7月の短編小説

7月の小説アイキャッチ 夏物語
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7月1日  童謡の日

「おい早智子(さちこ)。詩乃(しの)も今日で7歳になるんだな」

「そうねえ。ずいぶん大きくなったわねえ」

妻とわたしは感慨深げに娘の詩乃を見つめた。

7歳とはいえ、まだあどけなさが残っている可愛い娘だ。

「パパ。お祝いにどこか連れってくれる?詩乃、ディズニーランドがいいな」

「ディズニーランドかあ。今日はちょっと無理だよ。夏休みに入ったらみんなで行こうか」

「わーい。やったあ!」

「あなた、とりあえずお宮にお札を納めに行きましょうよ」

「うん。そうしようか」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

この街の天神さまは人里離れた山すそにあった。

道の両脇には夏草が生い茂り、風が吹くとさわさわと音を立てた。

神社へは曲がりくねった道が続いている。

「ここを入っていくのかな」

わたしたち親子三人は、細くなった道の曲がり角で立ち止まった。

目印なのだろうか、そこには小さなお地蔵さんが鎮座している。

わたしたちは細い路地の中に入って行った。

その時、どこからか声をかけられた。

「どこにおいでだね」

よく見ると道の先の路地に老婆がひとり、ぽつんと座っていた。

「天神さまはこの先でいいのですか」

わたしは老婆に訊ねた。

「御用がおありかえ。用がなければ、今日は通れませぬ」

「この子の七つのお祝いに、お札を納めに参ります」

早智子が娘の肩にやさしく手をかけて言った。

老婆は喉の奥で笑いをこらえるかのように言った。

「通るのかね、ここを・・・まあいいさ。どうぞ通りゃんせ」

わたしは妻と目を合わせた。

なんだろう、いったい。

「行きは良い良い。帰りは・・・どうなっても知らないよ。ひっひっひっひ」

「それじゃあ通ります」

わたしたちは憮然として老婆の前を通り過ぎた。

背中越しに老婆の声が聞こえた。

「帰りは怖いよ・・・怖いながらも・・・通りゃんせ。くっくっく。通りゃんせ・・・ひっひっひ」

わたしたちは肩を寄せ合いながら細く暗い道を登って行った。

「さっきのお婆さん、なんだったのかしら」

妻が震える声で言った。

「わからんよ。あんな気味の悪い婆さん、今まで見たことないぞ」

「パパ怖いよ」詩乃がしがみついてきた。

それでもなんとか神社の鳥居にたどり着くことができた。

「お札を納めて早くかえりましょう」と早智子が言った。

わたしたちは鳥居をくぐった。

とその時である。

頭上で大きな音がしてくす玉が割れた。

紙吹雪と色とりどりの紙テープが舞う。

「おめでとうございます!」

フラッシュが一斉に焚かれ、わたしたち親子は地元の新聞社や報道陣に取り囲まれていた。

「あなたは当天神さま、参拝100万人突破の参拝者になります」

わたしは唖然として妻と顔を見合わせた。

「どうぞ。ディズニーリゾート家族招待券と副賞の現金20万円が贈呈されます。今のお気持ちをお聞かせください」

詩乃が大喜びする

「ええ!ほんとう。やったあ!」

妻が言った。

「あの・・・幸せすぎて・・・」

わたしが言った。

「・・・正直、帰りが怖いです」

7月2日  うどんの日

「ねえ美代ちゃん。『日本三大うどん』て知ってるかい」

編集部の松山が同僚の美代子に訊いた。

「知ってるわよ。やや太麺でコシの強い、香川の『讃岐うどん』でしょ」

「あとふたつは」

「ええと、強いコシと弾力のある、群馬の『水沢うどん』」

「そうだ」

「それから・・・細くてツルツルしたのど越しの、秋田の『稲庭うどん』じゃない?」

「当たり。さすが食いしん坊の美代ちゃんだね」

「食いしん坊は余分です。わたし、食のレポートやってるんだから、それぐらいは当然ですよ」

「ほう、それじゃあ香川県がなぜ“うどん県”を名乗っているか知ってるかい」

「それは、うどん消費量日本一だからじゃないんですか。わたしの知っているひとなんか、うどんを食べない日はないみたいですよ」

「もちろんそれもある」

「飲んだ後の県民のシメが必ずうどんだからとか」

「それはちがうな」

「新築の家では風呂に入りながらうどんを食べる習慣があるからとか」

「ちがうよ」

「喫茶店でモーニングを頼むと、うどんが出て来る」

「まさか」

「香川県がうどん県を名乗ることについては、事前に県民にも知らされていなかったそうなんだ」

「本当ですか。そんなの許されるものでしょうか」

「さあね。でも本当の話らしいよ」

「なんか根深い話になりそうですね」

「そうでもないけど・・・そもそもうどんは誰が広めたか知ってる?」

「うどん屋さん?」

「香川県で生まれた空海っていうお坊さんらしいんだ」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「この子は天才だ」

幼少のころから真魚(まお=空海)はそう呼ばれていたという。

そしてその頃から仏の道を目指していたというから前世の因縁なのかもしれない。

泥で仏像を作っては、近所の子供たちを集めて拝んでいたという。

「仏門に入って人々を救いたい。叶うのならば命をお助け下さい。だめならこの命、仏様に差し上げます」

そう言って7歳の真魚は、なんと断崖絶壁から飛び降りてしまった。

「ちょっと坊や。なに無茶なことしてんのよ」

なんと空から天女が舞い降りて来て、真魚少年を助けてくれたという。

大人になり真魚は、公務員になるため奈良の大学に入学したが、「これで人を助けられるとは思えない」と大学も中退してしまった。
そこから山に入り、仏教の修行に入る。

ある日、室戸岬の洞穴で1日2万回、密教のお経を唱え、それを50日間続けるという修行を始めた。密教とは、仏教の秘密の教えのことである。

するといきなり明星が彼の口の中に入ってきて“宇宙とわたし達は一体である”ことを悟る。
その時彼の目に映ったものが、空と海であったので、それ以降、彼は空海(後の弘法大師)と名乗るようになった。

「本物の密教を学びたい。そうだ。遣唐使になって中国に渡ろう」

遣唐使の船団は4艘であった。
空海は第1艘、最澄が第2艘に乗り込んだ。残りの2艘は嵐で遭難してしまった。

この時、最澄は国費で通訳付きの遣学生(けんがくしょう)だったのに対し、空海は私費の留学生(ぐがくしょう)という立場だった。
最澄はエリート、空海は苦学生といったところだろうか。

そして遣学生の最澄は2年の留学期間で済むが、留学生の空海には20年の就学が義務とされていた。

中国本土にボロボロの船が到着したので、当初は彼らは海賊と間違えられてしまう。

「これをお役人に」書の達人でもあった空海が嘆願書をしたためた。

遣唐使長が中国の役人にそれを提出すると、その書の素晴らしさを観てようやく遣唐使であることを認めてくれたのだった。

「海賊にこんな書がかけるはずがない」というのが理由だった。

通訳を持たない空海にとって、密教を学ぶには、並行してサンスクリット語を習得する必要があった。

そこは天才の空海である。なんと半年で真言宗教を習得してしまう。

「この世にそんな人間がいるとは考えられない。一度ここに呼んで来なさい」

空海は密教の第七祖である青龍寺(しょうりゅうじ)の恵果和尚(けいかかしょう)のもとを訪ねることになる。

「おお。なんという・・・」
恵果は、空海を一目見ただけで雷に打たれたような衝撃を受けた。「空海よ。これよりお前はわたしの弟子である。仏の全てをお前に教えよう」

なんと会ったばかりの日本人に、密教の奥義をすべて授けようというのであった。

密教を完全に習得した空海は、20年の予定を2年に短縮して最澄と一緒に日本に帰国した。

「空海殿、日本に着いたら仏教のことで何かとご教授くださませんでしょうか」

完全習得の空海に対し、不完全習得の最澄が教えを乞うたのは当然なことである。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「その後空海と最澄は仲違いしちゃうんだけどね」

「天才とプライドの闘いってとこかしら」

「空海が唐から持ち帰ったのは仏教だけではないんだよ。建築、薬、絵画、そしてうどんの製法なんだ」

「でもどうしてうどんを広めたのかしら」

「香川県はもともと雨が少ない県なんだ。だから昔から米より麦を主体に作っていた。小麦粉に少量の塩水をくわえて作るうどんの製法を教えたら、故郷の人たちが助かると考えたのじゃないかな」

「ふうん。だから香川県はうどん県を名乗ることにしたのね」

「そういうことだな。あ、美代ちゃん。ちょうどお昼だ。うどんでも食うかい

「どうも話が長いと思ったら、ただそれが言いたかっただけなんでしょう」

7月3日  波の日

「優作。今日の波の状態はどうだい?」

ぼくはサーフィンをやり始めてようやくひと月になる。

今日は休みが取れたので、早朝から波のチェックに余念がないのだ。

「なに朝っぱらから。スマホで観りゃいいじゃねえか」

「ネットは確認したよ。でも生の情報が気になってさ」

「バカ野郎。おれはまだ寝てんだよ!」

電話を切られた。

友は海の見える場所に住んでいながら、サーフィンをほとんどやらない愚か者なのだ。

え、ぼくがチャラいだって?

とんでもない。

サーフィンは根性がなければできないスポーツなのだ。

まず、“ゲティングアウト”(岸から沖に向かってパドリング・・・いわゆるボードに腹ばいで手漕ぎ)するだけでも体力が必要になる。

そして次々と押し寄せて来る波を“ドルフィンスルー”と言って、ボードごと波の下を潜って行かなければならない。波の冷たい冬などはこれが結構つらいのだ。

次に沖に出て、いい波を捕まえたら“テイクオフ”(波に押されて板の上に立つ)する。
これには腹筋と背筋と瞬発力が必要になる。
上手にライディングするには、それなりの集中力と体幹の強さが必要だ。

これらはハーフマラソンを完走できるぐらいのスタミナと、アスリート並みの強靭な肉体が必要不可欠だ。
それをチャラ男ができるかと言えば、答えはNOだ。

華やかな外見ばかりを見てはいけない。その下の努力がいかなるものかを察知していただきたい。

しかたがない。ぼくは優作を起こしがてら、愛車のワーゲンにシングルフィンのロングボードを積んで家を後にした。

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「なんだまだ寝てたのか」

ぼくが優作の家に着いたときにはすでに朝日が昇っていた。

優作があくびをしながら起きてきた。

「どうでもいいけど、お前に波乗りなんか教えるんじゃなかったよ」

「サーフィンショップの店員がなにをほざく。モーニングでも食べに行こうぜ」

ぼくらは海の近くの喫茶店に入った。

オフショア(陸から海に吹く風)2mか。まあまあだな」

優作がフレンチトーストを口に含みながら言う。

「今日のスポットはどこがいいと思う」

「どこでもいいじゃん。この間と同じところがベストだろう。オーバーヘッドも期待できるかもよ」

「優作はやらないのか」

ぼくはコーヒーでトーストを流し込みながら言った。

「あとでちょっと顔を出すよ。あ、それから夕方新しい板が入るから、ちょっと乗ってみてくれないか」

「どんなボード?」

「ハーレー・ブッシュマンが出す、画期的な初心者練習ボードなんだとよ」

「いいとも。まあ、ぼくは初心者だし。お安い御用さ。無料で新しいボードに乗れるなんて友達がショップやってる特権だもんな」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

その日、ぼくは何度も波に乗った。

毎日電車でつり革につかまりもせず、バランスをとる練習をしているせいか、すこしずつだが体幹が鍛えられているような気がする。

初心者なのに、ロングボードを操っているのが恥ずかしいが、優作にタダでもらったのだから文句も言えない。

なるべく上級者の邪魔にならないように波乗りを楽しむのだ。とくにスキンヘッドのサーファーには近寄らないようにしている。

ぼくの場合、ようやく波に乗ったかと思ったらすぐに“ワイプアウト”(海に落っこちる)してしまう。
「おっかしいなあ」
ワイプアウトをする度に恥ずかしいので、フィンの向きをチェックする振りをしたりする。

ときどき子供たちも波乗りにやってくる。

余裕で波を譲ってやると、この子供がめちゃくちゃ上手かったりするのには舌を巻く。

夕方になってようやく優作がやってきた。

「おおい!これなんだけど」

ぼくはヘトヘトになりながら浜辺で待つ優作のところへパドリングして行った。

「これが新しいボードなの?」

「そうなんだ」

「何が違うんだよ」

「周囲の上級者の動きを感知して、同じようにライディングできる機能を持ち合わせているんだと」

「どういうこと」

「この専用ウェットスーツ、ブーツ、グローブ、アイガードを身に着ける。するとこのボードとシンクロする。アイガードで上級者がライディングするのを目で追うことによって、同じ動作が可能になる仕組みだ」

