機が空に飛び立ちます!」

 エンジンが始動しはじめた。詰めかけた大勢の航空ファンや報道陣が一斉にカメラを構える。追い風に乗ってライトフライヤーが加速しはじめた。そして車輪の回転とともにナンバー21も滑走をはじめた。あたりに轟音が響き渡る。2機は徐々に浮力を得て、地上から浮き始めた・・・かに見えた。

 ライト兄弟のライトフライヤーは失速し、そのまま地面にたたきつけられ大破してしまった。それに引き換えホワイトヘッドのナンバー21は、まるでそれを飛び越えるかのようにして大空高く飛び立ったのだった。

 現在アメリカのコネティカット州議会は、ホワイトヘッドの偉業を公式に認定している。さらに、世界の兵器情報誌『ジェーン年鑑』においても、人類初の有人動力飛行に成功したのはホワイトヘッドであると明確にしるされているのだ。

12月18日 東京駅完成の日

「おじいちゃん。ねずみはどこに行ったの?それに兎もお馬も、鶏さんもいないし・・・・・・」

 孫の高司たかしに言われて金吾きんごは言葉に詰まってしまった。

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 1914年(大正3年)。皇居の正面玄関の直線上に日本最大の駅舎が建設されることになった。

 東京駅である。

 当時、日本鉄道建設を指導していたのはドイツ人の技術者フランツ・バルツァーだった。

「日本の象徴らしく、西洋風の建物に瓦葺きの駅舎を建てたらどうでしょう」

 バルツァーは和洋折衷の駅舎を建てることを進言した。しかし、日本政府はそれに難色を示した。明治からはじまる西洋化の風潮にあくまでもこだわったのである。白羽の矢が立ったのは、当時建築家として名を馳せていた辰野金吾たつのきんごであった。彼は九州佐賀県の出身で、東大工学部在学中に英国人のジョサイア・コンドルに師事した人物である。

「皇室の玄関を象徴した駅舎を建造しましょう。全長335メートルの鉄筋3階建てで、赤煉瓦で覆った上に白い花崗岩でラインを入れます。そして屋根には塔(ドーム)を配置しましょう」

 この提案が採用され、のちにこの形式は『辰野式ルネッサンス』と呼ばれるようになった。

「お父さん。今度もまた素晴らしい建物になりそうですね」

 長男でフランス文学者の辰野隆たつのたかしが息子を連れて建築中の東京駅を見物に来ていた。

高司たかし。おじいさんの建物は丈夫そうだろう」赤煉瓦の駅舎を指さして父親が言った。

「おじいちゃんの名前は辰野金吾っていうんだけど、頑丈な建物をつくるから“辰野堅固”って呼ばれているんだ」

「ふうん。おじいちゃんすごい」

「中も見てごらん」

 金吾に連れられて駅舎の中に入る。

「わあ。お城の中みたい」

 声が反響してこだまする。天井にはドームを取り囲むようにして、浮き彫り彫刻が施されていた。

「牛、虎、竜、蛇、羊、猿、犬、猪ですか」

 隆がぐるりと見回して言う。

「高司くん。これはね方角を現しているんだよ」金吾がしゃがんで天井を指さす。「丑寅うしとらは北東、辰巳たつみは東南、ひつじさるは南西、戍亥いぬいが北西だ。どうだ面白いだろう」

「おじいちゃん、これって十二支だよね。ねずみはどこに行ったの?それに兎もお馬も、鶏さんもいないよ」

 孫の高司に言われて金吾は言葉に詰まってしまった。

「うん・・・・・・そうだな・・・・・・。この東京駅から電車に乗っておじいちゃんの田舎に行ったのさ」

「それどこ?」

武雄温泉たけおおんせんというところだよ」

 とっさに金吾の頭は今建築中の武雄温泉新館を思い浮かべていた。

「あそこの楼門にいるんだ。今度おじいちゃんと一緒に見に行こうか」

「うんわかった」

 今でも武雄温泉楼門には意味不明のねずみと兎と馬と鶏のレリーフが刻まれて保存されている。

12月19日 シュークリームの日

「いつか究極のデザートを作りたい」

 それがパティシエの口癖だった。パティシエの名前はがくという。岳はつねに本物を追求していた。

「もう少し材料をケチったらどうだ」

 シェフが岳に小言を言うことも度々だった。

「そういう訳にはいきませんよ。本物の味が出せなくなってしまいます」

「まったくお前ってやつは、強情だな」

 シェフはそう言いながらも岳に一目置いていた。そんなある日、厨房で働いていたシェフを岳が強引に引っ張って来た。

「とうとう完成しました。見てください。これこそがぼくが作りたかった究極のデザートです」

 テーブルの上の皿にはシュークリームが乗っていた。

「岳・・・・・・これは?」

 そのシュークリームは鮮やかな緑色をしていた。

「本物のシュー・・・・・・つまりカスタードクリームをキャベツの葉で包んだものです」

「そりゃ確かにシューはフランス語でキャベツの意味だが・・・・・・そんなものいったい誰が食べたがるのかね?」

12月20日 シーラカンス・デパート開業の日

「百貨店を開業するにあたって、なにか目玉になるようなものを店内に飾りたいのだが」と社長が注文をつけた。

「中国からパンダでも借りてきましょうか」と専務が言う。

「そんなものデパートで飼育できるものか。百貨店に置くならもっと希少価値のあるアカデミックなものでなくてはならない」

「そうですねえ・・・・・・いっそ生きてる化石なんていうのはどうでしょうか」

「生きてる化石?」

「シーラカンスです」

「そんなもの。どうやって手に入れるのかね」

「わたしにお任せください」

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 シーラカンスは3億5千年前から深海に生息しており、『生きた化石』と呼ばれている。体長は2メートル以上あり、重さは90kgほど、寿命は100年もある。しかし現在世界中どこにも生きているシーラカンスを保管している水族館は存在しない。

「社長。沼津港深海水族館には冷凍のシーラカンスがあるのをご存じですか」

「化石じゃなくてか」

「そうです。世界でも珍しい冷凍のシーラカンスがあるんですよ」

「それでどうするのだ」

「そこの館長がわたしの知り合いでしてね。検体のほんの一部を分けてもらうことに成功したのです」

「それってもしかしたら・・・・・・」

「そうです。そのDNAからクローンを作ればいいのです」

「なるほど。それは名案だ。すぐに取りかかってくれ」

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『生きたシーラカンスと会える百貨店』という謳い文句は、世界中から集客することに成功した。

「すごいじゃないか専務」

「しかし社長・・・・・・バレないでしょうか」

「そんなことは知らんよ。先に宣伝してしまったのだからしょうがないだろうが」

 実はクローンの生成に失敗して、いま水槽の中を泳いでいるのはタライロンという南米の淡水魚にシーラカンス特有の丸いひれをつけた偽物だったのだ。

「ギョギョこれは・・・・・・!」

 お客で来ていた魚博士が観ている目の前で、シーラカンスのひれがポロンと一枚落ちてしまった。

「たいへんです社長。とうとうバレてしまいました」

 顔面蒼白の専務が社長室に飛び込んできた。

「それで、お客さんはどうなった」

「シーラカンスだけに総スカンです」

「ううむ。まったくシャレになってないぞ専務」

12月21日 遠距離恋愛・回文の日

世の中ね、顔、金かなのよ

「なにそれ」

「回文。上から読んでも下から読んでも“よのなかねかおかねかなのよ”」友達の眞麻まあさがわたしを見て笑いだす。「理奈りな、知らなかったの?あんたたち“回文カップル”て呼ばれてるのよ」

「回文カップル?」

成田理奈なりたりな池田圭いけだけい。上から読んでも下から読んでも同じ名前どうしのカップル」

「ああ、なるほど。偶然ね」

「感心してる場合じゃないわよ。どうするの彼、来週から東京に異動しちゃうんでしょう」

「どうするって、別に・・・・・・」

「理奈知らないの。遠距離恋愛でカップルが別れる確率は78%なんだってよ」

「ええ!」

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 他人ごとではなかった。翌日、理奈自身も名古屋支店に異動になってしまったのだ。

「まいったな。よりにもよって、逆方向に転勤なんて」

 圭と理奈はカフェでコーヒーを飲んでいる。

「寂しくなるね」

 理奈は圭の顔を見つめる。

「80%って言ったっけ」

「違うよ。78%だよ」この際2%でも大事だ。

「二人のルールを決めないか」と圭が真面目な顔をして言う。

「ルール?」

「そう。月に2回は必ず会ってデートする」

「うん賛成。お互いの中間点で会うことにしましょうよ」

「・・・・・・てことは静岡か」

「代わり番ごっこにデートコースを考えておくってのはどうかしら。あと、こまめにメールや電話で連絡を取り合うこと」

「そうだな。まあ、なんとかなるよ。2年ぐらいで戻ってこられるって言ってたし」

「長いね」

「2年なんてあっと言う間さ」

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 あっと言う間だった。

 二人で過ごす週末の時間が経つスピードがである。楽しいひと時はいつだってすぐに終わってしまう。

「よお」

 久しぶりに会うふたりは、なんとなく照れくさくてギクシャクしてしまう。でも、時とともにお互いのペースが戻り、以前のように楽しめるのだ。それでも別れの時間が迫ってくると、寂しさが夕暮れのように心の隅に影を落とし始める。お互い無口になったり、無理にはしゃいでみたり・・・・・・。

「今度いつ会える?」

 次に会える日を宝物のように胸にしまって、お互いの住まいへと戻っていくのである。

“今日は楽しかった。次に会えるまでが長いよう”

“すぐに会えるよ”

 帰りの電車の中からメールを交換しながら。

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 1年も過ぎると、ふたりの間にも変化が現われはじめた。

 メールの返信に、時間がかかるようになってくる。昼に打ったメールの返信が翌日になったりする。楽しいメールの返信も義務になると、とたんに負担になる。相手を縛り付けてしまっているのかもしれない。