「マジか。すげーな。でももう夕方だからこれが今日最後のライディングになるぞ」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

ぼくは新しいボードを持ってゲディングアウトした。

波待ちをして、いくつかのセット(3、4本の波のうねり)をやり過ごす。

上級者がテイクオフするタイミングを図る。

この新製品がなぜ画期的なのか、それはサーフィンというスポーツの難しさに起因する。

まず、自然を相手にしているので、同じ波というものが2つと来ない。

波は高い、低い、速い、遅い、激しい、おだやかなど千差万別だ。

だからサーファーは毎回違う環境で波に乗ることになる。

よって他のスポーツのように、初心者だからといって一定の状況下でスロープレーで馴らさせることができないのだ。

初心者が上級者の技を極めるのは至難の業と言えよう。

だからこそサーフィンは最高に難しいがゆえに、最高に楽しいとも言えるスポーツとも言えるのだ。

このボードは初心者が上級者の身体の動きをコピーしてくれる機能を持っているという。

初心者なら誰しもが欲しがるボードになるだろう。

ぼくは夕暮れの中でボードに座り、誰かが波に乗るのをひたすら待った。

ただ待った。

いつまでも待った。

それでも待った。

そのうちに日が暮れた。

わたしのまわりには、同じようなサーファーがたくさんいた。

真っ暗な海の上で、お互い顔を見合わせ始めた。

そうか!みんなこの新しいボードのモニターだったのだ。

7月4日  シーザーサラダの日

「ほら、あれなんて言ったっけ?」

料理好きを自慢する男と食事をした。

「あれって」

「あれだよ。サラダ。イタリアの。なんかチーズっぽくて、クルトンとか入ってるやつ」

「シェフのおすすめサラダ?」

「もっと偉いひとの名前がついているやつさ」

「人の名前」

「ほら、あのローマの」

「まさかシーザーとか言うんじゃないだろうね」

「そう!それ、シーザーサラダ」

「言っとくけどあのシーザーは、ローマ帝国の将軍カエサルとは何の関係もないんだよ」

「カエサル?」

「Caesarを英語で読むとシーザーになるんだよ」

「へえそうなんだ」

「シーザーサラダのシーザーは、メキシコにある『シーザーズプレイス』というホテルのオーナー、シーザー・カルディが作ったサラダなんだよ」

「ほんとうに?」

「あり合わせの材料にパルメザンチーズとクルトンを合わせて出したら大評判になったんだそうだ」

「マジか。料理愛好家として恥ずかしい限りだ。頭を丸めて出直してくるよ」

「あ、それは正解だね。シーザーは髪の毛が薄かったから、坊主頭のことを“シーザーカット”って言うのだそうだ」

7月5日  ビキニスタイルの日

「全世界のみなさん。非常事態の発生です!」

「ご注意ください!」

「あっちにも現れました」

「こっちにも」

「これはえらいことになったな」

「おお神よ!」

「アーメン!」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

1940年夏のフランスでの出来事。

「母さん。仕事辞めてきたよ」

自動車整備士のルイ・レアールは帰宅するとため息をついた。

「辞めたんじゃなくてクビになったんでしょ」

母はいたって気丈にレアールを見返した。

「しょうがないわね。それじゃあ、明日からわたしの仕事を手伝いなさいな」

「ええ。ぼくに女性物の下着を売れっていうの?」

「そうよレアール。小さい頃からあなたにはファッションセンスがあるって思ってたの」

「まじですか」

「まじです」

母はおっかない目をしてレアールをにらみつけた。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

翌日からレアールは下着のセールスマンになった。

女性の下着を詰め込んだスーツケースをかかえ、セレブ(富裕層)のお宅を訪問して高級下着の販売をするのである。

「奥様。とってもお似合いですよ」

「あらそう。ちょっと派手じゃないかしら」

「とんでもない。奥さんの器量なら、どんなランジェリーも地味に見えてしまいますよ」

「あら、お口がおじょうずね。それじゃあ、これいただくわ」

レアールは思った。女性は常日頃から自分の身体を見せたがっている。

「むなしい・・・」

サントロペ海辺に車を止めて、レアールは何の気なしに海を眺めた。

青い空に、白い雲が浮かんでいる。

その下で、多くの人たちが海水浴を楽しんでいる。

浜辺では、日光浴をしている女性たちの姿もあった。

「ここでも身体を見せたいのかな・・・」

よく見ると、彼女たちは一様に水着の端をまくり上げて寝そべっている。

「いや、違う。彼女たちの水着は肌を隠し過ぎている。だからあれは単に綺麗に日焼けをしたいからに違いない」

レアールは家に帰ると、さっそく布面積の小さい水着の製作にとりかかった。

ところがそれより先に、ジャック・エイムというデザイナーが『アトム』という名前の水着を発表してしまった。

アトムはこれ以上分割できない分子で、世界最小の水着を表現したものだという。

「くそ!先を越されてしまった」

レアールは悔しがった。

ただし、アトムはヘソまでは露出していない水着であった。

そこでレアールは、小さな30平方センチメートルしかない三角形の布4枚を、ひもで繋いだだけの水着を開発した。

この水着の謳い文句は『世界最小の水着よりも小さい水着』という皮肉なものだった。

宣伝のために着用してくれるモデルも探した。

「無理!」すべてのモデルがこの小さな水着を一目見て拒否したという。

そこで仕方なく当時18歳だったミシュリヌ・ベルナルディーニという名のヌード・モデルを起用することにした。

事件が起きたのは発表会の直前だった。

アメリカが太平洋の美しいビキニ環礁(リング状の珊瑚礁)で、水爆実験を行ない、世界中にショックを与えてしまったのだ。

「これだ!」

レアールは叫んだ。

「どうしたの?」モデルのベルナルディーニが訝しげにレアールを見た。

「この新しい水着の名前だよ。これは世界中にショックを与える威力があるはずだ。だから『ビキニ』という名前で売り出すことにする」

ビキニは大反響を呼んだ。

しかし、その甘美なスタイルは保守的な人々からは受け入れられず、公のビーチでの着用禁止令が出されてしまう。

それにもかかわらず、モデルのベルナルディーニには5万通を上回るファンレターが連日届いた。

世界で初めてビキニを着用した彼女は、その後アメリカに渡り、有名な映画俳優にのし上がったのだった。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

人々の頭の中にはその後もビキニスタイルの衝撃が、水爆の放射能のように燻(くすぶ)り続けた。

そして20年後、ようやくビキニ禁止令が解かれることになる。

20年の間、蓄積されていたビキニのエネルギーが、世界各国の浜辺で爆発した。

「全世界のみなさん。非常事態の発生です!」

「ご注意ください!」

「あっちにも現れました」

「こっちにも」

「これはえらいことになったな」

「おお神よ!」

「アーメン!」

「これはまるでゴジラでも現れたかのような騒ぎです!」

7月6日  零戦記念日

「堀越先生。気がついたらぼくはゼロ戦のパイロットになっていたのです」

「零式艦上戦闘機のことですか」

「そうです。先生はあの戦闘機を設計されたそうですね。どうやって作られたのですか」

「話せば長くなりますが・・・」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「戦闘能力に優れ、スピードが速く、運動性能が傑出していて、航続距離が長い戦闘機の開発をお願いしたい」

海軍の出した要請は無理難題そのものだった。

「せめてその中での優先順位を教えていただけませんか」

堀越二郎は問いかけた。

「空中戦で負けない性能が第一だ」

「いや戦闘能力はパイロットの腕でカバーできる。爆撃機の援護が最優先。航続距離が必要だ」

「敵を逃がさない速度が一番。そして、一発で仕留める武器が必要だ」

このように、海軍の各部署ごとに優先順位の思惑が違うのだった。

堀越はエンジニアたちに言った。

「これは徹底した軽量化を図るしかないな」

「しかし、そんなことをしたら機体の防御力が低下してしまいます」

若きエンジニアたちは反対だった。

「いまゼロ戦に搭載できるエンジンは他国にくらべると出力が低い。苦渋の選択だよ」

「それに、軽さと引き換えに、パイロットが危険にさらされますよ」

「パイロットの腕でカバーしてもらうしかないんだ。要は敵の玉が当たらないぐらいに速い飛行機を作ったら問題ないだろう」

「なぜ航続距離がそんなに必要なんですか」

「日本が海に浮かぶ島国だからだ。中国本土を攻撃する爆撃機の援護が必要なんだよ」

防弾ガラスはもとより、防弾用の鉄板はすべて取り払われ、機体の鉄板も薄くした。

「そうだ、あと20mmの機関砲を搭載しよう」

「アメリカの戦闘機でさえ標準が7.7mmですよ。せめて12.7mm砲で充分ではないでしょうか」

「あの速いアメリカの攻撃機には、一撃必殺の武器が必要なのだ」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「それでぼくは、颯爽とゼロ戦に乗り込み、日中戦争に加わったんです」

「初陣だね」

「はい」

「それで、戦果はどうだった」

「33機の敵機に対し、13機のゼロ戦で闘ったのですが、相手は全滅。わがゼロ戦はほぼ無傷の大勝利に終わりました」

「そうか。それはよかった」

「その後、ゼロ戦が圧倒的に強かったので、世間では『ゼロファイター』と言われて恐れられたんです」

「ほう」

「アメリカなんかは空軍に対して、ゼロ戦とは闘うべからずという御触れを出したほどなんですよ」

「向かうところ敵なしだな」

「ところがですよ先生。敵も猿もの引っ掻くもの」

「なんだね」

「アラスカとロシアの間にある、アリューシャ列島に不時着したゼロ戦を、アメリカ軍が回収しちゃったんですよ。まるでロズウェルに落ちたUFOみたいに」

「それで」

「徹底的に研究し尽くされて、ゼロ戦の弱点の右旋回と急降下に弱いってことがバレちゃったんですよ」

「ふむふむ」

「それでこの体(てい)たらくってわけなんです」

「どうでもいいけどね。いくら君が『ゼロファイター』だかといって、わたしのテストで0点が許されると思ったら大間違いだからな」

「やっぱり」

7月7日  七夕・カルピスの日

「織姫(おりひめ)どの!」

「彦星(ひこぼし)さま!」

ふたりは天の川を渡って抱き合った。

「逢いたかったよ」

「逢いたかったわ」

彦星と織姫はお互いのくちびるにくちびるを重ねた。

楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうもの。

「なぜだろう。こんなに愛しているのに。きみなしでは生きていけないのに・・・」

「彦星さま。あなたを失うくらいなら・・・」

「織姫どの。あなたと逢えなくなるぐらいなら・・・」

「いっそ、この川に・・・」

「身を投じよう。天国に行ってもこの手は絶対に離さないからね!」

そう言うと、織姫と彦星は手と手をつなぎ、天の川に飛び込むのであった。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

彦星は熱心に牛追いの仕事をする誠実な若者であった。

そんな彦星を見て、神様が言った。

「彦星よ。お前は仕事熱心ないい男だ。一度家に遊びに来なさい」

彦星はさわやかな笑顔で答えた。

「神様。よろしいのでございますか」

「もちろんだとも。家にも織姫という働き者の娘がおるのだ。紹介しよう」

「ありがとうございます」

翌日、彦星は神さまの家を訪れた。

そこには美しい女性が待っていた。

「おお、やって来たな。これがわたしの娘の織姫だ。一日中機織りばかりしている機織りの虫でな。たまにはお前のような男と遊ぶのも必要だろうと思っていたのだ」

一目惚れだった。

ふたりはあっと言う間に親しくなり、結婚を誓い合う間柄となった。

夫婦になると二人は仕事もせずに、毎日イチャイチャと堕落した生活をし始めた。

それを見て神さまはため息をついた。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

彦星が川から上がると、向こう岸でも見知らぬ女性が川から上がってくるのが見えた。

「誰だろう?」

彦星は一瞬思ったが、すぐに別のことを思い出した。

「そうだ。今日は牛を牧草地に連れて行かなくてはならないのだ」

織姫は家に戻った。

「おお、織姫どこに行っておったのだ」

「もう暑くて。川で水浴びをして参りました」

「もっと遊んでくればよかったのに」

「まだ機織りの仕事が残っていますから。もうすぐお父様の浴衣が完成するのよ」

織姫は冷蔵庫からカルピスを出してきた。

「いくら好きなものでも、ほどほどということを忘れてはいけないよ」

「はいはい、お父様」

織姫はカルピスを薄めながら答えた。

天の川の水は神さまが作った魔法の水で満たされていた。

それを飲むと、好きな異性をぴったり364日の間忘れてしまうというのだ。

7月8日  ナンパの日

「いい麻由。あなたはナンパされやすいタイプだからね。気をつけるのよ」

と親友の恵梨香が麻由を戒(いまし)めた。

「あたしってナンパされやすいのかしら?どうして」

「いつも道の隅をおっとり歩いているでしょ。それでいてキョロキョロ周りを見てるし」

「だって、なにか面白いものがあるかもしれないじゃない」

「それにその地味な服」

恵梨香は麻由の黒いスカートに白いブラウス姿を眺める。

「まじめな女子大生っていう感じ・・・だけど、靴のヒールがすり減ってる」

「男の子って、そんなとこを見るの?」

「そうよ。彼氏がいなさそうで、ちょっとだらしなさそうな女の子は格好の餌食だよ」

「そうかなあ。恵梨香の方がガンガンにナンパされそうに見えるけど」

「そう思うでしょ。あたしみたいな派手な女子は、最初から彼氏がいると思われて手を出して来ないんだよ」

「ふうん」

「ちょっと、そこの彼女」

その時、若い男の声がした。

「こっちに来ない?」

振り向くと、屈強な若者が二人、恵梨香と麻由の方を見ている。

「どうする?」

麻由が恵梨香の顔を見る。

「ああいうのタイプなの?行ってもいいけど、最初は連絡先を教えるぐらいにしておきなよ」

「わかった」

「絶対最後まで行ったらだめだからね。よく相手を見極めることが大切なんだから」

「あのう。ごちゃごちゃ言ってないでこっちに来たら」

「うるさいわね。放っといてよ!」

「いいけど・・・この船そろそろ沈むよ。救命ボートに移った方がいいんじゃないかなあ。ぼくたち嵐で難破してんだからさ」

7月9日  ジェットコースターの日

「社長。閉鎖後の遊園地なんて使い道がありませんよ」

建設会社の社員が途方にくれて社長に泣きついた。

昨年、大手娯楽施設が誕生したおかげで、いままで都心にあって好評を得ていた地元の遊園地が経営危機に陥ってしまったのだ。

「君島くん。心配するな。わたしに考えがある」

「ほんとうですか!」

「ここにジェットコースター付のマンションを建てる」

「ジェットコースターを残すということですか」

「そうだ。幸いにも近隣に〇×遊園地駅というのがあるだろう」

「はあ、でもこの遊園地はなくなってしまいますけど」

「このマンションからその駅をジェットコースターで繋ぐのだ」

「それって・・・」

「ジェットコースターファンはこの世にいくらでもいる。毎日通勤・通学でジェットコースターに乗って最寄りの駅まで行き帰りを往復できるなんて夢物語りだぞ」

「すごいです。それは受けますね」

「だろう。わっはっはっは」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

ジェットコースター付マンションは大好評の内に完売した。

このマンションに住んでからというもの、不登校やひきこもりの学生がいなくなったという。

また、会社でどんなにいじめられても、家に帰るまでにストレス発散できるというのが評判になったのだ。

その年のクリスマスの夜であった。

君島社員から社長に電話が入った。

「社長。マンションのあちこちで悲鳴があがっているそうですが」

「なにがあったのだ」

「どうやら、みなさん家に着くまでに購入したクリスマスケーキがぐちゃぐちゃになってしまうようです」

「それは自己責任だ。放っておけ」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

翌年、転居者が現れはじめた。

「君島くん。どういうことだね」

「それがその・・・。妊娠された奥様たちが、ジェットコースターに乗れなくなったということで不満がでまして」

「なんということだ」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

数年後。

「社長。数年前に退去されたご家族がぞくぞくとマンションに戻ってきています」

「今度はなにがあったのかね」

「生まれたこどもがジェットコースターに乗りたがっているからだそうです」

「身長制限はクリアできているのかね」

「もちろんです」

「こうなることは分かっていたよ」

「さすが社長。先見の明がおありだ。いったいどうしてですか」

「ジェットコースターだけに、評判が上がったり下がったりするのはつきものだからだよ」

7月10日 ウルトラマンの日

「ベムラー逃走中。宇宙警備隊に告ぐ。追跡を開始せよ」

M78星雲の光の国からウルトラマンに対して出動命令が発令された。

「父さん。行って参ります」

「うむ」ウルトラの父、ケンが頷いた。

「気をつけるのよ」ウルトラの母のマリーが優しく声を掛けた。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

怪獣ベムラーは青い球体となって小さな青い星に突入して行った。

「あれはどうやら地球という星らしい」

赤い球体となったウルトラマンは、青い球体にぴったり追尾していた。

そのとき横から小型のジェット機のようなものが現れた。

「ちょっと待て!」

小型ジェットビートルと赤い球体が衝突事故を起こしてしまったのだ。

「やっちまった」

ビートルの乗組員は即死だった。

「悪い。ごめん。どうやらこの人も平和を守る仕事をしていたようだな。父さん聞こえる?事故を起こしてしまったよ」

“ケンだ。状況は分かった。これはお前の責任だ。その男を助けてやりなさい”

「了解です。しばらく星には帰れなくなりますがよろしくお願いします」

“宇宙警備隊には報告を入れておくから心配するな”

ウルトラマンは自分の命を死んだ男に分けて与えた。

すでに死んでいた25歳の身体の中に、2万歳のウルトラマンの魂が注入されたのである。

ここからウルトラマンと怪獣たちの長い死闘が始まったのであった。

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男の名前はハヤタと言った。

ハヤタ隊員の身体を借りたウルトラマンは、人間の映画が大好きだった。

その日もジェームズデーンの『理由なき反抗』を観た。

「おお!かっこいいじゃないか。これで行こう」

怪獣と闘うときの前傾するファイティングポーズをジミーからパクったのだった。

ハヤタは怪獣が出ると、急いで隠れるもの影を探した。

ウルトラマンに変身するためだ。

テレビでは映せなかったが、その場で全裸になってからベータカプセルを点火した。

そうでないと、40メートルのウルトラマンに変身したときに服がすべて破けてしまうからである。

ウルトラマンは言葉を話せない。

発するのは掛け声だけである。

だから彼は身振り手振りで意思疎通を図るしかなかったのだ。

「手話!」

7月11日 ラーメンの日

「タケシお願いがあります」

海外から留学してきたキャサリンがぼくに言った。

「日本のラーメンを食べに連れてってください」

彼女は日本文化にとても興味を持っていて、いろいろな事をぼくに訊いて来るのだ。

「いいよ。どんなラーメンが食べたいの?」

「どんなラーメンがありますか」

「味で言うと、醤油、塩、味噌、豚骨。豚骨醤油っていうのもあるけど」

「タケシの好きなのはどれですか」

「どれもみんな好きだよ。でも最初に食べるのであれば、オーソドックスな醤油の中華そばがいいんじゃないかな」

「OK。それでいいです。レッツゴーです!」

キャサリンはぼくの腕を取って歩き出した。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「ヘイいらっしゃい!」

ぼくは馴染みの大将のいる店に入って、中華そばをふたつ注文した。

「武ちゃん。今日はまたインターナショナルだね」

大将が軽口をたたくのでぼくは苦笑してしまった。

「大将、うまいラーメン頼むよ」

「うちのラーメンがまずかった試しがあるかよ」

運ばれてきたラーメンを観て、キャサリンは目を輝かせた。

「カップに入っていないラーメン初めて食べます。おいしそうです」

「そうなの」

「食べ方を教えてください」

ぼくは知っている限りのラーメンの食べ方を教えてあげることにした。

「まず麺に髪の毛が入らないように、縛った方がいいよ」

キャサリンはバックからシュシュを取り出した。

「これでいいですか」

「オーケー。これは林家木久蔵というラーメン好きな落語家さんが教えてくれた食べ方なんだけど」

「いまは木久扇さんですね」

「そうそう。良く知ってるね」

「日本のアニメと落語大好きです」

「彼が言うには、まずはスープを味わう」

「このスプーンで飲めばいいのですか」

「そうだよ。それレンゲっていうんだ」

「おいしいです」

「次に麺を食べるんだけど、嚙み切らないくてもいいように、量を調節しながら食べるんだ」

「フォークとかいる?」と大将が見かねて声をかけたくれた。

「箸使えます。だいじょうぶです」

キャサリンは音をたてないように麺を食べ始めた。

「麺類は音をたてていい食べ物なんだ。こうやって」ぼくはズズーっと音を立てて麺をすすった。

キャサリンも真似てみたが、これは結構難しいようだった。

彼女にとってはスパゲティのように麺をレンゲに丸めて食べる方が楽らしい。

「麺、スープ、具材を順番に食べて行って、最後にちょうどすべてがなくなるように食べるのが喜久蔵流の食べ方なんだよ。ほらね」

ぼくは空になったどんぶりをキャサリンに見せた。

そしてどんぶりを逆さまにしてテーブルに置いた。

「これは“伏せ丼”っていってね。ラーメン愛好家で流行っている『全部いただきました』っていう、大将への感謝の気持ちを形にした儀式なんだよ」

キャサリンの目が点になっている。

「タケシ。それはいけない習慣です。大将の後片付けが大変になります。やめた方がいいです」

ぼくは苦笑いした。たしかにそうかもしれない。

ぼくらは会計を済ませて店を出た。

すると大将が後を追いかけて来て、両手でキャサリンの手を握った。

「キャサリンさんだっけ・・・どうもありがとう。おれもよっぽど言いたかったんだけどよ、あんたが言ってくれたおかげで胸がスッとしたよ。また来てよ、今度はおれが奢るからさ」

「ぜひまた食べに来ます」彼女は屈託なく笑った。

帰り道、キャサリンはぼくに言った。

「いつもいろいろ教えてくれて、本当にありがとうございます」

「いいえ、どういたしまして」

「なにかお礼がしたいんだけど・・・」

「そうだなあ、今度はキャサリンのことをもっと教えてほしいな」

「それでは・・・」

キャサリンがぼくの頬にそっとキスをした。「これは授業料の手付として」

「本格的授業は?」

「バカね。お家に帰ってからのお楽しみ」

7月12日 洋食器の日

「ようこそわが家へ」

わたしはその日、フランスの料理家ジャン・ファルメール邸にお邪魔していた。

「和食器と洋食器の違いを知っているかね」

ジャンは私に唐突に質問を浴びせてきた。

わたしは雑誌のコラム記事の取材できていたのだが、正直いって料理の知識はゼロに等しい。

そこで、昔フランスでお世話になったシェフに、料理についての知識を取材させてもらうことにしたのだ。

「和食器は和風で、洋食器は洋風な柄がついてるとか」

「ははは」

ジャンがおかしそうに笑いだす。

「いいかい、世界で日本ぐらい独特な食文化を持っている国もめずらしいんだぞ」

「どういうことです。箸を使って食べるってことかしら?」

「いいや。中国や韓国でも箸は使う。でも決定的に違うのは、器を手で持って食べるという習慣だよ」

「え?」

「中国だろうと韓国だろうと、料理の器は置いて食べるのが普通なのだ。ご飯の入った茶碗を手に持って食べたり、味噌汁のお椀を手に掲げて飲んだりするのは日本独特な文化と言えるだろうな」

「そうですか。普段やっていることだから、まったく気がつかなかったわ」

「手で持ち上げて食べるから、和食器はなるべく薄くて軽いものが多い」

「たしかにそうですね」

「洋食器はテーブルに置いて鋭利なナイフやフォークを使う。だから傷がついたり動かないように、固くて重い陶器の食器が多いのさ」

「すごいですね。そこまで考えてあったなんて」

「和食器は持ち上げて使うから、食器の内側や、側面に装飾が施されている場合が多いだろ。内側は自分、外側は周囲の人間に見てもらうためにね」

ジャンはコーヒーカップを目の高さまで持ち上げて言った。「だから洋食器でも、カップは綺麗な装飾が施されている」

「なるほど。本当ですね」

わたしはコーヒーを口に運んだ。口紅がコーヒーカップについた。

ふくよかで芳醇な香りが漂っている。

「それではなぜ、洋食器の皿が白いものが多いと思う?」

「洗ったときに、汚れがよく見えるようにとか」

「まあ、それもあるかもしれない。でも本当のところはそうじゃない。洋食器はテーブルに置いて使うものだろう。食べる人の目線は上から下だ。我々シェフにとっては、あの白い皿は画家のキャンパスと同じなんだよ」