 疑心暗鬼だ。相手が見えないということが、こんなにも不安を煽るものだとは思わなかった。

「病気や事故にでも遭ったのではないだろうか」負の感情は返事がくるまでどこまでも増殖し続けてしまうのだった。「まさか他の異性と一緒にいるってことは・・・・・・」

 楽天的な圭は「自由な時間が増えた。理奈と会えた時の喜びが大きくなった・・・・・・」などと大きく構えているが、会いたいときに会えない辛さはお互い同じはず。

 理奈は何度、眠れぬ夜を過ごしたことだろう。このままではお互いの神経がやられてしまう。

「別れよう・・・・・・」理奈はとうとう圭と別れる決心をした。

 改札から圭が出てきて手を振る。

「理奈。じつは大事な話があるんだ」

 圭が真剣な顔をして言う。

「わたしもお話があるの・・・・・・」

「なに?」

 背の高い圭が理奈の顔をのぞき込む。

 理奈が目を伏せる。「圭から言って」

「もう、ぼくは限界だ」

 理奈が顔を上げる。「わたしも」

「もう理奈と離ればなれで暮らすなんて我慢できないんだ。だから理奈をお嫁さんにして東京へ連れて帰ることにした」

「え?」

「うちの会社、2年で本社に帰してくれるなんて言ってたけど、あんなの大ウソだったんだ。それで、理奈の話しってなんだい?」

 理奈は圭の首に手を巻いて、いきなり口づけをした。

理奈が唇を離して言った。「わたし好きよキスしたわ(わたしすきよきすしたわ)」瞳に涙が浮かんでいる。

「なにそれ?」

「回文よ。わたしたち“回文カップル”って呼ばれているんですって。だって、池田圭いけだけい成田理奈なりたりなだから」

 はギュッと理奈を抱きしめた。

「それじゃあ、こんなのはどうだい。“泣いたけど、遠いあの娘にこの愛を届けたいな”(ないたけどとおいあのこにこのあいをとどけたいな)」

 理奈が涙を拭って微笑む。

わたし負けましたわ(わたしまけましたわ)」

意外や意外(いがいやいがい)・・・・・・だろ?」

12月22日 スープの日

 ようやく日本にも西洋化の波が押し寄せて来た。

 明治の時代になり、それまで外国との交流がほとんどなかった日本は、積極敵に外国文化を吸収しようとしていた。いわゆる文明開化のはじまりである。

 横浜に一艘の外国船が停泊している。

「あれが日本人か」

 商人のトーマスが港を行きう人々を見て言った。「まるで黄色い猿みたいだな」

「野蛮人さ」通訳のデイヴィスが唇を歪めた。

「なにしろいつでも剣を腰に下げていて、お詫びの印に腹を切るのだそうだぜ」

「へえ。そんな風には見えないけどなあ。それにしてもなんであんな散切り頭をしてるんだい?」

「ああ。あれはチョンマゲを切ったからさ。まあ、日本人てやつは、ちょっと変わった民族なんだよ」

「おい、約束のお客さんが来たぞ」

 トーマスは懐中時計を開いた。「ずいぶん時間に正確なんだな」

「日本人は几帳面なんだ」

 ひとりの日本人がタラップを上がってくると深々とお辞儀をした。

「はじめまして。わたくし冨田とみたと申します」

「やあ冨田さん。はじめまして。ぼくはトーマスと言います。アメリカで貿易商を営んでいます」

 そう言って手を差し伸べた。デイヴィスが冨田に通訳をした。

「こ・・・・・・これが握手というものなのですな」

 ぎこちない笑顔を作って冨田も汗ばんだ手でそれに応えた。

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「日本人はアメリカ人に憧れているからさ。とにかくなんでも真似をしたがるんだってよ」

 トーマスの友人がそう言った。

「世界の田舎者なのにか?」

「滑稽だろ。身のほど知らずにもほどがある」

「今度日本の商人と取引をすることになったんだ」

「へえ。何を売ろうっていうんだ?」

「飼料だよ。なにしろアメリカじゃ、めちゃくちゃ余ってるからな」

「ちょっとからかってやったらどうだい」

「どうやって」

「これはアメリカで最もポピュラーな美味しいスープの材料ですって売りつけてやるのさ」

「家畜の餌をかい?そりゃいいや。日本人にはお似合いかもな」

 ふたりは腹をかかえて爆笑した。

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 数年後、トーマスは再び日本に訪れることになった。

 人力車に乗って街道を通り抜ける。日本の進歩は凄まじく、以前日本に来たときにはなかった西洋風の建物があちらこちらに建ち並んでいた。

「こいつは驚いた。風景まで西洋風に変わっているじゃないか」とトーマスはデイヴィスに言った。

「よく見ると、女性もなかなか美人が多い」

「そうかな」

トーマスは笑った。

 今日は国家の要人に招待されていた。人力車は荘厳な建物の前で停車した。高級レストランのようだった。

「ようこそいらっしゃいました」

 給仕が丁重に出迎えてくれた。国家の要人はすでに着席していて、トーマスが現れると席を立って握手を求めた。

「遠いところ、わざわざお呼び立てして申し訳ございません」

「いいえ。とんでもありません。本日は夕食にお招きいただきましてありがとうございます」

 デイヴィスが要人に通訳をする。

「いつもわが国のためにご尽力いただき、誠にありがとうございます。今日はほんのお礼の晩餐をご用意させていただきました。お口に合いますかどうか」

 給仕が最初に運んで来たのはコーンのスープだった。トーマスとデイヴィスは顔を見合わせた。デイヴィスは口を歪めて肩をすくめた。

(アメリカじゃこんなもの食わねえよ。どうしてわたしにこんな物を?まさか嫌がらせじゃあるまいな)

 トーマスは一瞬ひるんだが、半笑いでスプーンを口に運んだ。衝撃が走った。それは予想外の味だったのだ。

 それ以来トーマスは日本人に対する考えを改めた。

 日本人恐るべし。ゴミでも宝に変えてしまう技と力を持っている!