「あっそうか。だからフランス料理なんかは色とりどりのソースなんかで皿を飾り付けるんですね」

「正解。料理の盛り付けだってそうだ。料理はアートなんだよ」

「ジャン。今日は本当に勉強になりました。どうもありがとう」

その時、玄関のドアが勢いよく開いた。

「ジャン。あんたまた浮気したのね!」

真っ赤な顔をした奥さんのシャルロットが現れた。

重い皿がわたし達の頭上をかすめて飛んできた。

壁に激突した皿が、派手な音を立て粉々に飛び散った。

わたしとジャンは頭をかかえて、一目散に裏口に走った。

第二の皿が手榴弾のように足元で砕け散る。

ジャンが走りながらわたしに言った。

「白い皿を選ぶもうひとつの理由がこれだ。損害が少なくて済む」

7月13日 オカルト記念日

 わたしには同い年の彼氏がいる。

見ためが可愛くて、やさしい。性格はいたって明るくていつも元気。

でもひとつだけ欠点がある。

彼はオカルト好きなのだ。

ちなみにホラーとオカルトは微妙にニュアンスが違う。

ホラーは怖いものに襲われて命の危険を感じるもので、オカルトは魔訶不思議なものに恐怖や不安を感じるものだという。

「ね。なに見てるの」

デートの最中、彼は空を見上げることが多い。

「UFOが飛んでいないかと思って」

「そんなもの飛んでるわけないじゃないの」

「わからないよ。ぼくらには見えないだけなのかもしれない。テレビであんなに映像が紹介されているんだからさ」

「ばかねえ。あんなのインチキに決まってるでしょう」

「そうかなあ。この本には存在するって書いてあるけどなあ」

彼の愛読書月刊誌の『ムー』だった。

「そんな雑誌ばっかり読んでるからへんな事ばっかり考えるんだよ」

「あいちゃん、今日は泊まっていけるんだろ」

「いいけど・・・」

「いいもの作ったんだ」

嫌な予感がした。

「なによ、いいものって」

「それは行ってからのお楽しみさ」

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彼の部屋に入ると、そこには段ボールで作ったのだろう、部屋いっぱいにピラミッドが出来上がっていた。

「なによこれ」

「この中に入ると、ピラミッド・パワーがみなぎるって本に書いてあったのさ」

「ばかじゃない」

「この中の食品は腐らないって言うし、いつか宇宙人と交信できるかもしれない」

「キミってひま人だね」

「あ、ピラミッド・パワーがみなぎってきた」

そう言うと、彼はぎゅっとわたしを抱きしめた。

彼がわたしの胸を見つめる。

「それにしてもだいじょうぶかなあ・・・」

「なにが」と、上気した顔を上げてわたしが訊いた。

「キャトルミューティレーション」

「ホルスタインじゃねーわ!」

7月14日 ひまわりの日

“みなさんのために、南フランスのアルルに黄色い家を借りました。
ここはフランスの日本です。さあ、一緒に真の芸術を探求しようではありませんか”

ゴッホから送られた手紙の内容である。

ところが受け取った画家たちは、一様に嫌な顔をした。

「いい人なんだけど・・・一緒に住むとなるとちょっとね」

「おれ達が彼をそんなに好いていると思っているのかな・・・思い込みが過ぎるよ」

「いままで一枚だって自分の絵が売れたことなんかないじゃないか。よくそれで芸術家を気取れるよな」

「ところで、なんでアルルがフランスの日本なんだ?」

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当時ゴッホはパリで浮世絵を観て、すっかり日本に陶酔してしまっていた。

そして、日本の画家はひとつ屋根の下で共同生活を送りながら絵を描いていると思い込んでいた。

どうやら漫画家の手塚治虫が、トキワ荘というアパートで赤塚不二夫や石ノ森章太郎などと共同生活をしていたのを誰かに聞き、聞違えて覚えてしまったのだろう。

「今、みなさんのために、食堂にひまわりの絵を描いて飾ろうと思っています。ひまわりは、太陽に向かって顔を向け続ける。ぼくらもひとつの目標に向かって芸術を昇華させるのです」

ゴッホは12枚のひまわりの絵を描く計画を立てていた。

しかし彼の招集に応える者はひとりとしていなかった。

「・・・おかしいな。誰も引越して来ないな。いったいどうなってるんだろう」

すっかり落ち込んだゴッホは、弟でスポンサーのテオに泣きついた。

この黄色い家も、テオが出資して借りた家なのだ。

「兄さん。ちょっと待っててよ。ゴーギャンに掛け合ってみるからさ」

当時ゴーギャンは娼家通いで金を使い果たしていた。

「ゴーギャンさん、お願いですから」

「いや・・・ゴッホは悪いやつではない。絵の才能は認める。でも一緒に住むのはカンベンしてくれ」

「必要な資金は援助させていただきます」

「知ってるだろう。あいつは一度癇癪を起すと手がつけられないんだ」

「そこをなんとか・・・ゴーギャンさんの描いた絵はすべてこちらで購入させていただきますから」

画商に勤めていたテオはゴーギャンを口説き落とすのに必死だった。

「本当かね。そこまで言うのなら」

ゴーギャンは渋々オーケーしたのであった。

ところが同居して1ケ月もすると、大喜びしていたゴッホとゴーギャンの仲がギクシャクしはじめる。

ゴッホの部屋があまりにも汚かったことと、料理が不味すぎたこと、ストーカーの様に常にゴーギャンの生活をゴッホが見張っていることが原因だった。

そして二人の共同生活は2ケ月後のクリスマスイブにとうとう破綻をきたしたのである。

いざこざは、ゴーギャンが描いた『ひまわりを描くファン・ゴッホの肖像』が発端になった。

「ぼくはこんな耳をしているかな」

「なんで。こんな耳じゃないか」

「いや、ぼくはこんな耳をしていないよ」

「どこがおかしいのだ。この絵の通りじゃないか」

「ゴーギャン。目はちゃんとついているのか」

「ゴッホ。お前の頭は正常なのか」

口論の末、ゴーギャンは黄色い家を飛び出した。

ゴーギャンはムシャクシャしたときには、いつも娼家に娼婦を買いに行くのだ。

「行くのか」ゴッホはゴーギャンに対してこの家を出ていくのかと訊くつもりだった。

「行くよ」ゴーギャンは娼婦に会いに行くと答えたつもりだった。

ゴッホはひとり部屋にこもり、相変わらずひまわりの絵を描こうとしたが、感情がたかぶりすぎていた。

洗面台からカミソリを持ち出すと、鏡に向かって自分の左耳にカミソリの刃を当てた。

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「こんばんは」

「はい。どちらさま」

娼家に大きなベレー帽を被ったゴッホが現れた。

「これを届けにきました。ぼくのことを忘れないでいて欲しい」

そう言うと、ドア越しに出て来た娼婦に紙包みを渡して去ってしまった。

娼婦が包を開けると、血だらけの耳が入っていた。

クリスマスイブの夜空に悲鳴が轟いた。

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ゴッホは精神病院に送られた。

その後も入退院を繰り返しながら、ゴッホは絵を描き続けた。

空が渦巻状だったり、壁が折れ曲がったり、木が曲がりくねって描かれたゴッホの絵を評価するものは誰もいなかった。

ゴッホの生涯で売れた絵は『赤い葡萄畑』一枚きりだった。

彼の絵が1枚数億単位の値がついたのは彼の死後、だいぶ経ってからの話である。

「あれが時代を先取りした前衛的な絵画だって?」天国からゴッホの声が聞こえてきそうである。

「ぼくはただ正確に描いただけだよ。ぼくの目にはあの絵の通りにしか見えなかったんだ」

7月15日 ファミコンの日

「だめよ。ゲームは30分だけって約束でしょう」

1983年(昭和58年)『ファミリーコンピュータ』が発売された。

コンピュータとは言っても、ただのテレビゲーム機だ。しかし、これにより当時の子供達の遊びの形が変わってしまったと言っても過言ではない。

「あと少し」

「だめよ。1日30分だけの約束でしょう」

「だけど、もう少しでクリアなんだよ」

「いいからやめなさい!」

無情にも電源を切られてしまった。

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「あなたがあんな物を買い与えるからいけないのよ」

妻が夫を責めた。

「だからって、いきなり電源を切ることないだろう」

「ああでもしないとあの子は言うことを聞かないの」

「かわいそうになあ。すこしは子供の身になって考えろよ」

かつてインベーダーゲームで100円玉を積み上げて遊んでいた経済学者の夫は、ファミコンがいかに経済的であるかということを力説した。

たしかにゲームセンターに入り浸られることを考えれば、目の届く範囲で遊んでくれるのも親にとって安心ではある。

だからと言って、親として子供に無尽蔵にテレビゲームをやらせておくわけには行かないのだ。

妻は言った。

「ちょっと浩、こっちに来なさい」

「なに」

「いいから・・・」

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「あと少し」

「だめ。30分だけの約束でしょう」

「もう少しでボスを倒せるから」

「ひどいやママ。ちょっとだけ貸してっていうから使わせてあげたのに」

「いいじゃない、ケチ!」

7月16日 からしの日

「店長って、いつもエレガントですよね」

「エレガント?」

「洗練されてるっていう意味です」

「そうかしら」

わたしは白金でセレブ向けのブティックを経営している。

最近アルバイトで雇った富美子は、地方から出て来たばかりの女子大生だ。

「あたしって、田舎から出て来たばかりじゃないですかぁ。店長みたいにかっこよくなりたいんですよね」

10年早いわ・・・と心のなかでつぶやいたが、笑顔は忘れなかった。

「そんなことないわよ。富美ちゃんだってスタイルはいいし、センスも悪くないと思うわよ」

「だっていつも黒ばっかりなんです」

なるほど、たしかに富美子は面接のときから黒い服しか身に着けていなかった印象がある。

「黒イコール大人っていう感じでごまかしちゃうんですよね」

「そうねえ。たしか富美ちゃん、今日のお昼にホットドック食べてたわよね」

「あれ、ばれちゃいました。あたしああいうジャンキーなフードが大好きなんです」

富美子は顔を赤らめた。

「質素な昼食っていう意味じゃないわよ。ホットドッグに何をつけて食べるの」

「マスタードとケチャップです」

「そうよね。まずはからし色を取り入れたらどうかしら」

「からし色って、あの黄色ですか?」

「そうよ。からし色は“落ち着き”、“品の良さ”、“暖かみ”、“渋さ”、“和のテイスト”なんかを表現できるのよ。トップスやマフラーに取り入れたら、顔の周りをパッと華やかに見せてくれる効果があるし」

「そうなんですか」

「ボトムスの場合には目立つ色だから、体形をカバーできるふわっとしたスカートなんかがお勧めね」

「わかりました。ありがとうございます」

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翌日。

「富美ちゃん・・・たしかに言ったわよ」

店長は出勤してきた富美子を見て言った。

「でもね、髪の毛をからし色にして来いとはひとことも言った覚えがないわ」

7月17日 世界絵文字デー

「いまどこc(^o^)?」

「ごめんなさい。ちょっと遅れてて
・゚・(p´Д`q)・゚・」

「c(´∀`)ノだいじょうぶだよ。
(^▽^)ゆっくりおいでよ」

「(≧▽≦)ありがとう。はじめてのデートだから緊張しちゃって
((((o゚▽゚)o))) ドキドキ♪」

「(´~`ヾ) わかるわかる。
なんせ出会い系サイト(o ^-^)oo(^-^ o )で知り合ったんだもんね」

「(*゚∀゚*)わたしのこと、見てわかるかな」

「(*´∇`)ノだいじょうぶだよ。画像見てるし」

「(゚∇^*)ちょい修正入ってるかもよ」

「w( ̄Д ̄;)wまじですか」

「(*'∇')うそぴょ~ん」

「(゚ーÅ)よかったでげす」

「あ、いま時間があるからホントのこと話すね☆^∇゜)」

「(・∀・)??なんでしょう」

「(*´∇`)ノ実はわたし、ひとりっ娘じゃないの」

「(・_・)兄弟がいるとか?」

「姉がいたんだけど、去年亡くなっちゃたの(╥_╥)」

「なんと悲しい。なぐさめてあげよう
(*´ノ0`)」

「(´口`)ありがとうございます」

「o(;△;)oご病気ですか。それとも事故とか」

「いいえ。男にだまされて・・・自分で・゚・(ノД`;)・゚・」

「w( ̄Д ̄;)wそれはヒドイですね。お察しします」

「その相手がホストやってる男で(b’A’)。源氏名がヒロっていうんですって(’▽’) 」

「(o;TωT)o”偶然だな。じつはぼくもヒロっていうんだよね(^ ^;」

「(*´∀)ノですよね。
それで、左手の甲にネコ(=^・^=)の入れ墨があるっていうのよ
(^▼^)/」

「ヾ(゚д゚;) あの。そうなの。
あれ・・・ちょっと用事思い出しちゃった。
また今度会うことにしない?
(((p´Д)゚o。」

「実はもう後ろにいるんですけど
(°言°)」

「(((;゚;Д;゚;)))」

7月18日 光化学スモッグの日

「先ほど、東京都新宿区一帯に光化学スモッグが発生いたしました」

午前11時30分である。一斉に緊急放送が流れた。

「安全のため、外出を控えてください。外出している方は、すぐに近くの建物に避難するようお願いいたします。繰り返します・・・」

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光化学スモッグとは、自動車の排気ガスや工場から排出される窒素酸化物などが、太陽の紫外線を受けて有害ガスに変化するものである。

症状としては、目の痛み、頭痛、めまい、呼吸困難、手足のしびれなど、健康に著しく影響が出る恐れがある。

「どこの発令だ」

気象庁の猪田局長が課員の篠宮に訊ねた。

「わかりません」と篠宮が困った顔で返答する。

「東京都庁ではないというのか」

「そうです。どうやら個人が報道しているようです」

「そんな馬鹿な・・・」

そこへ電話が入った。

「局長。住民からで、不審な車輛がなにやら黄色い煙を吐き散らしながら走行しているのを目撃したとの情報がはいりました!」

「いったい何が起きているのだ」

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「ボス。なぜこんな大掛かりなことをしなけりゃならないんです?」

運転していた男が後部座席をバックミラーで見た。

山高帽を目深にかぶり、口ひげを生やした黒メガネの男が言った。

「さるお方からのご依頼だ。都庁のからくり時計についている人形がどうしても欲しいらしい」

「夜中にこっそり盗めばいいじゃないですか」

「夜は完全な警備システムに守られている。それに12体がそろって表に出て来るのは昼の12時だけだからな」

「その人形、そんなに価値があるんですか」

「1体につき、時価数10億円の宝石がはめ込まれているって噂だ」

「へえ、ぶったまげた。そんな高価なものを毎時間都民に拝ませてるなんて」

「バブル経済の遺産だよ。あの頃は誰もが狂っていた。ところで、いま何時だ」

「11時50分になりました」

「よし、そろそろ現場に到着だ。無線で仲間に連絡を取れ。5分前になったら残ってる警備員を片付けるんだ」

「了解です」

新宿の街はまさにゴースト・タウンと化していた。

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「どうやらフェイク・ガスみたいですね」

と篠宮が言う。

「目的はなんだと思う」

猪田はテレビを凝視しながら言う。

「愉快犯か・・・それとも人払いですかね」

「まさか、都庁の宝を狙っているんじゃないだろうな」

「からくり時計ですか」

「そうだ。すぐに都庁に連絡しろ」

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都庁の係員が電話口に出た。

「からくり時計ですか。今、正午ですからすべての人形が出る頃ですが・・・」

「異常はありませんか。どうも人形を狙っての誤報の可能性があるのです」

「え、まさか。今モニターを確認してみます。あれ?」

「どうしました」

「大勢の人が時計の前で倒れてますね」

「それは」

「あの時計の人形を外すと、超高濃度の光化学オキシダントが噴出される仕掛けになっているんですよ」

「それじゃあ犯人は、全員光化学スモッグの餌食になったってことですか」

7月19日 女性大臣・北壁の日 

「先生。わたしの夫は10年間もわたしを欺(あざむ)いていたのです」

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1960年池田内閣において、中山マサが女性として初めて大臣に就任した。

これは長期に渡って男尊女卑だった日本社会における快挙と言っていい。

これに触発されたわたしはその7年後、女性パーティーでは絶対不可能と言われたアルプス三大北壁のひとつ『マッターホルン』登攀(とうはん)に成功した。

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「先日夫の携帯電話の中身を偶然みてしまったんです。そしたら女のひととラインで連絡を取っていたのが発覚しまして・・・」

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マッターホルンは標高4,478mの山である。

富士山よりも700mも高い山なのだ。

マッターホルンのホルンは角笛の意味で、牛の角のようにそびえているからこの名前がついたそうだ。

北側の壁面は、ほぼ垂直に等しく、一度滑落したら1km以上も滑り落ちてしまうことになる。

その壁面を、パートナーとふたりで攀(よ)じ登るのだ。

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「職場の女の娘らしいのですが、ずいぶん前に浮気がバレまして、その時には別れたとはっきり言ったんですよ」

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標高数千メートルの澄みきった空に、甲高いハーケンを打ち込む音が響く。

ザイルの一端をパートナーの美子に預け、少しずつ断崖絶壁を“3点確保”で攀じ登っていく。

3点確保とは4本の手足のうち、必ず3本で体をささえるロック・クライミングの基本動作だ。

その時左足を掛けたハーケンが飛んだ。

わたしはバランスを崩し、滑り落ちた。次々とハーケンが抜け落ちていく。

5個目のハーケンで停まった。

声も出なかった。

吹きすさぶ風の中で、美子が賢明にザイルを引き上げてくれていた。

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「それなのに、影でコソコソつき合ってたなんてひどいと思いませんか」

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わたしはその後、1968年アイガー北壁、1971年グランドジュラス北壁の登攀に成功した。

現在はラジオ人生相談のパーソナリティーを任されている。

危険なアルプスの北壁を乗り越えてきた経験を買われたのだろう。

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「良くわかりました。それでご相談というのは、このご主人に対してどうすればよいかということでよろしいですか」

「はい。よろしくお願いします」

「それでは今日は、作家で評論家の松石由紀子さんがいらっしゃいますので聞いてみましょう・・・」

(世の中平和だわ。マッターホルンに登ることを考えたら、どうってことない悩みじゃない。ねぇ)

7月20日 月面着陸の日

「これはひとりの人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な躍進だ」

アポロ11号の船長ルイ・アームストロングの発した言葉である。

1969年(昭和44年)のその日、世界中の人々がテレビに釘づけになっていた。

そこには月面を歩く宇宙服の人間が映し出されていた。

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「アポロって本当に月に行ってたのかしら」

恋人の沢子が雑誌から顔を上げてぼくに訊いた。

「どういうこと」

ぼくは食べかけの肉まんを皿に戻した。

「だって、あれから何十年も経っているのよ。庶民の月面旅行が流行っていたっておかしくないわ。そう思わない?」

「なるほどね。たしかにアメリカ人でも月面着陸はフェイクだったのじゃないかと言っている人がいるよね」

「そうなの?」

「空気がないのに国旗がはためくのはおかしいとか、影の伸びる方向が一定じゃないのはスタジオのライトのせいではないかとか」

「あら。やっぱり嘘だったんだ」

「あげくの果てには、テレビに一瞬コーラの瓶が落ちていたとろこが写っていたなんて証言があったりして」

「あきれた。もしそれが本当なら世界中の人が完全にだまされていたのね」

「でもよく考えてごらんよ」ぼくはメガネを掛けなおして言った。「仮にあれがフェイクだったとして、きみならいくらもらったら秘密を守れる?」

「うーん、そうねえ・・・。1万ドルぐらいもらったら守れるかも」

「NASAに何人の職員が働いていると思う。臨時社員もいれたら17万人だよ」

「そんなにいるの」

「そうだよ。しかもいくらお金を積んだからと言って、人の口に戸は立てられないものさ」

「たしかにその通りね。じゃあ人類が月に行ったのはやはり本当だったんだ」

「フェイクだったとしたら、考えられることはひとつしかないね」

「なあに」

「アポロが月に着陸する22年前に起きた事件さ」

「なにがあったの」

「メキシコのロズウェルにUFOが墜落した。それをアメリカ軍が回収したっていう話し」

「あれは気象観測用の気球だったって訂正されたじゃない」

「それこそフェイクだ。あのUFOには生き残りのエイリアンがいたそうなんだ」

「さっきから、なにが言いたいの」

「高度に発達した彼ら宇宙人ならば、17万人のNASAの職員の記憶を書き換えるなんて、いとも簡単にできるんじゃないかってことさ」

「まあ。いくらなんでも、それは飛躍し過ぎじゃない?」

「ましてや、ぼくらは自分自身を人類だと思い込んでいるが、もしかしたら彼らに暗示をかけられているだけなのかもしれない」

「ちょっと」

「きみのその目、前からそんなに黒くて大きかったっけ?それにその小さな口、穴の空いた鼻、尖った耳」

「なに言ってるのよ」

「そして、この小説を読んでいるあなただってすでに・・・」

7月21日 日本三景の日

「わが県に観光客を呼び込むにはどうすればいいのか」

沢口県知事が議員を集めて会議をしていた。

「そうですね。なにかこれといった名物がないと、人は集まって来ないと思いますが」中年でメガネの議員が言う。

「大型遊園地とかテーマパークを開設したらどうでしょう」若手の女性議院が手を挙げた。

「そんな金がどこにあるのだ。しかも定期的にメンテナンス料も必要だ。事故なんぞ起したらそれこそ損害賠償とか大変な負担になってしまうぞ」と知事が顔を曇らせる。

「それにしても“日本三景”はいいですな。何も努力しなくても、そこにいい景色があるというだけで勝手に観光客が集まってくるのですから」と、さきほどの中年議員が言う。

元気のいい若手議員が手を挙げた。「わが県にも、海ならあるじゃないですか」

あきれた顔でメガネの議員が若手議員をたしなめる。

「ただ遠浅の海があるだけじゃないか」

「いや、待てよ・・・なければ作ればいいじゃないか」と知事が言い出す。

「知事。何をです?」

議員たちは顔を見合わせる。

「京都の“天橋立(あまのはしだて)”、宮城の“松島”、広島の“宮島”に決まってるだろう」

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それから3年の間、海の上に巨大な鳥居が立てられ、細長い道が海上に埋め立てられ、松の生えた人工の島をいくつもこしらえた。

この海に来さえすれば、あの日本三景を一望することができる大プロジェクトである。

物珍しさもあり、日本の各地からだけではなく、世界各国からも観光客が押し寄せた。

「大盛況ですな」とメガネの中年議員が知事に笑いかけた。

知事も満面の笑みを浮かべて言った。

「どうだ。いいアイデアだっただろう」

若手議員が知事に詰め寄った。

「しかし知事。予測の1000倍以上の人が集まってきています」

「いいことじゃないか」

「交通渋滞だけではありません。受け入れるホテルや旅館も不足していますし、外国の観光客が大勢押し寄せてきていますから、その対応が県の職員やボランティアだけではすでにパンク状態です」

「どんどんアルバイトを雇いなさい」と知事が渋い顔で言った。

すると女性議員も近寄って来て言った。

「知事、観光客はお金を落とすだけでありません。あちらこちらにゴミを落とすので悲惨な状況です」

「シルバー人材派遣を頼んで清掃してもらいなさい」

「集まりません!口コミで悪い噂が立ちはじめていますので」

「どんな口コミだね」

「あそこの仕事は日本三景なんかじゃない。キツイ汚い危険の“日本3K”だと」

7月22日 下駄の日

 ぼくが真夏の嵐山駅に着いたのは、昼下がりの午後1時だった。

「橘(たちばな)さんですか」

銀縁メガネをかけた紳士が笑顔で声を掛けて来た。

「はい、そうですが」

「お迎えに上がりました。わたくし、君澤家の弁護士をしております冴島(さえじま)と申します」

快活な若者である。その場で名刺交換となった。

名刺には『弁護士 冴島等』と書かれていた。なるほど、この若さで彼女の家の顧問弁護士なのだな。

「橘探偵事務所・・・探偵さんでいらっしゃいますか。奥様の学生時代のお友達だとか・・・」

冴島はぼくの名刺を興味深げに見入っている。

遠くで蝉が鳴いている。

「この度はご不幸があったそうで」

「はい。突然でした」冴島は悲しそうに顔をしかめた。「ご主人さまがお亡くなりになりまして」

「ご病気とうかがいましたが」

「急性脳溢血でした」

「そうですか、綾さんもさぞや気を落としていることでしょうね」

「それはもう・・・。それでは参りましょう」

わたしは冴島の運転で君澤邸に向かった。

渡月橋を車で渡る。嵐山の緑が壮観だ。遠くにこんもりとお椀型の小倉山も見えた。

昔ながらの風情のある嵯峨野の街をゆっくり車が通り抜けて行く。

車のクーラーがようやく効きはじめてきた。

「なぜぼくが呼ばれたのでしょう」

「さあ、それは存知あげませんね。奥様は今回莫大な遺産を相続することになりましたが、それについて何か心配事があるのかもしれません」

「心配事と言いますと?」

「後でお話しますが、どうも前妻の息子さんと折り合いが悪いらしいのです」

「前妻の息子さんですか」

「君澤二郎さんです。この街の消防署にお勤めです」

車は山すそから庭園に入って行った。

「綺麗な庭園ですね」

「はい。ここが君澤家のお庭になります」

「え、これがですか」

そこにはまるで皇居のように広大な庭が続いているのだった。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「どうぞこちらです。葬儀が終わりましたので女中にはしばらく暇を取らせました」