12月23日 東京タワー完成の日

 東京タワー。正式名称を『日本電波塔』という。1958年(昭和33年)にテレビ、ラジオの電波塔として建設された。それが地上デジタル放送化により、その役目は東京スカイツリーに移行されることになったのである。

 永らく東京の観光スポットで賑わった東京タワーも、今後の身の振り方を考えなければならなかった。

「どうでしょう」観光推進委員の内藤ないとうが言った。「ここはひとつ、スカイツリーさんと張り合うことはやめにして、お互い共存するということにしては」

「共存と言ってもねえ」東京タワー委員長の前田まえだは難色を示した。「どこをどう共存するというのかね。距離にして8.2kmも離れているし、あちらは1階にソラマチとかいう商業施設が充実しているそうじゃないか」

「共同してアトラクションを作るというのはどうでしょう」

「アトラクション?」

「そうです。世界一長いジップラインを作るのです」

「なんだねそのジップラインというのは」

「英語で“コウモリ”という意味なのですがね。スカイツリーから東京タワーをワイヤーロープで結ぶのです」

「それで?」

「ワイヤーにぶら下がって8.2kmの上空をケーブルで滑走するんですよ。どうです、爽快じゃありませんか」

「そんなことができるのかね」

「理論上は可能です。なにしろ東京タワーの高さが333mなのに対し、スカイツリーは634mと2倍もあるのですから」

「面白いじゃないか。よし、さっそく先方と掛け合ってみよう」

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 かくして世界最長で最高のジップライン『東京スカイジップ』が完成した。

「どうかね。スカイジップの評判は」

 前田委員長が内藤に訊いた。

「それが・・・・・・世界中から命知らずが大挙して押し寄せて来てはいます」

「ほう。それはよかったじゃないか」

「でも、いざその場に立つと、あまりの恐ろしさに一様に尻込みしてしまって、誰も挑戦しようという者がおりません」

「なるほど・・・・・・お互い電波塔だけに、怖さも伝播してしまうってわけか」

12月24日 クリスマスイブ

 今年もクリスマスイブがやってきた。

 これは聖なる夜の出来事である。

 わたしはサンタクロースの衣装を身にまとい、音を立てないよう、細心の注意を払って息子の部屋に入って行った。息子はベッドでぐっすり眠っている・・・・・・ように見えた。

「サンタさん」

 どうやら息子は眠っているふりをしていただけだったようだ。わたしは驚いて声をあげそうになったが、なんとか堪えることに成功した。

「本当はサンタさんなんていないんでしょう。実はパパがサンタさんに化けてるんだよね」

 息子のかわいい顔をのぞき込む。そしてわたしは目だけでにっこり笑うと人差し指を左右に振った。

「そんなことないよ」白い髭が左右に揺れる。「わたしは本物のサンタクロースなんだ」

 わたしはそっと息子のひたいに手を当てる。そして小さな声で言った。

「メリークリスマス。かわいい坊や・・・・・・」

 枕元にそっとプレゼントを置くと、息子は小さな声でひとこと「ありがとう」とつぶやいた。

 わたしはそっと息子の頭を撫でてあげた。

 息子が静かに眠りにつくと、わたしは先ほどと同じように静かに部屋を出て行った。

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 リビングに戻ると、妻はロッキングチェアで編み物をしていた。

「あなた」妻が目に涙をためている。「今年もあの子に会えて?」

「ああ」

 わたしも胸が熱くなっていた。わたしは息子の髪を触った掌で、彼女の両手を優しく包みこんだ。

「今年も優しくていい子だったよ」

「そう・・・・・・よかったわね」

 妻は嬉しそうに微笑んだ。

 聖なる夜・・・・・・なぜかサンタに扮したわたしにだけ、病気で亡くなったはずの息子が姿を見せてくれるのだった。

12月25日 クリスマス・スケートの日

「先輩・・・・・・」

 バイト仲間の後輩、もえちゃんが熱い眼差しでぼくを見つめてきた。

 これは恋の予感・・・今年のクリスマスは楽しくなりそうだ。

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 ぼくは瞬時にクリスマス・デートのスケジュールを思い浮かべた。

 まず誘い方はこうだ。「いまスケート場でメチャ綺麗なイルミネーションやってるんだって。一緒に行かない?」

 待ち合わせはスケート場の前で15時にしよう。なぜスケートがいいのかって?・・・・・・決まってるじゃないか。誰に気兼ねすることなく、堂々と手をつなぐことができるからだよ。

「まったあ?」と萌ちゃんがフワフワのマフラーかなんかをして現われる。

「そんなことないよ。いま着いたばっかりさ」(実は1時間も前から待っている)

 まずはスケート靴を借りよう。スケート靴は妙にひもが長いブーツ丈の靴だから、きっと萌ちゃんはぎこちなく紐を結び始めるに違いない。

「やってあげるよ」

 そう言ってぼくは彼女の靴紐を結んであげる。(拓先輩って優しいのね)と萌ちゃんは心の中で感動しているはずだ。

 萌ちゃんと手をつないで滑ってあげよう。この時、手をつないではいけないという人もいる。いくらか弱い女の娘でもだいたい40kgぐらいは体重があるはずだ。もしも彼女が転倒したときには片手でその体重を支えることになってしまう。でもその時はその時だ。一緒に転んでしまえばいい。そして二人で顔を見合わせて笑うのだ。親密度200%アップ間違いなしだ。

 滑りっぱなしでは彼女が疲れてしまうので、定期的に休憩を入れてあげよう。そして温かい飲み物を買ってきてあげる。ふたりでフーフーいいながらココアなんか飲んでみよう。これで萌ちゃんのハートもぽっかぽかに温まるはずだ。

 待ち合わせを15時にしたのには意味がある。そう、スケート場の閉店時間はだいたい午後5時ぐらいだ。午後6時に夜景の見えるレストランを予約しておいたのだ。

「萌ちゃん。お腹すいたね」

「うん」

「食事して行こうか。いいレストランを予約しておいたんだ」

「気が利きますね拓先輩。さすがですぅ」(だろう?)