冴島から案内されて、君澤邸に入った。

「ご主人さまが亡くなられてもうひと月になります。こちらの応接間で少々お待ちください。いま奥様にお声を掛けて来ますので」

ぼくは年代物のソファーに腰かけた。

分厚い絨毯の中央に彫刻をほどこされた重厚なテーブルがある。壁には油絵の風景画が描けてあった。天井にはシャンデリアが輝いている。

その時廊下の奥から冴島の声が聞こえて来た。

「奥様!奥様!どうなさいました。ここをお開けください!」

ぼくはすぐさま廊下に出た。すると突きあたりの部屋で冴島がドアを叩いている姿が目に入った。

「どうされました?」

「奥様にお声をおかけしたのですが、お返事がないのです。しかもドアに鍵を掛けられているらしく」

冴島がドアノブを激しく前後に動かしている。しかしドアはビクともしないようだった。

ぼくは嫌な臭いを察知した。

「ガスだ。合鍵はありますか」

「いいえ、ございません。こうなれば、ドアをぶち破るしかないでしょう」

冴島はドアに体当たりを始めた。

ぼくも加勢した。3度目あたりからようやくドアが軋みはじめた。

「ちょっとどいてください」

ぼくは冴島を下がらせて、渾身の後ろ回し蹴りをドアに叩きつけた。ぼくは空手の有段者なのだ。

ドアは音を立てて外れた。

外れたドアの向こうの床に、血だまりの中に綾子がうつ伏せで倒れているのが見えた。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

君澤邸に京都府警のたくさんのパトカーが集まってきていた。

「この状況からすると、自殺と他殺の線が浮かびあがりますが、冴島先生はどうお考えですか」

刑事が弁護士に訊ねている。

「さあ・・・わたしからはなんとも。ただ鍵が掛けられていたことだけは確かです。鍵は家族しか持っていないはずです」

「今日の正午から午後一時半の間はどちらにいらっしゃいましたか」

「橘さんをお迎えに車で駅まで行っていました」

刑事と弁護士がぼくを見た。

「あなたは東京から来た探偵さんだそうですね。なぜここに居合わせたのです?」

刑事が鋭い目をぼくに向けた。

「被害者から呼ばれたので」

「なぜ」

ぼくは首を振った。「わかりません。ひょっとして今日の事と関わり合いがあるのかもしれませんが」

刑事は肩をすくめた。

そこへ警官に連れられた若い男が現れた。

「冴島さん。本当に義母が亡くなったのですか」

冴島が君澤二郎の肩に手を置いて頷いた。

刑事がふたりの視線を遮って訊いた。「君澤二郎さんですね。あなた、正午から午後一時半までの間どちらにいらっしゃいましたか」

「大阪で映画を観ていました。今日は非番でしたので」

「それを証明してくれる人はいますか」

「売店の女性が覚えていてくれていればいいのですが。これが映画の半券です」

体格のいい二郎が映画の切符を刑事に見せた。

たしかに、大阪から嵐山では距離があり過ぎる。チケットを購入後に彼女を殺して、映画館に戻るのは不可能だろう・・・。

ぼくは鑑識の隣で元カノの遺体に注目していた。

「刑事さん」

「なんですか。探偵だからってあまり捜査に首を突っ込まないでくださいよ」

「さっきから気になっていたんですが、彼女はなぜ下駄を持っているんでしょうか」

綾子は伸ばした右手になぜか下駄を持って倒れていたのだ。

「暴漢に刺される前に下駄で抵抗したとも考えられますな。まあ、密室でなければの話ですがね」

「この部屋に複数のカセットボンベのガスが充満していましたよね」

「それも自殺とも取れるのですよ。あの窓辺に大きな虫眼鏡が立てかけられているでしょう」

たしかに出窓の黒い布の上に、虫眼鏡が立てかけられている。

「この部屋は西側を向いていますから、西日があの虫眼鏡に当たると、最後には黒い布に光の焦点が集中して発火するようにしてあったのです」

そのとき鑑識から声が掛かった。「ご遺体を移動してよろしいですか」

刑事はOKというように手を振った。

刑事が近づいてきた。

「橘さん。大きな声では言えませんがね、あの二郎という義理の息子、どうも被害者と折が悪かったそうです。彼にこの犯行を実行する方法があると思いますか」

ぼくはあいまいな微笑を浮かべた。

「ところで刑事さん。あれは?」

綾子が運ばれた後の、血だまりの先に二本の線がくっきりと浮かんでいたのだ。

彼女は死ぬ前に、自分の血を使ってスタンプのように下駄の歯を絨毯に押し付けたのであろう。

「これは一種のダイイング・メッセージじゃありませんかね」冴島が言った。

「確かに漢字の二に読めますな・・・」刑事が言った。

「ちょっと、ぼくじゃない。犯行時間にぼくは大阪にいたんだ!」

君澤二郎が青い顔をして弁解した。

「たしかに二郎さんが犯行を実行する方法はあります」

ぼくはにこやかに言った。

「どんな方法です?」刑事が言った。

「二郎さんは消防署員でしたよね。救急車か消防車を使えればその時間内に移動ができるでしょう」

「さすがは探偵だ。すごい推理じゃないか」冴島が驚いた顔をする。

「でも今回は二郎さんの犯行ではないようです」

「どういうことですか」今度は刑事が驚いた顔をする。

「あのダイイング・メッセージですが、二郎さんの二ではありません。あれは英語のイコール、つまり“等”。冴島等さん、あなたが犯人ですよね」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

冴島弁護士は以前から綾子に好意を抱いていたそうだ。

主人亡き後、求愛をしたが断られ、カッとなって犯行におよんだらしい。

彼女の部屋には最初から鍵など掛けられてなどいなかったのだ。

冴島は綾子のダイイング・メッセージを観て、とっさに二郎に罪をなすりつける計画を思いついたのだった。

ぼくはその日、渡月橋を歩いて駅に向かった。

夏の日が暮れて、嵐山が狂ったように風に揺れている。

どこか遠くでカランコロンと下駄の音がした。

7月23日 文月ふみの日

 学生時代に戻ってわたしは手紙を書いてみることにした。

わたしは結婚して主婦になり、すでに30歳になろうとしていた。

同じことの繰り返しの毎日だ。

ある日タンスの中から、偶然学生時代に交わした友人との手紙を見つけた。

そこには懐かし丸文字が並んでいた。

わたしはおかしくなり、当時を思い出して自分宛に手紙を書いてみることにした。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

Dear 美波Ⓒ(ちゃん)

その後いかがお過ごしですか?

滝浪SP(先輩)とは別れちゃったのかな。

わたしは詰まるところ会社のSPと結婚して、幸せな家庭を築いています♥♥

まさにここは天国なのよ\(^o^)/

とはいっても最近はメチャ×2(メチャメチャ)退屈な日々を送っているんだよネ~~~

あの頃に戻りたいな→!!

From 美波

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Dear 美波SP

突然のお手紙にびっくり!!!!

本当に未来からの手紙かあ川⊙▃⊙

滝浪SPとは今ビミョ~~~な関係です。

H/K(話は変わるけど)あたしって、どんな男と結婚するの???

ぶさいくわヤダ~~~!!

From 美波

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Dear 美波Ⓒ

ええ~~~!!!

キャ━━━━(゚∀゚)━━━━!!ほんとに返事きたの???

やばい×3!!!

ご安心あれ。ユウくんはとってもハンサムでイケ×2なのだ。

ちょっと優しすぎるのが玉にキズなんだけどね(ノロケ×2)

H/K、3年の文化祭のとき、窓にちかづいちゃだめだよ。

あぶないからね♥

From 美波

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Dear 美波SP

やったー!!!

ハンサムさんなんだ。(♥♥)

チョーうれしいよーーー⁽⁽(ી( ˆoˆ )ʃ)₎₎⁾⁾

H/K、どうして窓に近づいたらいけないの???

From 美波

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Dear 美波Ⓒ

ふざけて4階の窓から落ちちゃったのよ。

でもだいじょうぶ(笑)

こっちの世界にもイケメンはいるんだから♥♥♥

あれ?

わたし、天国にいるって書かなかったっけ
(◜◔。◔◝)?

From 美波

7月24日 卒業アルバムの日

「ねぇねぇ。佳子(かこ)、卒アル届いた?」

美紀(みき)の電話の第一声である。

「届いたよ」

わたしは久しく会っていない同級生の声を、約半年ぶりに聴いた気がする。

「酷(ひど)くない。この写真」

「何が?」

「いくらなんでも、今どき無加工はきついわ」

「うんそうだよね。一瞬美紀がどこにいるか、分からなかったよ」

「だよね。撮りなおして~」

「いまさら無理だよ。でもさ、先生だけバッチリ化粧してるってズルくね」

「そうそう。まったく人権蹂躙だ、これは」

「蹂躙て、こういう時に使う言葉だっけ」

「ところでさ美紀。あたし初めて見たんだけど

「何を?」

「同級生ってこんな顔してたんだ」

「なにしろ卒業するまで、マスク生活だったもんね~」

「意味ある?このアルバム」

7月25日 かき氷の日

 それは夏祭りの夜の出来事だった。

ぼくは浴衣姿の彼女を初めてみた。

「あたし、夏祭りに来たのはじめて」

「へえ。そうなんだ」

彼女の結い上げた栗色の髪が、アセチレンの光の中で踊っている。

ぼくは縁日の人混みではぐれないよう、彼女の手を握った。

彼女も今日ばかりはしっかりと握り返してくる。

彼女は北欧からの留学生で、日本の文化を勉強しに来ているのだ。

「わあ、面白い」

お面売場で彼女が子供のように目を見張る。

ぼくは彼女にお面をひとつプレゼントすることにした。

迷ったあげく、彼女が選んだのは猫のキャラクターのお面だった。ぼく自身は仮面ライダーを購入した。

猫のお面をおでこにかぶった彼女の白いうなじが眩しかった。

「あれはなんですか」

「金魚すくいだよ」

「やってみたいです」

彼女はしゃがんで『ポイ』という名前の和紙でできた天眼鏡の形をした道具を使って金魚を追い始めた。

彼女は赤い金魚ばかりを追い求めた。でもあっという間にポイが破れてしまった。

それでも彼女は楽しそうに笑っていた。

金魚すくいのおじさんが情けで金魚を1匹くれた。

「ありがとう」

彼女は金魚の入ったビニール袋を目の高さに上げて瞳を輝かせた。

ぼくらはお参りを済ませた。

「蒸し暑いね。かき氷でも食べて帰ろう」

ぼくは彼女をかき氷屋につれて行った。

そこには色とりどりのシロップが用意されていた。

メロン、イチゴ、レモン、ブルーハワイにみぞれ。

「何にする?もっとも色が違うだけで、味はどれも同じなんだけどね」

「イチゴがいいです」

「OK。じゃぼくはブルーハワイで」

ぼくらは、各自のかき氷を持って境内の裏に回った。

そこは縁日の薄明りだけで、人影もなく静かな場所だった。

ぼくらは本堂の裏に腰かけた。

「頭がキーンと来るからね」

ぼくがそう言ったが、彼女はすでに氷いちごをおもいきり頬張ってしまったらしく、顔をしかめていた。

「あのね、上アゴの“三叉神経(さんさしんけい)”が冷たいのを痛いと勘違いして脳に伝わってしまうんだよ」

「オーオー」

彼女は泣きそうな顔になる。

ぼくは自分のかき氷を彼女の額に当てた。

「こうやって額を冷やすと緩和されるよ」

「・・・ありがとう。少し良くなった」

「ゆっくり口の中で氷を溶かしながら食べるといいよ」

「うん。おいしいですね」

ぼくらはかき氷を食べ終わった。

「青いでしょ」ぼくはベロを出して彼女に見せた。

ぼくの舌は別の生き物のように見えたことだろう。

彼女も微笑んで舌を出した。

小さな舌が真っ赤に染まっていた。それは可愛くて、官能的でもあった。

「可愛いね」

ぼくは思わず彼女を抱きしめて唇をかさねた。

彼女の両腕がぼくの首に回る。

彼女の手から金魚の入ったビニール袋が地面に落ちた。

長いキスの後、彼女はぼくの耳たぶに唇を寄せてささやいた。

「なぜわたしが氷イチゴにしたか分かる?」

彼女の甘い吐息がぼくの首筋にかかる。

「あなたの生血を吸っても目立たないからよ」

しまった、彼女は吸血鬼の末裔だったのか!