 真珠のようなシャンパンの泡を眺めながら乾杯。美味しい料理に舌鼓を打つ。食後のコーヒー。そしておもむろに緑の包装紙に赤いリボンを結んだ箱を取り出す。

「これ・・・・・・萌ちゃんに似合うと思って」

「わあ」

 萌ちゃんが目をまん丸に見開く。

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「先輩・・・・・・」

 バイト仲間の後輩萌ちゃんが、熱い眼差しでぼくを見つめた。

「なに」

「25日空いてたりしませんよね?」

(来たぁ!)「うん?とくに用事ないけど」

「本当ですか!じゃあ萌とバイトのシフト替わって下さい」

(え?)「い・・・・・・いいけど」

「やったあ!拓先輩って本当に優しいんですね。よかった。これで彼氏とクリスマスデートができます」

「あっそう・・・・・・。ス、スケート場なんかいいんじゃない。イルミネーションやってるみたいだし」

12月26日 ボクシングデー

「本日はボクシングデーにつき、ウェルター級(66.68g以下)のタイトルマッチを行います」

 観客が沸きたった。いよいよボクシングの試合のはじまりだ。

「ちょっと待ってくれ」

 そこにひとりの牧師が現われた。

「きみたち。何か勘違いしておられませんか。ボクシングデーとは言っても、今日はボクシングをやる日ではありませんよ。教会が貧しいひとたちのために寄付を募り、箱に入ったクリスマス・プレゼントをお贈りする日なのです」

「牧師さん。そんなことは知っているさ」青コーナーの選手がロープに腕をもたれさせて牧師に言った。

「だから、この試合の興行収入はすべて恵まれない子供たちに寄付することになっているんだ」

「え、そうだったのですか」

 牧師が驚いた顔をする。

「そうだよ牧師さん」赤コーナーの選手もロープを背にして言った。

「これはチャリティーなんだ。もっとも試合は真剣勝負だけどね」

「そうと分かれば話は早い」牧師がリングに上がった。「わたしにレフリーをやらせてくださいませんか」

「牧師さん。レフリーなんてできるんですか」縞模様のシャツを身につけたレフリーが心配そうに牧師に訊いた。

「いや、あなたも普段レフリーの仕事でお忙しいのでしょう。今日ぐらいは家族とゆっくりお過ごしなさい。
ボクシングデーとはそういう日なのです。わたしも1度ボクシングのレフリーをやってみたかったのです」

「ほんとうですか牧師さん。それじゃあお言葉に甘えて」

「任せておいてください。なにしろ今日は牧師Good-Dayなのですからね」

12月27日 浅草仲見世記念日

 雷門から浅草寺せんそうじへと続く参道の両側には、食べ物屋、玩具屋などたくさんのお店がのきを連ねている。

 仲見世という名前は、中店が変じたものである。江戸時代、浅草寺の参拝者が増えたことにより幕府が近隣の住人に、お寺の清掃をさせる代償として出店許可を与えたのが始まりである。

 現在では渋谷スクランブル交差点と並んで、日本の観光地のメッカとなっていて、海外からの訪問客も年々急増している状態なのだ。

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 人が集まるところには犯罪がはびこる。その日も米田よねだ佐川さがわのふたりの刑事が仲見世通りを張っていた。

「米さん。今日もスリの被害が頻発しそうですね」と若い佐川が米田に言った。

「ああ。こう外国人が多いんじゃ、それを目当てにスリが集まってくるのも当然だ」

 人の流れを目で追いながら、米田がつぶやく。

「日本の安全神話が観光客に油断をさせてしまうのですかね」

「まったくその通りだ」米田の視線がふとある一点で止まった。「おい佐川。あれ」

 米田の視線の先には、枯れ木のようにやせた老人がひとりたたずんでいた。

「あれは・・・・・・」

銀次ぎんじだ」

「すると」

「銀次から目を離すな」

 でっぷりと太った外国人の3人組が、大笑いをしながら向こう側から参道を歩いてくる。そこに和服姿の女の肩がぶつかった。

「ごめんなさい」

 女はペコリと外国人たちに頭をさげた。男達は陽気に片手を上げてなにか言っている。

 銀次が動いた。ゆらゆらと柳のように揺れながら人混みに紛れてゆく。そして女とすれ違うと、そのまま外国人たちの隣をサッとすり抜けていった。

「やったな」

 米田が佐川をアゴで促した。米田と佐川はふた手に分かれた。

 米田は早足で銀次に近づいていった。

「銀次」

 老人がうつろな目で振り向いた。

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「米田のだんな」

 銀次が米田をまぶしそうに見つめた。

「ごくろうさん。相変わらず手際がいいな」

「いや。たいしたことありませんや。しかし最近の巾着取りは節操がなくていけません。あんな右も左もわからねえ外国人を狙うなんざ」

「あの女スリは今ごろ佐川がパクっているはずだ」

「そうですか。なにか事情があるやもしれません。穏便に見てやってくださいましよ」

「銀次。お前も歳を取って角が取れたなあ」

「いや。少しでもの罪滅ぼしでさあ」

 かつて銀次はスリの名人と言われていた。今では警視庁に雇われて、外国人がスラれた財布をスリ返し、被害者に気づかれる前にもとに戻すのが彼の仕事なのである。これで対外的に事件はなかったことになるのだ。