7月26日 幽霊の日

「やっぱ、夏の定番といえば肝試しでしょう」

そう言い出したのは4人の中でも、リーダー格の進藤だった。

「肝試しって、どこでやるのよ」

友里恵が嫌そうな声を出す。友里恵は進藤の彼女である

「そりゃ、墓地とかトンネルとか廃業した病院なんかじゃね」

友里恵が進藤の腕にしがみつく。「やだ。怖い」

「あそこはどうだろう。街はずれにある洋館」と由良(ゆら)が読んでいた雑誌をとじて言った。

「洋館って、もしかしてあのお化け屋敷のこと」

と、今度は早弥(さや)が由良の腕にしがみつく。「こわ~い」

「だいじょうぶだよ。2対2で行けば怖くないさ」

進藤はもうあの誰も住んでいない洋館に行く気満々だ。

「じゃあ、順番を決めようぜ」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「じゃあいいか。俺と友里恵が先に行って、二階の一番奥の部屋のテーブルに、このロウソクの火を点けて置いてくる。おれたちが帰ってきたらバトンタッチして由良と早弥がロウソクを回収してくるんだ」

進藤がみんなを見回す。

「あたし気が進まないんだよね。突き当りの部屋って開かずの間だって噂だよ」

「まかせとけ。その時にはおれがぶち破ってやるからよ」と進藤がTシャツの袖をめくって力こぶを作る。

「でもさ、あの屋敷、誰もいないなずなのに夜中に人影を見たひとがいるんだって」と早弥が震えた声を出す。

「浮浪者が住み着いてるのかもな」由良が肩をすくめる。

「それならなおのことおれの出番だ。あの家はもともとおれの叔父さんの家だからな」

「なんだよそれ。お前の親類の屋敷だったのか」由良があきれた顔で言う。

「そう。だから安心しろ。不法侵入にはあたらないから」

「どうして今は空き家なの?」早弥が不安そうに訊ねる。

「昔ちょっと事件があってさ・・・」

「なに?」友里恵が眉をひそめる。

「それを言うとお前らビビるから聞かない方がいい」

「やっぱり出るんだ・・・」友里恵が言う。

「何が」由良が友里恵を見る。

「幽霊」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「おい。いくらなんでもおかしくないか」由良は洋館を見上げてつぶやいた。「もう30分になるのに戻って来ないなんて」

時間は夜中の2時を過ぎている。

「そうよね。でもここ、進藤くんの叔父さんの家だって言ってたわよね。まさか友里恵と一緒にベッドインとかしてたりして」

「気分が盛り上がってか」

「そんな訳ないよね」

「探しに行ってみようか」

「うん」

由良と早弥は手をつなぎ、一本の懐中電灯の光をたよりに洋館に入って行った。

荒れ果てた中庭を通り、洋館の玄関をくぐった。

「・・・あたし、ここ無理かも」早弥の手が震え出した。

「どうしたの」

「何かが居る感じがするのよ」

「マジか・・・でも進藤たちの気配かもよ」

「違う・・・なんだろう。もっと悲し気な目でわたし達を見ているような・・・」

「わかった。とにかく進藤と友里恵を見つけたら、すぐここを出よう」

由良と早弥はギシギシと音を立てる階段を登って行った。

長い廊下の先に例の部屋が見える。

「進藤!友里恵!どこだ、どこにいる!」由良の叫び声が、洋館中にこだまして虚しく響いた。

「行ってみましょう」

由良と早弥は突き当りの部屋にたどり着いた。

部屋のドアの隙間から、薄っすらと光が漏れている。

老婆がうめくような音と共にドアが開いた。

床にひざまずく二人の人影が見えた。

彼らの前で、ロウソクが頼りなげな炎をゆらしている。「おい。進藤、友里恵。どうしたんだ。しっかりしろ」

由良は彼らの前に回り込み、顔を覗き込んだ。

「!」

進藤と友里恵が白目を剝いていた。

「早弥。大変だ!こいつら息をしていない」

早弥を見ると、眼も鼻も口もない早弥がそこに立っていた。

由良は気が遠くなり、その場で息を引き取った。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「・・・というわけで、毎年夏になると、この屋敷に亡くなったはずの四人の若者の幽霊が集まって来るんだって」

「まあ、恐ろしい。肝試しには打ってつけのお屋敷じゃない。みんな、今年はここで肝試しやろうか」

7月27日 スイカの日

「いよいよ今年も全国スイカ割選手権がはじまります!わたくし司会の富士光晴夫(ふじみつはるお)と申します」

「アシスタントの紅小玉靖子(べにこだまやすこ)です。よろしくお願いします」

浜辺の特設会場には、大勢の観客が集まっていた。

テレビ中継の司会は中堅のアナウンサー、アシスタントは売り出し中の若手のタレントである。

「紅小玉さん。今年はもうスイカを食べられましたか?」

「もちろんです。でも今年のスイカはちょっと甘さが足りなかったような気もするんですよね」

「おや、それは選び方に問題があったのかもしれませんよ」

「おいしいスイカの選び方があるんですか。ぜひ教えてください」

靖子は切なそうな顔をして司会を見つめる。

「スイカには縞模様がありますよね」

「あります。あります」

「あれがくっきりと黒いほどおいしいそうなんです」

「へえ、そうなんですか。あの縞模様はどうしてついてるんですか?」

「鳥が見つけやすいようにです。スイカは鳥に食べられることによって繁殖するんだそうですよ」

「どういうことですか」

「お食事中の方にはすみません。種は消化されずに、あちらこちらにバラまかれるんです」

「あらまあ」

「それから、最近はスーパーで切り売りもしてるでしょう」

「はい。少人数の家族には助かります」

「その時は種をよく見て買うといいですよ」

「種ですか」

「そう、種が黒い方がおいしいスイカなんだそうです。あと実は赤が強いスイカが甘いそうです」

「最近は黄色い実のスイカもありますよね」

「江戸時代は赤は気持ち悪いからって、黄色いスイカが好んで食べられていたそうですよ」

「富士光アナウンサーさんて博識ですねえ。さすがです」

「それではそろそろ準備が整ったようですので、さっそく本番に参りましょう!」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「今日は全国から勝ち抜いた10人のスイカ割名人が集まってきています」

富士光アナは海パンの男性陣をざっと紹介した。

「スイカ割ってルールがあるんでしょうか」靖子が訊く。

「山形JAの『日本スイカ割り推進協会』が制定したルールがあるんです。スイカと競技者の間は5から7m離れていなければいけません。棒は太さ5cm以内、長さ1.2m以内と決められています。競技時間制限は1分30秒以内、棒を振るのは3回までと決められているんですね」

「へえ、こんなお遊び・・・失礼、スイカ割にも厳格なルールがあるんですね」

「今回は4位までの入賞者に豪華な商品が用意されています。紅小玉さん、ご紹介お願いします」

「はい。今回4位までに入賞された選手には、食べ放題で『世界のスイカの食べ方体験』を贈呈いたします。ところで富士光さん。スイカって世界中で食べられていたんですね」

「そうなんですよ紅小玉さん。スイカを漢字で書くと西瓜と書くでしょ。この西っていうのはインドのことなんです。スイカはインド発祥の野菜なんですよ」

「え?スイカって果物じゃないんですか」

「果実的野菜ですよ。ちなみにイチゴやメロンも同じです」

「今日は勉強になります」

「それでは各自一斉に用意スタート!」

競技用ピストルが打ち鳴らされた。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「では、4位の方に賞品です。4位はイタリアの食べ方で食べ放題になりますよ」

富士光アナが紹介したのはスイカにレモン汁をかけるというものだった。

「お味はどうでしょう」アシスタントの紅小玉靖子がマイクを向けた。

「爽やかです。これは有りですね。目から鱗の食べ方です」

「次に3位の賞品になります。これはギリシャの食べ方です」

ギリシャでは、スイカをチーズと一緒に食べるのだった。

「いかがですか」靖子マイクが向けられた。

「うん。チーズのしょっぱさが、スイカの甘さを引き立ててくれるような感じがします。メロンと生ハムを彷彿とさせますね。グッドなお味です」

「それでは2位の賞品です。2位は南米の食べ方になります」

南米では、スイカにチリソースをかけて食べるのだった。

「お味はどうでしょう」アシスタントの靖子がマイクを向けた。

「う~ん。食べれないことはないけど・・・ビミョウかな」

「それでは優勝賞品です。栄えある優勝者にはカンボジアの食べ方をご提供いたします!」

カンボジアではスイカを干し魚と一緒にご飯を食べるのだ。

「いかがですか」靖子がマイクを向ける。

「これって・・・罰ゲームじゃないですよね」

「とんでもない。鯵(アジ)があきたら鯖(サバ)も秋刀魚(サンマ)もありますよ。おかわりをどうぞ!」

7月28日 乱歩の日

「こんにちは。わたし、『日本探偵作家倶楽部』の広報をしています染谷と申します。今日は江戸川乱歩先生の半生を特集記事にするための取材に参りました」

染谷は七三に髪を分け、銀縁メガネの真面目な文学青年といった青年だった。

「ああ、きみが染谷くんか。話は聞いているよ」

黒ぶちメガネの乱歩が、眼を細めて微笑んだ。笑うと太く短い眉毛が八の字にたれ下がる。

「まずは、先生のペンネームは『モルグ街の殺人』を書いたアメリカの小説家エドガー・アラン・ポーをもじったそうですが、なぜそうされたのですか?」

「うむ。あの当時は森鴎外や夏目漱石全盛の時代だったからね。ぼくは同じような小説を書きたくなかったのだよ」

「それで推理小説を発表されたのですね」

「そう。でもね、あの頃にそういう小説を読むのは少数派だったのだ。目立ちたかったから好きだったポーの名前を拝借させてもらおうと思ったんだ」

「なるほど。ご本名はなんとおっしゃられるのでしたっけ?」

「知らんのか。・・・甲斐太郎(かいたろう)というんだが」

「そうか。痛快な小説を“書いたろう”っていうわけですね。それは傑作なエピソードですね」

染谷は万年筆を取り出すと、大学ノートにメモを取り始めた。

「・・・」

「それで先生。最初から小説家を目指されていたのですか」

「いいや。早稲田の政経を出た後は、職を転々としたよ。貿易会社、古本屋、ラーメン屋、タイプライターの行商、造船会社。探偵事務所でも働いたことがあるよ」

「その時の体験が、後の明智小五郎シリーズになるというわけですね」

「その通り。それに古本屋は『D坂の殺人事件』で参考になったし、『屋根裏の散歩者』のアイデアはその当時の会社の寮の体験を書いたものだよ」

「なるほど。突然ですが、先生の初恋の話をうかがいたいのですが。読者から要望がありまして」

「それはちょっと衝撃的な話になるけどね」

「といいますと・・・」

「実はぼくの初恋の相手は中学二年のときの男子生徒だったんだ。もちろんあの頃はプラトニック・ラブだがね。手を握ったり、恋文を交換するぐらいしかできなかったんだ」

「先生・・・そっちの気があったんですか」

乱歩のメガネの奥の目に光が宿ったように思えた。「染谷くんと言ったね。きみはあの頃の彼に面影がどこか似ているんだ」

「あ・・・え・・・あの、ぼくはそういう・・・やめてください」

「なんてね。冗談だよきみ」

「ああ、びっくりした」

「それよりね。きみ本当は『日本探偵作家倶楽部』の広報なんかじゃないんだろう」

「・・・」

「ぼくの本名は平井太郎(ひらいたろう)というんだ。日本の推理小説界に新たな道筋を“開いたろう”っていうわけさ。広報が乱歩の本名を知らないはずがない」

いつのまにか乱歩の着流しの袖口から、小型拳銃レミントンの銃口が染谷に向けられていた。

「ばれていましたか」

染谷は不敵な笑いを浮かべた。

「おまえは怪人二十面相だな。先週、江戸川乱歩の秘蔵の宝を奪いにくると予告をしてきたね」

「乱歩の純金の万年筆をこれと交換してもらおうと思ってね」

染谷が万年筆をひねると、ペンの先から煙が吹きだした。

「催眠ガスだな。馬鹿め、言っておくが、おれは江戸川乱歩なんかじゃないぜ」

染谷が一瞬ひるんだ。「誰だ」

乱歩がメガネを取り、短髪のかつらを脱いだ。するとそこに精悍な若者の顔が現れたではないか。

「お、お前は」

「少年探偵団も成長するんだよ。おれは小林探偵事務所の小林芳雄さ」

「お生憎さま。じつはおれも二代目怪人二十面相なのさ」

「なに」

「また会おう!」

そう言うと、染谷を名乗った怪人二十面相は窓を突き破って姿をくらました。

すぐに小林は窓から顔を突き出して男を探したが、しんとしていてどこにも人影が見当たらない。

小林探偵の脳裏には、遠い昔の情景が浮かんでいた。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「すごいな小林くん。明智小五郎の弟子なんだって?」