「それにしても日本の安全神話を維持するのも楽じゃないな。これからも頼むぞ銀次」

12月28日 身体検査の日

 ピンポーン。

 また空港の金属探知機になにかが反応してしまったようだ。ぼくはその日、九州の得意先に出張に出かける予定だった。

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「ばか者!」

 上司にこっぴどく叱られた。

 それもそのはずだ。ぼくは資材発注の単位を間違えていたのだ。まあ、桁をほんのひとつ多く発注してしまっただけである。おかげで倉庫はその資材で溢れかえってしまったが、そのうちいつかはなくなるだろう。

「アホかお前は」と上司に怒られた。

 1日がかりでやっと完成した資料のデータを保存し忘れたのもこのぼくだ。だとしても、形あるものいつかは壊れるというではないかぼくは徹夜でデータを修復・・・・・・というか一から入力し直したのである。

 次の日わたしは大事な会議に遅刻してしまった。なぜならば、朝の通勤電車で終点まで寝過ごしてしまったからだ。それでもなんとか会社にたどり着いたから問題はないだろう。

 翌日はキチンと会議の席についていた。涼しい顔で座っていたのだが、呼ばれてもいない会議に出席していたらしく、周りから怪訝な顔をされていたのにはいささかバツが悪い思いがした。

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 ピンポーン。また金属探知機が反応してしまった。これでもう5回目だった。

「すみません。お客様、アクセサリーとかまだ取り忘れていらっしゃいませんか?」

 係員が電波の出ている棒でぼくを丹念に調べるのだが、その原因が判明しないようだった。

「そう言えば」ぼくは手を打った。「今朝レバニラ炒めを食べたんだ」

「お客様。いくらレバーに鉄分が多いからと言っても、金属探知機に反応するようなことはございません・・・・・・もしやお客様、鉄の心臓をお持ちなのでは?」

12月29日 シャンソンの日

「よくも俺たちからあの娘を奪ってくれたな」

 覆面をした4人の男達はルイ・ルプラーをアパートのベッドに縛り付けていた。

「よせ」

 第一次世界大戦で片足が不自由になったルプラーは、思うように逃げ出すことができなかったのだ。

「あんたの惚れた“小さな雀”を返してもらおうか」銃口がルプラーの頭部を狙っていた。

「誰が渡すものか。彼女はおれのものでもお前達のものでもない。この世界と彼女自身のものなのだ」

「じゃあ死ね」

 銃口から銃弾が発射された。

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 ジャズが黒人発祥の音楽なら、シャンソンは白人発祥の音楽である。共通点としては、どちらも労働者階級や下町の人々の生活から生まれた音楽というところだろうか。愛や社会的メッセージを込めた歌が多い。もともとシャンソンとはフランス語で“歌謡”を意味する言葉である。豊かな声量で情景や感情を表現する音楽だ。

 シャンソンの代表的な歌手といえば、なんといってもエディット・ピアフになるだろう。彼女は大道芸人の父とカフェの歌手だった母の間に生まれた。当時から貧しい家庭だったので、父方の祖母の売春宿に預けられて幼少時期を過ごす。3歳から7歳の間、角膜炎を発症して盲目になってしまった。ところがピアフを可愛がってくれた娼婦が、聖テレーズに巡礼に行って祈ると奇跡的にピアフの視力は回復したという。

 ピアフが20歳のある日のことである。日銭を稼ぐため路上で歌っているところに、偶然ナイトクラブの経営者ルイ・ルプラーが通りかかった。ピアフは142cmと小柄ながら、その豊かな声量とハスキーな声は聴く者の心を鷲づかみにして離さなかった。

 ルプラーは人垣をかき分けて前に進み出た。

「お嬢さん。わたしの店で歌ってみませんか?」

 ルプラーはどこか女らしさを感じさせる優しそうな男だった。丸顔で眉が細く、二重の大きなたれ目が印象的で、薄い唇は片方が上がっており、常に微笑みをたたえているように見える。

「あの・・・・・・わたしにはそんな大勢の人前で歌うなんて無理です」

「なにをおっしゃっているのですか。あなたの歌声を聞いたら誰だってうっとりしてしまう。わたしの店は上流階級も大勢きますが、ここにいらっしゃる下流・・・いや、大衆のみなさんも毎晩聴きにきてくれている。レコード会社のお偉方の目にとまればプロの歌手としてデビューすることだってあり得るのです」

 引っ込み思案のピアフを、豪腕のルプラーは“小さな雀”というニックネームをつけて、なかば強引に舞台に上がらせてしまった。そこで人気が沸騰し、翌年にはレコード・デビューが決まったのだった。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「ピアフさん。あなた、ルプラーさんを殺害した犯人の共犯者ではありませんか?」

 ピアフは警察署の取調室で尋問を受けていた。

「どうしてそんなことを・・・・・・」ピアフは涙ながらに訴えた。「ルプラーお父さんをなぜわたしが殺さなければならないの」

「家政婦の話ではね。その4人組は街のギャングじゃないかと言っているんだよ。犯行のとき、彼女も縛られて猿ぐつわをされたそうでね。どうも裏口の鍵を誰かが開けて手引きしたのではないかと言ってるのさ」

「だからって・・・・・・」

「ピアフさんのボーイフレンドは、あのあたりの不良グループのひとりだっていうじゃないですか」

「彼はそんなことをするような人じゃありません」

「ただねえ・・・盗まれたものがないのが腑に落ちない。引き出しにあった現金にも手をつけた形跡がない。つまり、ルプラーとピアフさんとの仲を引き裂くために・・・・・・」

「ルプラーお父さんは同性愛者だったのです。そんなわけないじゃありませんか」

 その時、ピアフの後ろのドアが開いて別の刑事がなにやら耳打ちをした。

「わかりました」刑事はため息をついて言った。「あなたのボーイフレンドのアリバイが成立しました。疑ったりして申し訳ない。これも商売なんでね。許してください」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 ルプラーを殺したのはいったい誰なのだろう。きっとピアフの熱狂的なファンが、自分たちだけの小さな世界にいた彼女を、ルプラーに奪われたことに腹を立てて犯した犯罪だったのではないだろうか。ところがピアフ本人が警察に捕まってしまったことに驚いて、身を隠してしまったのに違いない。

 警察署を出たピアフは、『ばら色の人生』『愛の賛歌』『パリの空の下』など、立て続けに名曲を発表した。それはまるで一羽の雀が、鳥籠から世界という大空に羽ばたいたかのようだ。もはや誰の手にも届かないくらい高いところへと。

12月30日 地下鉄記念日

 気がつくとぼくはひとり地下鉄のホームのベンチに腰掛けていた。腕時計をみると、最終電車は発車時刻をとうに過ぎていた。どうやら忘年会が終わったあと、駅のベンチですっかり寝過ごしてしまったようだ。

「くそう。駅員が起こしてくれてもよさそうなのに」

 ぼくは誰もいないホームを見渡した。

 ここは日本でも一番深いところにある都営地下鉄大江戸線である。シンと静まり返った地下鉄のホームは不気味でさえあった。

「あしたは大晦日か。もう年の瀬なんだな」

 ぼくはため息をひとつついた。

「しかたがない。地上に出てタクシーでも拾うか」

 立ち上がりかけたそのとき、なにやら電車がホームに入ってくる気配がした。

「回送電車かな。終電を逃したひとのための特別電車だったりして・・・・・・」

 まさかと思ってホームの端をみていると、黒い霧状のものがこちらに押し寄せてくるではないか。

「な、なんだ」

 一瞬火事ではないかと目を疑った。

 その黒いものが音をたてて、ぼくの目の前を通過しようとしていた。目を凝らしてよくみると、それはおびただしい数の僧侶たちの集団であった。彼らは一様に黒い煙のようなものをまとっていたのである。しかも音だと思っていたものは、彼らが唱えるお経だったのだ。

 お坊さんたちは、ぼくがいることに気がつくと、ホームに止まって一斉にぼくに視線を向けた。

「ごめんなさい。ごめんなさい」

 ぼくはなぜかその黒煙に向かって謝っていた。「明日からまた頑張ります。許してください」と掌を合わせてそう言っていた。

 お坊さんたちは顔を前に向け直すと、何事もなかったかのように、一斉に何かをつぶやきながら動き出した。ぼくにはそれが「励みなされ。励みなされ。励みなされ・・・・・・」と聞こえたのだ。