羽柴壮二(はしばそうじ)が言った。「どうだろう。小林くんをリーダーにしてぼくらで『少年探偵団』を結成しようよ」

「少年探偵団?」

「そうだよ。怪人二十面相に拉致された明智小五郎先生をぼくらの手で取り返すんだ」

「よしわかった」

「ところで明智小五郎って、明智光秀と桂小五郎を掛け合わせて作った名前だって本当?」

「そうだよ。でもきみだってすごいじゃないか。羽柴は豊臣秀吉の前姓で、壮二は新選組の沖田総司をもじったんじゃないのかな」

「へへ。じゃあ将来はぼく、明智先生よりも偉くなっちゃったりしてね」

「言えてる。ははは」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

その後、しばらくして羽柴は姿を消してしまった。

さきほど二代目怪人二十面相が使った万年筆・・・少年探偵団の7つ道具にどこか似ていたような。

「まさかね」

小林芳雄は真夏の抜けるような青空を見上げた。

7月29日 永くつながる生前整理の日

「あなた。これ捨てるわよ。いいわね」

妻の断捨離が始まった。

妻が言うには、生前整理はまだ元気な内にしておく方が良いというのだ。

「それはぼくたちの想い出の品じゃないか」

「でももう使わないでしょ」

「それはそうだけどさ・・・」

遺品整理や相続の準備をやらずにおくと、いざとなった時に家族や親族の負担が大幅に増えるというのだ。

たしかに不幸というのは突然やってくるものである。

もしもそうなったとしたら・・・

「とくに大きくて要らないものは早く処分しなければダメなのよ」

「どうして」

「だって、体力があるうちじゃないとできなくなるじゃない」

「そんなの、いざとなったら業者に頼めばいいじゃないか」

「この世の中、ひとの弱みにつけこむ悪徳業者がどれだけいるか分かったものじゃないのよ。時間があるうちなら、業者もじっくり選べるってわけ」

「それはまあ、一理あるとは思うね。甘い言葉でなけなしの年金をすっかり奪われたご老人を知ってるよ」

「でしょう。あなた、これも書いて欲しいんだけど」

そう言って妻はわたしに一冊のノートをよこした。

「エンディングノート?」

「そうよ。それにあなたの希望するお葬式の形態、延命治療を望むか望まないのか、自分が判断できない状態の場合に判断をゆだねる人の名前、不用品の処分や引き渡し方法を書いておくの」

「なるほどな。きみはどうしたんだい」

「遺産は誰にどれぐらい渡したいのか。葬儀は家族葬。お墓は要らない。戒名も不要。延命治療はしない。わたしが判断できない状況になったらあなた。それが無理なら妹に判断しもらうことにしたわ」と妻はそっけなく言った。

生きているうちに、自分の死を見つめるというのは必要なこととは言え、やっぱり寂しさがつきまとうものだ。

「あ、それからエンディングノートはお互い何かあるまで中身は見せないことにしてもいいのよ」

「ほんとう?」

「夫婦だってプライバシーってものがあるでしょ」

「わかった」

なんとなくそれも寂しいものがある。

不要なものはなるべく自治体の家庭ごみやフリーマッケトに出して減らした。

ぼくら夫婦は必要最低限のものに囲まれて過ごすことになったのだった。

そして最後に残ったのは・・・

「だいぶ片付いたわね」

妻の微笑む顔をようやく見ることができた。

「そうだね」

ぼくは妻を見た。

「最後に残ったのは、まさか・・・ぼくか」

ぼくは自分を指さした。

妻は力を込めてわたしをグッと抱きしめた。

「馬鹿ね。あなただけは手離すもんですか」

「絶対に?」

「そう絶対に」

7月30日 お母さんが夢に乾杯する日

 7月30日午後7時30分。わたしは自分自身に乾杯する。

わたしたち母親は、いつでも自分のことは後回し、家族優先の生活を余儀なくされる。

しかもそれは当たり前のことだから、だれひとりとして評価などしてくれないのだ。

わたしたち主婦は一様に孤独焦り不安な1年間を過ごすことになる。

今日はそんな自分にご褒美をする日。自分自身の健闘に乾杯する日なのだ。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

わたしはこの日のために、とっておきのワインを隠しておいた。

1年に1度だけ、秘蔵のワインをひとりだけで楽しむために・・・。

「乾杯!」

芳醇な赤ワインの香りとふくよかな味。ああたまらない。

その時玄関を慌ただしく叩く音が聞こえた。

「誰かしら」わたしは扉を開けた。

玄関の前に、夥(おびただ)しい装飾を施した2頭立ての馬車が鎮座しているではないか。

昔の貴族の恰好をした白髪の男性が恭(うやうや)しくお辞儀をした。

「どちら様ですか?」

「わたしはある王国の執事をしております。あなた様は実は、さる王国の姫君だったのです。そして訳あって、今日まで庶民の家で育てられてきたのです」

「まさか」

「いえ、あなたの右手にはめられた薬指の金の指輪がなによりもの証拠です。そちらは王家の紋章です」

「この指輪はわたしの祖母の形見ですけど・・・でも、わたしには愛する夫と二人の幼い子供がいるんです」

「だいじょうぶです。あなたの親族は全て王国が面倒をみることになります」

「それじゃあ、もうお洗濯も、お掃除も、お料理もしなくていいってこと?」

「もちろんですとも王女様」

わたしは一瞬めまいに襲われた。

「・・・でも、息子のズボンのお尻の破れたのは誰が縫うの?」

「宮中のメイドにやらせます」

「娘のちびた鉛筆はだれが削るの?」

「それもメイドがやってくれます」

「夫の薄くなった頭髪マッサージは?」

「だいじょうぶですよ。お付きの者にやらせます。あなたはただ座っているだけで良いのです」

「そんなの嫌よ!」わたしは思わず叫んでいた。「家族と一緒に暮らしたいの。もっと一緒に苦労したいのよ。もっと一緒に笑って、泣きたいのよ!」

その時目が覚めた。

「なんだ夢だったのか・・・よかった」わたしはほっとため息をついた。「よし明日からも頑張ろう」

グラスを持つ右手の薬指に、金の指輪が輝いていた。

7月31日 こだまの日

「身代金は用意できたか」

携帯電話から犯人の声が流れて来た。とは言っても、昭和40年の携帯電話は小ぶりなショルダー・バッグぐらいの大きさである。

「娘は無事なのか。頼む、声を聞かせてくれ」

「おい、しゃべれ」

ゴソゴソ音がする。「お父さん!」

「洋子!だいじょうぶか」

「分かったら金を黒いバッグに詰めて、東京駅に行くんだ」

「わかった」

「警察に知らせたら娘の命は無いと思え」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

男は東京駅に到着した。

周囲は目立たないように私服警官で固められている。

男の手には黒い鞄が下げられている。

その時、肩に架けていた携帯電話が鳴った。

「はい向坂です」

「いいかよく聞け。新幹線こだま号234号の指定席5号車E7席を取って乗車するんだ」

「わかった。5号車E7席だな」

「そうだ。指示は発車してからする」電話が切れた。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「開通したばかりの新幹線を使うとは、犯人はいったい何を考えているでしょうね」と刑事のひとりが言った。

「どこの世界にも、新しいもの好きっていうのはいるもんさ。携帯電話を持っている向坂さんだってそのひとりだがね」ハンチングハットを目深にかぶった、年かさのいった刑事が煙草に火を点ける。「お金持ちはあんなモノを使ってるから誘拐犯に狙われたのかもしれんよ」

新幹線の各駅に緊急配備が施された。

犯人は必ずどこかで接触するはずなのだ。

三島を過ぎたあたりで携帯電話が鳴った。

「はい。向坂です」

「・・・もうすぐ富士山が見えて来るはずだ」

「富士山ですか」

「そうだ。富士山が真正面に来たところで、窓を開けて鞄を放り投げるんだ」

「・・・」

「どうした」

「あの・・・ひとこと言っていいですか」

「なんだ」

「新幹線は窓が開かないんですが」

「なに!本当なのか」

「本当です」

「ドアは」

「開きません」

犯人は誰かと言い争いをはじめたらしい。

「・・・だから言ったじゃねえか。新しいものにはあれほど手を出すなって!」

 あとがき

最後までご覧いただきましてありがとうございます。

この物語はフィクションです。

登場人物、団体などはすべて架空のものです。

まれに、似通った名称がございましても関係性はございません。

参考文献・サイト等

いわこわらいと 本当は怖い童謡の真実!?隠された都市伝説の謎 https://www.iwako-light.com 参照日:2023.11.8

ホトカミ 空海(弘法大師)は人々のために生きたお坊さん!真言宗の密教や実践方法、最澄関係までを徹底紹介 https://hotokami.jp 参照日:2023.11.9

アフサーフ サーフィンが難しい13の理由 https://seneyama.com/why-is-surfing-so-difficult  参照日:2023.11.10

ナミノリザンマイ サーフィンでよくあること14選【サーファーあるある】 https://www.nzaminori.com/the-things-always-happen-during-sufing 参照日:2023.11.10

ウィキペディア ルイ・レアール https://ja.wikipedia.org/wiki/ルイ・レアール 参照日:2023.11.13

ウィキペディア 零式艦上戦闘機 https://ja.wikipedia.org/wiki/零式艦上戦闘機 参照日:2023.11.15

ウィキペディア 堀越二郎 https://ja.wikipedia.org/wiki/堀越二郎 参照日:2023.11.15

マイナビウーマン 元ナンパ師が教える。ナンパされやすい女性の特徴7つ https://woman.mynavi.jp/article 参照日:2023.11.15

ウィキペディア 木久蔵ラーメン https:/ja.wikipedia.org/wiki/木久蔵ラーメン 参照日:2023.11.16

KOHNO おしゃれな器 和食器と洋食器の違いとは? https://kohno-onlineshop.com 参照日:2023.11.17

気に取れ情報チェッカー オカルト記念日【7月13日】オカルトの意味とホラーとの違い https://ganbarustarts.info 参照日:2023.11.17

ウィキペディア フィンセント・ファン・ゴッホ https://ja.wikipedia.org/wiki/フィンセント・ファン・ゴッホ 参照日:2023.11.18

『青空の憂鬱』 古谷敬著 株式会社評論社 2005年4月発行 参照日:2013.11.18

はたち からし色の振袖が人気!レトロ可愛い着こなしのコツや選び方をご紹介 https://www.furisodeshop.com 参照日:2023.11.21

Simeji 顔文字辞典 https://simeji.me/blog/顔文字-一覧 参照日:2023.11.22

ftn 全アラサーが泣いた!「平成の手紙交換」あるある! https://ftnews.jp 参照日:2023.11.29

ORICON NEWS Z世代の「卒業式あるある」は時代を反映「圧倒的に無加工がきつい」&号泣に“マスクの替え”持参 https://www.oricon.co.jp/news 参照日:2023.11.29

クイズ王国 【スイカに関する雑学クイズ全20問】子供向け!おもしろ豆知識3択問題を紹介 https://quizu-oukoku.jp/water-melon-quizu 参照日:2023.11.30

居酒屋美食トリビア 夏だから知っておきたいスイカの豆知識6選!スイカ割りに公式ルールあるってマジ? https://monteroza.net/achives 参照日:2023.11.30

ウィキペディア 江戸川乱歩 https://ja.wikipedia.org/wiki/江戸川乱歩 参照日:2023.11.30

ウィキペディア 少年探偵団 https://ja.wikipedia.org/wiki/少年探偵団 参照日:2023.11.30

情報チャンネル 江戸川乱歩の生い立ちを解説!若い頃のエピソードや人気の理由についても https://coolbee1.com/edogawaranpo-gakusei 参照日:2023.11.30

GOOD SERVICE 生前整理の5つのデメリット|メリットややるべき人の特徴を解説 https://www.kataduke-kaitori.com 参照日:2023.11.30

PRTIMES 7月30日「お母さんが夢に乾杯する日」が記念日に!7時30分、がんばっている自分に、夢に乾杯! https://prtimes.jp/main/html 参照日:2023.12.1

著者紹介
杉村 行俊

【出   身】静岡県焼津市
【好きな分野】推理小説
【好きな作家】夏目漱石、村上春樹
【好きな作品】『三四郎』『ノルウェイの森』
【趣   味】ゴルフ、ギター等
【学   歴】大卒
【職   業】自由人
【資   格】宅建士、MOSマスター、情報処理2級、ITパスポート、フォークリフト、将棋アマ3段
【創   作】『365日の短編小説』

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