 だれもいないホームに静寂が戻った。

 遠くでかすかにお坊さんの合唱の声が聞こえてきたような気がした。『師走しわすも休まずつちつく響き・・・・・・』

「お坊さんたち、歌詞間違ってるよ。それを歌うならしばしも休まずだろ」と、ぼくが何気に呟くと、「励みなされ。励みなされ・・・・・・」という声がまた戻って来た。

 ぼくは必死になって階段を駆けのぼって逃げた。

12月31日 大晦日・除夜の鐘

「ああ、なんてことだ・・・」

 ぼくが苦しみ悩んでいると、知らない間に背後に見知らぬ男性が立っていた。

「なにを悩んでいるのだ」

 袈裟けさを着ている姿からすると、どこかの高貴なお坊さんのようだった。

「だ、誰ですか!」

 ぼくは慌てて抱えていた頭を上げた。

「ゴータマ・シッダッタです」

豪玉ごうたま知ったるだ?」

「日本では釈迦と呼ばれております」

「ああ。お釈迦さまか・・・・・・え、なんで?」

「なぜって、あなたが呼んだのでしょう」

「いや、たしかに神さま仏さま・・・・・・とは言いましたよ。でもいきなりお釈迦さまが目の前に現れるとこっちはビビッちゃいますよ」

「これは失礼。ところであなた、今日は何の日かご存じですか」

 ぼくはテレビを指さした。

「紅白歌合戦をやってます。大晦日です」

「ではなぜお寺に行かないのです」

「なぜって・・・・・・もしかして除夜の鐘でもきにいけとおっしゃるのですか」

 お釈迦さまは静かに微笑んで頷いた。

「お見受けしたところ、あなたは煩悩のかたまりのようですね」

「はあ・・・(余計なお世話です)。ところで煩悩っていうのは108つもあるって本当ですか」

「いい質問です。ご説明いたしましょう」

 お釈迦さまが空間をなぞると、そこに黒板のようなものが現れた。

「人の感情を揺さぶるものは6つ・・・
見る(眼)、聞く(耳)、嗅ぐ(鼻)、味わう(舌)、触る(身)、感じる(意)。

そして感情の起伏が、快感(好)、不快(悪)、平常(平)の3つ。

さらに心に影響を与える環境が2つ。綺麗(浄)と汚い(染)。

最後に悩みを時元的に捉えると、現在過去未来の3つ。

以上の煩悩が組み合わさると、6×3×2×3で108になるのです」

「なるほど。それが鐘をくことによって消えると」

「いいえ。人の煩悩は決して消すことはできません。煩悩があるからこその人なのですから」

「じゃあ鐘をつく意味がないじゃないですか」

「あります」

 釈迦は手を合わせた。「権力美貌など、いくら欲しいものが手に入ったとしても、人は本当の意味で幸せにはなれません」

「それ、全部ぼくが欲しいものですけど」

外側がどんなに満たされても、人は幸せにはなれないのです」お釈迦さまは悲しい顔をした。「人が幸せになれない原因はあなた方の内側にあるのですから

「じゃあ結局どうすればいいのですか」

煩悩と折り合いをつけて上手につき合って行くことです。除夜の鐘は煩悩に満たされた心を一旦リセットして、その準備を整えるために行うものです。そうすればあなたは日々幸福で満たされることでしょう」

 そこまで言い終えると、お釈迦さまはまるでテレビのスイッチでも切ったかのように忽然こつぜんと姿を消した。

 夢だったのだろうか・・・・・・。

 そう言えば、年越し蕎麦が食べかけだった。ぼくは慌てて目の前のたぬき蕎麦をすすった。ん、たぬき?

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 ぼくはとりあえずお釈迦さまに言われたとおり、近くのお寺に除夜の鐘をきに行くことにした。除夜とは古い年が新しい年に押しのけられることなのだそうだ。ぼくは心の底に響く鐘の音を聞きながら清らかな気持ちになって帰宅した。

 翌朝ぼくは心も新たに、パチンコ屋に行って初打ちをした。すると昨日まで頭を悩ませていた昨年の負けをすっかり取り戻すことができたのだ。

 ぼくは思わず快哉かいさいを叫んでいた。

「さすが“豪玉知ったるだ”!」

 遠くでかすかに「ポーン」という、たぬきが腹鼓はらづつみをたたく音が聴こえたような気がした。

 あとがき

最後までご覧いただきましてありがとうございます。

この物語はフィクションです。

登場人物、団体などはすべて架空のものです。

まれに、似通った名称がございましても関係性はございません。

参考文献・サイト等

Science Potal China 宇宙でおなら、大爆発を引き起こす可能性も https://spc.jst.go.jp/news/120103/topic_4_03.html 参照日:2024.4.1

ウィキペディア ジョン・レノンの殺害 ja.wikipedia.org/wiki/ジョン・レノンの殺害 参照日:2024.4.1

amass ジョン・レノンの最後の言葉が新ドキュメンタリーで明らかに 射撃事件の目撃者が語る https://https://amass.jp 参照日:2024.4.1

ウィキペディア 赤穂事件 https://ja.wikipedia.org/wiki/赤穂事件 参照日:2024.4.3

和楽 忠臣蔵とは?あらすじや登場人物を徹底解説!なぜ赤穂浪士討ち入りを忠臣蔵と呼ぶのか https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock 参照日:2024.4.3

東洋経済 「忠臣蔵」の美談は、ほとんど大ウソだった! https://toyokeizai.net 参照日:2024.4.3

いい葬儀 除夜の鐘とは?人間の煩悩の数が108個といわれる由来とは? https://www.e-sogi.com 参照日:2024.4.5

ナレッジ!雑学 バミューダトライアングルノの真相【謎が解明】 https://nareji.com/bermuda-triangle 参照日:2024.5.9

ウィキペディア 辰野金吾 https://ja.wikipedia.org/wiki/辰野金吾 参照日:2024.4.10

love book  【悲報】遠距離恋愛で別れる確率80%!破局理由TOP8やタイミングを解説 https://lovebook.jp 参照日:2024.4.13

ごっこランドタイムス 面白い!うまい回文45選|長い・短い上から読んでも下から読んでも同じ言葉一覧 https:///gokkoland.com 参照日:2024.4.13

KOTONOHA ウェブ 【回文】短い・おもしろい・長い・すごい回文一覧 https://kotonohaweb.net/kaibun 参照日:2024.4.13

節約カルマ 回文151選、笑える回文、長い回文、面白い回文【逆から呼んでも同じ言葉】 https://setuyaku-up.com/asobi-kaibun 参照日:2024.4.13

good luck trip 東京スカイツリーと東京タワーを徹底比較!魅力的東京のシンボルはどっち? https://www.gltjp.com/ja/article/item/20230 参照日:2024.4.14

40代50代メンズ研究所 冬のデートスポットで「スケートデート」がおすすめな理由 https://shop.menz-style.com/blogs/college/fc-790 参照日:2024.4.15

ウィキペディア ボクシングデー https://ja.wikipedia.org/wiki/ボクシング・デー 参照日:2024.4.15

TABI CHANNEL 仲見世通りの見どこをを徹底解説!テイクアウトのグルメやお土産ショップも https://tabichannel.com/article/884/nakamise 参照日:2024.4.16

ウィキペディア エディット・ピアフ https://ja.wikipedia.org/wiki/エディット・ピアフ 参照日:2024.4.17 

ウィキペディア Louis Leplée https://fr.wikipedia.org/wiki/Louis_Leplée 参照日:2024.4.17

著者紹介
杉村 行俊

【出   身】静岡県焼津市
【好きな分野】推理小説
【好きな作家】夏目漱石
【好きな作品】三四郎
【趣   味】ゴルフ、楽器
【学   歴】大卒
【資   格】宅建士、ITパスポート、MOSマスター、情報処理2級、フォークリフト、将棋アマ3段
【創   作】365日の短編小説

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